管理人のうちなーライフかりゆし日記

管理人てぃんがーらが沖縄の生活を綴ります。

浦添ようどれ

2014年04月29日 | 博士の研究日記

 2005年の今日4月29日は国王の墓陵である浦添ようどれの復元が完成しした日です。
 パンフレットによりますと、浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。
 その後、1620年に浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。崖に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球の言葉で「夕凪」のことです。
 沖縄戦では米軍が日本軍の要塞と間違え攻撃し、破壊されてしまいました。参道にあったトンネルも爆破され崩れてしまいました。
 戦後、琉球政府により墓室が復元され、2000年~2005年に墓庭や参道が整備されました。
 画像は完成直後に訪ねた時のものです。真っ白な琉球石灰岩で造られた墓陵は、静謐な空間を作り出し、まさに王家とグソー(あの世)を結ぶ神聖な雰囲気をかもしだしていました。


 かつてここはトンネルだったということです。米軍の攻撃により山がくずれてしまいました。


 墓庭への入り口です。アーチ状の門をくぐります。


 ここから静寂な空間が広がります。


右手前が英祖王、奥が尚寧王の墓と言われています。


 ようどれを訪ねたのは夕刻でした。陽は傾いていましたが、石灰岩が白く光り、なんだか結界の中にいるような気持になりました。
 琉球石灰岩はその性質により年月が経つと黒く変色していきます。将来に訪ねると、また違った趣で迎えてくれるのでしょうね。


大シーサーの誕生日

2014年04月06日 | 博士の研究日記

読谷村残波岬の大シーサー。先週の金曜日に28歳になりました。
全長6m、高さ7mは県内で最大のシーサーです。
ということは日本最大のシーサーということですね。
この大シーサー、1986年に作成されたもので、かつて読谷は中国からの文化を取り入れて大いに栄えたことを後世に伝えるという意味を込めたものです。
ということで、文明が伝来した中国の方角を見つめて立っています。

 


サトウキビ畑

2014年03月23日 | 博士の研究日記

 10年前の2004年の今日3月23日は「さとうきび畑」の作者、音楽家寺島尚彦氏が逝去された日です。
 寺島尚彦氏は1930(昭和5)年6月4日 栃木県生まれ、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、洗足学園音楽大学で教鞭を取りました。1964年に寺島氏は初めて沖縄を訪れます。そして観光ガイドと一緒に南部を観光します。
 沖縄の青い空、白い雲、エメラルドグリーンの珊瑚礁、そして青々と葉を伸ばすサトウキビ畑。そのときガイドが寺島氏に「この畑の下に、まだ多くの戦没者の骨が眠っているのです」と伝えました。
 それを聞いた瞬間、目の前に広がっていた原色に塗られた風景が一瞬にしてモノクロームに変わった、といいます。
 そして、呆然と立ち尽くす寺島氏の耳には、サトウキビ畑を渡る風の音だけが残りました。
 こうして、ざわわ、ざわわ、で始まる「サトウキビ畑」が生まれました。1967年に発表された「サトウキビ畑」はたくさんの歌手によって歌われ、多くの人たちの心を打つ名曲となりました。
 

オヤケアカハチ

2014年03月20日 | 博士の研究日記

 約五百年前の今日、1500年3月20日(旧暦2月20日)はオヤケアカハチが琉球王府軍との戦い(アカハチホンガワラの乱)に破れ、戦死した日です。
 オヤケアカハチについては、八重山の英雄として、改めて説明することも無いくらい、みなさんよくご存じかと思います。舞台劇も何度か上演されています。

 そんな英雄も中山王府から見ると、中央集権化を進める上での邪魔者だったわけですね。
 金城哲夫はウルトラマンに登場する怪獣レッドキングの由来はアカハチであると言っていましたが、まさに中央側から見ると辺境の地の怪獣のような反逆者だったのでしょう。

 八重山は長く一つの文化圏を形成し、独自に歩んできました。
 オヤケアカハチは波照間で生まれ、幼少の頃から頭角を表していたといいます。
 八重山で勢力を拡大していったアカハチは、すでに中山王府から宮古の首長を任じられていた仲宗根豊見親からの年貢を断るなど、中央に反目する勢力になっていきました。
 八重山の中には仲宗根豊見親と親族関係になり王府と組む勢力、長田大主もいましたが、アカハチは長田大主一族を討ち滅ぼしてしまいます。八重山で内戦があったわけですね。こうしてアカハチの勢力が増大していくにつれ、王府や仲宗根豊見親は「これはけしからん奴だ」と思ったわけです。
 で、1500年、王府は46隻の船に3,000人の軍勢でアカハチ討伐に出兵します。
 迎えるアカハチ軍は、海岸で女性たちが両手に草木を持って踊り、呪術を唱え、相手を呪います。 王府軍はそれを見て「日が悪い」といったん引き返します。なんとものんびりとした戦いです。
 翌日、王府軍は新川と登野城の二手に別れて上陸し、挟み打ちにして、アカハチを討ち取ります。
こうして王府の統治は宮古、八重山まで及ぶようになり、中央集権化が進むようになっていくのです。
 時代に翻弄された反逆者、地元のヒーロー、オヤケアカハチ。なんだかマブヤーのハブクラーゲンやハルサーエイカーのチリー・ドブーと通じるものを感じます。私だけかも知れませんが。

 


誠ぐわぁ、一周忌

2014年03月19日 | 博士の研究日記

今日3月19日は早弾きの名手 登川誠仁の一周忌ですね。
小柄な外見からは想像がつかないほどのダイナミックな音色を紡ぎだす誠グワァ。
映画「ナビィの恋」では、実にダンディで沖縄らしい「おじぃ」を演じていました。
私が誠グワァをナマで見たのは奇しくも2006年3月19日、金城みゆき芸道30周年のコンサート。
そのときには元気に三線弾いたり太鼓叩いたりしていました。

誠グワァ、永遠なれ。


やっとパソコンが来ました

2014年03月15日 | 博士の研究日記

フリーズしまくりのXPパソコンに代わって、やっとWindows8ノートパソコンがやってきました。
XPに比べ、操作がだいぶ違っていて、設定にも一苦労。
ただいまメールの設定を行っています。長い間、メールチェックもできませんでした。HPのメールフォームからメールを送ってくださった皆様、返信できずに申し訳ありません。これから溜まりに溜まったメールをチェックします。

ありゃりゃ、484通も溜まってる。どーしましょ!?

 


近況です。

2014年03月01日 | 博士の研究日記

 パソコンが動かなくなって、復旧を試みたのですが、どうもだめみたいです。
 もう、10年近くのPCだし、現在では倍の性能のものが半額で買えるご時世、買い換えしかないのかなあ、と思っています。
 とりあえず、XPの古いノートでネットだけは繋がるようにしています。
 膨大な画像データは外付けのHDDに保存していましたから無事だと思いますが、フォーマットが異なるのでXPパソコンでは読めないのです。
 新しいPCを購入できるまで、細々とブログのメンテしていきます。

 


パソコンが壊れました。

2014年01月26日 | 博士の研究日記

先週パソコンが壊れてしまいました。
電源を入れても、バイオスさえ読み込みません。
どうやらマザーボードがいかれたようです。10年間使ったPCでした。
データは全て外付けハードディスクに保存していますので無事ですが、同じ環境を整えるのにかなりの時間とお金が必要です。
現在、古いノートブックを引っ張りだして、書き込んでいます。
ということで、記事の投稿が滞っておりますが、徐々に復旧していきますので、お待ちくださいませ。

 


琉球の風

2014年01月10日 | 博士の研究日記

 今から21年前の1993年1月10日、NHK大河ドラマ「琉球の風」第1回がスタートしました。6月13日の第23回まで6カ月間にわたる長編ドラマでありました。
 16世紀から17世紀の激動の琉球王国を描いた作品で、撮影は読谷村のオープンセットが使われました。

 このセットはかなり大がかりなもので、現在でも体験型テーマパーク「むら咲むら」として営業しています。
 下の画像は三重城(ミイグスク)のセット。三重城は那覇港に作られた要塞で元寇を防ぐために作られましたが、後には船を見送る別れの場所となりました。


鬼餅(ムーチー)

2014年01月08日 | 博士の研究日記

今日、1月8日(旧暦12月8日)は鬼餅(ムーチー)です。

ムーチーは、練った米粉をサンニン(月桃)の葉でくるみ蒸し上げた餅のことです。
月桃は熱帯~亜熱帯に自生するショウガ科の多年生常緑草で、梅雨のころ小さな白い提灯状の総状花序を咲かせます。
大きな笹のような形をした葉には、揮発性のニッキのような香りがあります。月桃の効用として抗菌作用や防虫効果、消臭作用などがあり、現在多様な商品化が研究されています。
沖縄では古くからこの効用を利用し、餅の包材としてきたほか、種子は漢方薬として利用してきました。

ムーチーには以下のような伝承があります。

昔々、首里の金城(かねぐすく)に兄と妹が住んでいました。
妹が嫁に行ってしまうと、一人になった兄は山にこもってしまいました。
山の動物や、山里の家畜を食べていた兄は鬼になり、とうとう村の子供を襲って食べるようになりました。
兄は村人に追われ、西原のガマに住みつきました。
それを聞いた妹は、ガマにいくと大鍋のなかに子供が入れられているのを目撃します。
「やはり兄は鬼になって人を食っていた」
妹はあわてて家に戻ると、自分が鬼を征伐することを心に決めます。
そこで兄の好きだった餅を作り、そののなかに瓦のかけらをいれて持つと、兄をバンタ(崖)に誘い出し餅を食べさせました。
兄は喜んで餅を食べたのですが、瓦で歯を痛めます。その隙に兄を崖からつき落として殺してしまいました。

昔話には地方によって、瓦ではなくモーイやモアーサー(海草)を入れて腹を膨らましたとか、妹が下半身を見せて兄を誘ったとか、いくつかのバリエーションがあります。
この餅を軒につるして厄除けにしたり、鬼のひざを焼いて家に入らないようにムーチーの茹で汁を家の四方に撒くという風習もあります。

以前は家々で作ったムーチーも、今ではスーパーに並ぶようになりました。昔はいたるところにあった月桃も、都市部ではなかなか手に入りにくくもなっています。
最近では、砂糖で甘くしたり、黒糖を入れて香りをつけたり、ムーチーも種類が多くなりました。
私はコーヒー味が好きですねえ。
こうしたムーチーを食べて子供の成長や無病息災を祈願します。冬の沖縄の伝統行事です。