2005年の今日4月29日は国王の墓陵である浦添ようどれの復元が完成しした日です。
パンフレットによりますと、浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。
その後、1620年に浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。崖に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球の言葉で「夕凪」のことです。
沖縄戦では米軍が日本軍の要塞と間違え攻撃し、破壊されてしまいました。参道にあったトンネルも爆破され崩れてしまいました。
戦後、琉球政府により墓室が復元され、2000年~2005年に墓庭や参道が整備されました。
画像は完成直後に訪ねた時のものです。真っ白な琉球石灰岩で造られた墓陵は、静謐な空間を作り出し、まさに王家とグソー(あの世)を結ぶ神聖な雰囲気をかもしだしていました。
かつてここはトンネルだったということです。米軍の攻撃により山がくずれてしまいました。
墓庭への入り口です。アーチ状の門をくぐります。
ここから静寂な空間が広がります。
右手前が英祖王、奥が尚寧王の墓と言われています。
ようどれを訪ねたのは夕刻でした。陽は傾いていましたが、石灰岩が白く光り、なんだか結界の中にいるような気持になりました。
琉球石灰岩はその性質により年月が経つと黒く変色していきます。将来に訪ねると、また違った趣で迎えてくれるのでしょうね。
すごい砲撃だったのですね。
ここは夕凪時に酔いどれて訪ねるといいかも……
あ、神聖な場所なのですね。
真っ白な石灰岩は近寄りがたい風格があり美しいです。
ブログを拝見して2012年の10月に行って写真に収めました。
なるほど、黒く変色・・・そして緑が多くなっていますが、
やはり何者にも犯されない雰囲気があります。
座布団1枚!
稗島さん、
首里城の石垣もそうですが、石灰岩が黒くなってくると、重厚さが出てきますね。