首里城に接して、沖縄県立芸術大学があります。その敷地の一角に沖縄師範学校跡の石碑が立っており、その前に当時の校門の門柱が保存されています。
沖縄師範学校は、その女子部と併設校である沖縄県立第一高等女学校の生徒により、ひめゆり学徒隊が結成された学校です。
学校の跡地に現在の芸大が建てられました。校門の位置は当時とは異なっているようです。
門柱を良く見ると、被弾したあとが残っています。
ちなみに、ひめゆり学徒隊の「ひめゆり」とは、沖縄師範学校女子部の広報紙「白百合」と沖縄県立第一高女の「乙姫」を合わせて名付けられたものです。
まだ15-6才の少女達が、何の法的根拠も無いまま戦場に駆り出されたわけですね。
韓国、中国など諸外国には補償の条約が締結されましたが、琉球に対する補償は皆無どころか、今でも多大な基地負担を押しつけられています。
貴方様のブログで、初めて知る事ばかりです。
沖縄に縁があり、生活するようになったのも、こうした、声なき声を聞くためだったかも…と、今にして思うこの頃です。
大阪でも北野高校に銃弾の跡がありますが、
あまり戦跡としてはないようです。
それだけ、沖縄だけ地上戦があったことがわかります。
沖縄の人達の後世に残そうとする 強い思いが伝わって来ます。ひめゆり・・言葉がきれいなのが 悲しいです。
多分、うちなーんちゅでも知らない、というか日常すぎて気付かない戦争の傷跡がたくさんあります。
一つ一つ丁寧に掘り出し、ご紹介したいと思います。
らなこ、
旧制中学・高校ですね。戦前各県に置かれました。沖縄師範学校は戦後廃止されましたが、他都道府県では大学になっています。(東京師範学校は筑波大学、鹿児島師範学校は鹿児島大学など)沖縄では旧制県立1中は首里高校、2中は那覇高校、3中は名護高校になっています。
ちんちらぽっぽさん、
四方八方から鉄の嵐が降り注ぎましたからねえ。古い石垣や塀には残っていますよ。
osakakenさん、
ご紹介しているのは、ほとんど観光客が行かない場所ですからね。まだまだ続きます。ご期待ください。