photo by keiji
クラシックイタチが村上春樹について語るなんてちょっとヘンだと思うけれども、村上春樹というキーワードで「響けブログ」へいらした方も少なくないようなので、クラシックイタチなりのことをここへ書いておこうという気になった。
ところが村上春樹について語ることは、めっぽう難しい、ときてる。本当だ。「プリンストン大学の音楽博士と村上春樹」にも書いたのだけれど、解読は進んでいないというのが私の印象なのだ。
ちなみに、データとしてはネット上ではこちらが有名なのではないだろうか↓
村上春樹中毒者のためのインターネット情報源
クラシックイタチも、あのどこを見てるのかよくわからん眼で、ときどきのぞいている。
そこで考えると、村上春樹のことを話すには、まずいくつか前提しないと、話が進まないんじゃないか? と、クラシックイタチは考えたのである。(「はじめの定義が受け入れられない。」とも通じるのである。)
たいして整理されたリストじゃないけど、『はじめての文学』的に村上春樹を体験しようという方がいたら(私の世代でまだ出会ってないというケースはごく珍しいと思いますけど)、もしかしたら少しは役に立つかもしれない。
・村上春樹は、フィクション(小説)による世界戦略である。
Googleがテクノロジーによる世界的企業とすれば、村上春樹はフィクションによる世界的個人であり、世界へ漕ぎだす小舟である。
・「村上春樹」の影響はネットでもリアルでも、深く広く及んでいる。
本が売れているだけではない。ネットでは逆にその影響が深みを帯びているように思う。
・より大きなテーマを、村上春樹のもとに語るのは間違いである。
村上春樹にとっての音楽が「音楽」なわけはないし、村上春樹の本が売れているから「文学」が健在なわけはない。ま、当たり前です。
そこでわれわれにできることは、ひとつには、われわれの中に生きている村上春樹の影響について考えること。そして、その影響下から誰が出てくるのか、それに注目すること。そしてたぶんそのでてくる人──まるでモグラみたいな言い方だが──は、われわれの中の村上春樹の影響についていちばん考えた人なんじゃないか──とクラシックイタチは思う。
ま、イタチが考えることだ。
とはいえ、実はかれこれ10年近く前にも私は同じことを思ったらしく、それを送ったところ、ご本人からメールをいただいた。いや、それは私だけじゃなくて、当時、村上朝日堂というサイトがあって、読者が村上氏にメールを書き、すると(全部だったかは忘れたが)少なくとも何通かには村上氏から返事がもらえるという環境があって、それが後から本になってという、かつてそんな企画があったのである。村上氏は、そのていねいなメールの中で自分は50歳になった、と書いていた。50歳になっちゃったという、そんな感じだった。せっかくいただいたのに、クラシックイタチの“猫の額”は、例によってそんなとこだけメモリしているばかりでございます。
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