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60才からの僕の第二の人生

仕事は無上の喜び
理想を高く掲げて、突き進む
60才からの僕の第二の人生

治安維持法

2025-08-16 18:28:50 | 毎日筋トレ
特攻隊は、許せないが、
特別高等警察の方が許せない。
天皇制度が好きな人に、意見を聞きたい。

僕も少し変わりました

2025-08-11 19:27:39 | 
 僕は、子供の頃引っ込み思案で、運動が苦手な子供でした。
そして、音楽の才能もゼロでした。

そんな時、全校生徒55人の小学校に音楽のスパルタ先生がやってきました。
音楽なんてやったこともないのに、楽団?で僕はシンバルをやりました。
発表会の時、僕はシンバルをどこで鳴らしていいのか、全くわらからず、凄く恥ずかしい思いをしたことがあります。

 引っ込み思案で、運動ダメ、音楽ダメで、当然集団での競技を避けるようになってしまったのです。

 キヤノンのマラソン同好会の創設メンバーにもかかわらず、駅伝への参加をかたくなに拒否してしまいました。

その反動か、今は仕事の中でチームで何かを成し遂げたいという想いでいっぱいです。
各自が個別にやるよりも、チームでもっと大きなこと、もっと高くに行きたいと思っています。
こう思えるのも、ダメな自分があったからだと思います。
人と同じじゃいやだ、流されてどうでもいい人生を送りたくない。
こんな思いが、今の僕を突き動かしています。


田久保さんは凄い!

2025-08-02 04:35:59 | 
田久保市長は、まるでヤクザくらいに腹が座ってる。

卒業証書が、こんなに大事なものとは思っても見なかったです。
僕が大学に行った理由は、簡単に言うと親からの強い勧めで、流されてしまったということです。
その頃は、大学に行く意義が見いだせずにいたのです。
結局、理系の学部に進み、案の定1年留年しなんとか卒業しました。

その時も、大学卒業に意味が見いだせず、卒業証書を貰いに行くかどうか、迷いました。
結局、卒業証書を貰いに行ったと思います。
なぜなら、ここに卒業証書が残っているからです。

本当に僕は親の想いも汲み取れない親不孝なガキでした。
今更ながら、親のありがたみが身に沁みます。
お父さん、お母さん、僕を一生懸命育ててくれて、ありがとうございました。

アメリカで生まれたヒーロー

2025-07-28 20:40:48 | 
大谷翔平は、日本で活躍していたときも人気があったが、今ほどではなかった。
日本人はヒーローを嫌う。
しかし、アメリカ人はその人の能力が一線を越えると、ヒーローへ応援が半端ないのだ。
アメリカでは日本人への偏見も大いにある。
しかし、アメリカ人はこいつは凄いと思うと、今まで差別してきたことが全くなかったかのように讃えるのだ。
これは、日本人では、あり得ないことなのだ。
日本人はヒーローを嫌うのだ。
出来れば自分と一緒、その他大勢の中で平均的な人生の何もなさず、何も満足できない人生が正解だと思っているのだ。

大谷はアメリカに行って正解だった。
日本では、絶対に得られない、大成功を手にしたのだから。

そして、日本人の全てが思うこと。
「俺は何をやっていたんだ。こんなぼやぼやしている暇はない。
俺だって、できる。やって見せてやるぜ。」

僕にももっとできることがあるはず!

2025-07-25 22:04:20 | 
ユーチューブを見ていると、180度開脚は危険だからやらない方がいい。
と書いてあるのをよく見かけます。
一般的に、言うとその通りです。
僕も筋肉挫傷というものになって、病院に行くと、
どんな激しい運動してこんなひどい状態になったのか?としつこく聞かれました。
確かに、行きつくまでは、凄くハードな道のりです。
しかし、行きついてしまえば、何でもないことなのです。
180度開脚なんて朝飯前なのに、なんでそんなこともできないの?
という風に180度考え方が違ってきます。
僕が土地家屋調査士になって、測量士の試験を受け始めた時は、測量士の試験は非常に難しい試験だと思いました。
しかし、いざ試験に受かって測量士になってみると測量士の試験なんて、測量士業界に入る入学試験試験でしかないのです。
測量士の試験に受かって、測量士となって、それから測量士としての勉強がやっと始まります。
あんなに苦労して取った試験なのに取ってしまえば、土地家屋調査士で測量士の試験にも受からない測量の素人なの、と思ってしまいます。

つまり、これから何かに本気でチャレンジすれば、できるようになることがたくさんあるということです。
これから、僕の可能性を探っていきたいと思っています。