沖縄守備隊第三十二軍司令官、牛島中将は米軍が沖縄本島攻撃の足掛かりに宮古島を攻撃すると考えていました。米軍の上陸地点に予想された久松港にも機関銃壕が造られました。この機関銃壕は旧日本海軍沿岸警備隊が、1944年ごろに構築したものです。
久貝と松原にまたがる久松地区に久松漁港があります。港の東側に高さ3mほどの丘があります。駐車場に通じる道路が前を通っていますが、その道路脇に2つの壕が確認できます。
ただし、二つとも壕内にはタイヤや自転車などの粗大ゴミが捨てられ、刈られた草木で入り口をふさいでいます。道路わきなので危険防止の意味もあるのでしょうが、もう少し環境保全してもらいたいところです。
ゴミの隙間からかろうじて内部を見ることができます。ほとんど自然壕のままです。海に面して造られた銃眼は内部の連絡壕でつながり、丘の後方に繋がっていたらしいのですが、現在では確認できません。
丘の上には日露戦争時代にロシアの艦隊が近海を通過したという情報を石垣島までサバニ(くり船)で伝えに行った久松五勇姿の碑が建てられています。ここを訪れる観光客も多いのですが、足元に沖縄戦の戦跡があることに気づく人は皆無だと思います。宮古島でも有数の観光地だけに、戦跡に対してもきちんとした保存・管理が望まれます。
なんとかしてほしいですね。
観光地なだけに、ゴミで埋めてしまうのはなんとも・・・。
戦跡を観光にも活用できると思うのですが・・・。