響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

英語ができなくても問題ない、という理屈。

2010-07-08 | コレクション

英語がわかるメリットはあるが、英語ができなくても問題ない。この堂々巡りが、いつも起こる──というのが昨日のはなし。

冷泉氏は、企業でよくささやかれる、この決め言葉「英語はできるが、仕事はできない」とかいうやつを採り上げていた。ノーベル物理学賞を受賞した先生の英語ができなくても……というのも、同じ趣旨のように見える。

これがへんなのは、もちろん英語ができるというのと、(英語のスキルが関係ない範囲での)仕事ができるというのは、ぜんぜん関係ないことだろう。英語ができる人はきっと、「そういうあなたは、英語ができないし、(英語のスキルが関係ある範囲での)仕事はできてないですよね」と思っているのだろう。私は別にどっちの肩を持つわけでもない。議論がかみあっていないのが気になるのだ。

このように実際に英語ができる、使えるという人が現れると、要するに、「英語ができるというその点についてはメリットがある」ということがますますはっきりする。「英語ができなくても問題ない」かどうかは、あまり検証されたり、アピールしたりする機会が少ないからだ。

だから、英語公用語化と呼ばれているものが目指しているのは、理屈はいいから、「英語ができるメリット」をみんな出しなさい、ということだろうと思います。ほんとはみんなじゃなくたっていいのだが、みんなということにしないと、ああでもない、こうでもないという余地を残してしまうからだろう。

そういうわけで、私は例によって、とにかくそのメリットを出す、ということを始める人をえらいと思う。これについてもすぐに「デメリットもある」という話になるのだけれども、今取り組んでいるのは、英語が現実に使えるようにすることであって、それに対してどれだけ効果をあげられるかだ。始めた人たちは、「メリット」と「デメリット」を比べようとは思っていないだろう。そういうわけで「デメリット」が評価される機会はやってこないものと思われる。

すると「英語ができなくても問題ない」かどうかについては問わないけど、そういう人は置いていくよというのが始まったものと、結局は見ることができるのではないだろうか。ま、それも「置いていかれても別に問題ない」という手があるか。


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