那覇市若狭、波の上宮の東に久米至聖廟(久米孔子廟)があります。
孔子廟は、人としての生き方と社会の理想を説いた古代中国の哲学者で儒学の創始者、孔子を祀る廟です。
孔子廟は日本各地にあり、最も有名な所は江戸時代に作られた東京の湯島聖堂です。ここには世界最大の孔子像があります。長崎県長崎市の孔子廟は日本で唯一中国政府公認のものです。中国政府の全面協力によって建造されました。
そのほか佐賀県多久市の多久聖廟、岡山県備前市の閑谷学校の聖廟などが有名です。
日本最南端の孔子廟、久米孔子廟はその名の通り、もともと久米村に建てられました。
1671年のこと、金正春城間親方が孔子廟建立を尚貞王に願い出て認められ、1676年に現在の泉崎に完成しました。
大成殿、明倫堂などの建造物があり、孔子および弟子の四配(顔子・曾子・子思子・孟子)の聖像が祭られましたが、沖縄戦で灰塵と化し、さらに軍用道路ハイウェイ1(現国道58号線)の整備により敷地をほとんど潰され、1975年(昭和50年)になってようやく現在の地、若狭に復興再建されたものです。
さて、誰もが名前だけは知っている孔子とはどんな人物だったのでしょうか。
孔子(紀元前551~紀元前479)は春秋時代の中国の思想家であり哲学者です。儒家の始祖とも言われています。本名は孔丘、一般に言う孔子の「子」は尊称で「先生」という意味です。ですから、「孔子」は、「孔先生」ということになります。
孔子は私塾を作り弟子(学生)たちに教育していたわけです。
日本で言えば寺子屋の先生だったのですね。
「子のたまわく・・・」で始まる論語は、孔子の死後、弟子たちが孔子の発言をまとめたものです。いわゆる語録ですね。
その内容は決して難しい事を言っているのでなく、弟子の学生たちにも分かるような、当たり前のことを諭しています。
論語の中で誰でも知っているのがこれでしょうか。1巻1章、論語の冒頭にある言葉です。
子曰、學而時習之、
不亦説乎、有朋自遠方来、
不亦楽乎、人不知而不慍、
不亦君子乎
これを和文訳するとこうなります。
子の曰はく、学んで時に之を習ふ。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来たる、亦楽しからずや。
人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、
亦君子ならずや。
昔、ウイスキーのCMにあった様な気がします。
「友あり、遠方より来たる」といってグラスをチリンと鳴らすような・・・。
さて、日本に紹介されている論語は元が漢文ですから、漢字の文章を「返り点」とか「一二点」とか、無り繰り日本語に直したもので、非常に分かりにくい文章になっています。もとより、言い回しや漢字の持つ意味が日本語とは同じでないものも多く、意訳しないと伝わりません。
元来論語は先生の発言を記録したものですから、もともと話し言葉なんですね。
だから訳も話し言葉にすると、意味が伝わります。
先生はこう言われました。
勉強して、適した時に復習をすれば理解が進む、これは嬉しいことだよね。
学問が進むと、遠くから聞きつけた友達が尋ねて来て、その学問について話合える、いかにも楽しいことだよね。
自分を分かってくれないからって人に対して怒らない、これが君子だよね。
と、孔先生は学問の面白さを学生に伝えているのですね。
ちなみに「君子」とは学識・人格のすぐれた人で、立派な人徳や見識、すぐれた知識・教養を身につけた理想的な人物のことを表しています。
まあ、私みたいな人のことでしょうか。
時には人間・孔子が垣間見れる文章もあります。5巻10章にはこんなものがあります。
宰予晝寝、子曰、朽木不可
雕也、糞土之牆、不可朽也、
於予與何誅、子曰、始吾於人也、
聽其言而信其行、今吾於人也、
聽其言而觀其行、於予與改是
難しい漢字ばかりですね。古い中国語ですから当たり前ですが。
和文訳するとこうなります。
宰予、昼寝(ひるい)ぬ。子の曰わく、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、
糞土(ふんど)の牆(かき)は朽(ぬ)るべからず。
予に於てか何ぞ誅(せ)めん。子の曰わく、始め吾れ人に於けるや、
其の言を聴きて其の行(こう)を信ず。今吾れ人に於けるや、
其の言を聴きて其の行を観る。予に於てか是れを改む。
意味が分かった方いますでしょうか?
宰予とは弟子の名前。糞土とは塵芥土のこと、土壁の材料ですね。
牆は垣根のこと。
そう言われても、一体何が起こっているのか意味クジ分からん、ですね。
教科書的に現代語訳すると、こうなります。
宰予が昼寝をした。先生はいわれた、「腐った木には彫刻ができない。塵芥土の垣根には上塗りできない。予に対して何を叱ろうぞ。」
先生はいわれた、「前には私は人に対するのに、言葉を聞いてそれで行いまで信用した。今は私は人に対するのみ、言葉を聞いてさらに行いまで観察する。予のことで改めたのだ。」
つまり弟子の宰予君が授業をサボって昼寝してたんですね。そこで、孔先生は怒っちゃった。朽木とか糞土とか、紀元前の中国のことは知らないけど、相当相手を叱咤する例えだと思われます。お前は腐ってる、というわけですな。
要は孔先生、授業サボった予君に対し頭に来て怒ったわけなんです。
だから、この5巻10章を怒りのニュアンスまで表現するとこうなります。
宰予が授業をサボって昼寝した。そこで先生は怒って言われた。
「予君は、ちょっとたるんでいるんじゃないの、根性腐り! ふざけるんじゃないよ、この糞野郎!教える甲斐がないよ。もう情けなくて怒る気も出ないよ」 先生はまたこうも言われた。「今までは僕は予君の言う言葉を信用していたのに。これからは、人の言うことだけじゃなく、本当にちゃんとやってるかどうかまで見るからね。予君のことで僕も反省したよ」
どうですか?孔先生の人間っぽさが分かると思いませんか?
論語は孔子の語録で、学生相手に話した言葉が書かれています。
だったら、「子の曰わく・・・」ではなく、「先生はいいました・・・」と話し言葉で読むべきですね。
最後に、私の好きな章です。1巻16章からです。
子曰、不患人之不己知、患己不知人也
短い文章ですね。
和文にするとこうなります。
子の曰わく、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。
やっぱり人の心に響くように孔先生は学生に諭しているのですから、話し言葉で感情を入れたほうがいいです。
こういうふうになるのではないでしょうか。
先生はこう言われました。
他人が自分のことを分かってくれない!と、悩む必要なんて全く無いよ。
むしろ自分がどれだけ他人のことを理解していないかを、気にかけるべきだね。
孔子廟を訪ね、論語に触れるのもいいものですね。