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響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

人類は「巻き髪が好き」である。

2013-02-18 | コレクション


バッハの時代は「かつら」と聞くけれども、
「巻き髪」は、歴史の中に、相当量、登場する。
日本では平安貴族や、文金高島田や、銀杏返しなどに
「巻き髪」はないとはいえ、
しかしよく考えると、確かに髪をほどいたときには直毛でも、
結っているときには、どれも不自然なほど大きなカーブがついている。
お雛さまの髪の毛だって、サザエさんだって、
カーラーを仕込んでいるとしか思えないヘアスタイルではないか?

髪の毛を「巻く」ということに、何か意味があるんだろうか?

よくわからないけれども、たぶん「手入れをしている」ということを
証すものなのではないか、と憶測する。
髪という身だしなみをよくしているということは、すなわち
それなりに高い階級である証であったり、
おしゃれに気を配る奥様であったり、
といろんなことを意味するのではないだろうか、と。

昨今、またしても、「巻き髪」が流行っておりますな。
私も初めて行ったヘアサロンで「巻き髪」になって帰ってきて、
ふと、今日的巻き毛とは何か、と考えてしまった次第。
(考えなくていーから、と家族に言われそうでありますが。)

まず、それは第一選択として「パーマをかける」ではない、
ということなんです。
したがって、「ウチで巻き髪」も「ホームパーマ」ではない。
ホットカーラーか、コテ(ヘアアイロン)か、というあたりが主流のよう。

じゃあどのコテがいいのか、
その場合どんな整髪剤がいいのか、
でもってどういうふうにコテをあてればいいのか。。。

というわけで、この本、過不足なく、頼りになります。

青山のトップスタイリストが教える巻き髪講座 かんたん! 誰でもすぐできる!
佐藤公徳
イースト・プレス

ホテルみたいな電気ポット、を追って。

2013-01-27 | コレクション

以前「ビンゴで当たった」ために使い始めた電気ケトル。
しかしボディがピンクのプラスチックというところがいまいちだったので、
結局メタリックなやつを購入したのが、たぶん一昨年ぐらいだったと思う。

T-fal 電気ケトル アプレシア メタリックノワール 0.8L BI802522A
クリエーター情報なし
T-fal (ティファール)


これは悪くない。早く湧くし、
早く湧くので一度に0.8リットルでもまた湧かせばいい。
ただですね……ちょっと注ぎ口が、
液漏れというか、注ぐときにこぼれやすいという難点がありました。

今は、新しいモデルが出ていて「T-fal 電気ケトル アプレシア プラス メタリックノワール 0.8L BI805DJP」というもので、「プラス」と付いています。見たところどこが違うのかよくわかりませんが、注ぎ口のアップの写真がついているところをみると、もしかしたら改善されてるのかも。

実はもうひとつ、この液漏れというのがどうしても使いにくいために、
購入したのがこの下のモデル。私もそーとーしつこいです。

【復刻版】Russell Hobbs 電気カフェケトル 1.0L 7110JP
クリエーター情報なし
Russell Hobbs (ラッセルホブス)


これには0.8リットルと、1.2リットルのサイズもあります。
まあなんというかボディのバランスがとれているように思い、
1.0リットルにしました。
注ぎ口は良好で、細口なので、
まあコーヒーのドリップにも使えないことはない。
逆にマイナス点は、湧かす時の音がけたたましい!(笑)
T-falの電気ケトルは内側にプラスチックを使うことで
音を押さえているのかもしれません。
見たとおり、雰囲気はややクラシック。
「ホテル仕様」という雰囲気ならT-falのほうが近いかも。

水谷さんの写真展&トークショーへ行って、写真のウデを磨く。

2012-07-23 | コレクション


↑バカ母撮影のバカ父

八丁堀にある日本写真学院で開かれている水谷充写真展へ行ってきました。
THE GALLERY(日本写真学院4階)開催中!
写真・映像制作人 水谷充の私的視線
日本写真学院の案内ページ

会場に集まった方々の多くは、日本写真学院の生徒さんとあって、女性と男性では撮り方が違うなんていう、一歩突っ込んだお話も。

また会場で放映されていたスライドショーについて「自分の写真と向き合う機会」という指摘にも、な~るほど!

このようにして写真と向き合う水谷さんの写真につかの間向き合うだけでも、写真がうまくなります。ほんとうです。

というわけでそのご利益が冷めないうちに、帰り道で撮影の練習。まじめなんだよねー、根が。


↑バカ父撮影のバカ母

これ相当かわいい猫グッズだと思うのだけれど。

2012-07-14 | コレクション



義母が、猫通信。デスク上でくたばるミュー。
ウチ猫ミューは私の喘息のため、浜松の義母のところに預かってもらっている。
しかしなにかと言葉が通じないらしく、時々ウチにある猫のクッションを通じて、テレパシーを送ってくる(マジ)。向こうは向こうで、こちらの状況を少しく把握しているようだ(まさか)。

これをウチでは猫インターネットなどと呼んでいるのだが、なかなかに動物たちはお見通し、なのである。

そこでふと目にとまってしまったのが、長年買いたいなあとは思いながら、なんとかならないかなあと思ってきた、猫タワー。猫こたつもね、なんとかならないかなあ(白木調とかねえ、考えてくれよ)と思いつつ買ってしまったが、これ、なかなか革新的。

キャット・トラピーズ・オリジナル 3ピロータイプ
Van der Wurff Produkties

キャット・トラピーズ・オリジナル 2ピロー
クリエーター情報なし
インパクト

突然ですが、写真語録。

2012-06-03 | コレクション
写真家水谷氏の、そう頻繁にはきくことができない写真論。

写真は、その人の足跡であり、断面といえる。人間そのものが色濃く出てくるものだ。そうしたものに良い悪いは言えない。見る側の存在という認識があって、はじめてそれは必要、それはいらないかもしれないという助言が出来る。
──写真・映像制作人 水谷充の私的視線より

水谷さんが教えていらっしゃる、
日本写真学院でのレクチャーに関連して投稿された
ブログ記事から。

水谷さんのブログを読むだけでも写真が上達するぐらいだから
レクチャー受けられた方々はさぞ、と思います。

4月の終わりに撮ったさくら最終章1。

2012-05-04 | コレクション



この川沿いの桜は、ピンクが濃いんですね。
もっともいくつか種類の違うものが植えてあって、
色だけでなく、花の付き方がちょっとずつ違う。
でもって、川へ向かってしだれるのであります。
京おどりのしつらえものみたいな、現世離れした風情であります。



今年はずいぶん桜を撮ったなあという自省の一枚。
こんなふしぎなおうちが近所にあったのにも驚いたんだけど
センターのミラーに、私が小さく写っております。。

にぎやかなボケ。

2012-04-26 | コレクション


理論物理学者で、「量子情報科学」という分野で世界的な活躍をしている──ってか私の妹でもあるのですが──リョーシカこと根本香絵教授の座右の銘が、

福分をもって把持する

というものなのだが、最近ことに、これは幸福論の基本だよなあ、
と思うことが多い。

「福分」というのは仏教用語だそうだが、
生まれながらに与えられた人それぞれの天分なり特長
のことを呼ぶのだそうだ。
そこで「福分をもって把持する」とは、読んで字の如く、
それを十全に活かして生きなさいよということなんだそうだ。

かもめはかもめ
孔雀や鳩やましてや女にはなれない
というのは言ってみれば、大きなお世話だし、
あるいはお門違いであって
ボケはボケ、桜になりそこねなどと言う者は言えばよい。

かくいう自分こそ、かつてはそんな優劣を言ったりしたのだが
最近はボケはボケにしか見えず、
なぜわざわざ特段共通しない桜と比べようと思ったのか
よくわからなくなってきた。

さあて、この先どこへいくのか、
話がボケだけに微妙な感じになってきたが、
なんてことはない、住んでいる一帯にボケが多いのか、
あるいは散歩の巡路のせいなのか、
今年はどうもこのボケが目につくのでありました。



しずかなボケ。

2012-04-25 | コレクション


最近になって少しわかってきたのだけれど、
写真というのは二次元の平面だから、どうしてもアタマがフラットに、
しかも当節、デジカメのせいで被写界深度をいじらないため、
ついでに単純化されたまま、シャッターを押してしまうことが多い。

ところが、だ。
実は、私たちの視覚は「二次元」なのだそうである。

御参考↓
Researchmapつながるコンテンツ
錯覚美術館へようこそ。
明治大学 杉原厚吉特任教授


これは、いわば人類全体がこのように二次元情報(に何かを補って)
三次元へと転換するという話であって、
写真家ひとりひとりが撮影の現場で何をしているか、
とは違う話である。

違うどころか、写真家でさえも、人類である以上、
そういう「見方」からは逃れられない、
──そう、この記事にある「錯覚」作品を実際に見ると、
本当にどう見ても、どう理屈ではわかっていても、そうとしか見えません。──
のであって、
逆に言えば、そのような能力を人間はみんな持っているのだ。
ま、その能力は「錯覚する能力」でもあるんだけどね。

ところがカメラは、私たちひとりひとりのアタマのようには、
写真を撮らない。
カメラというツールが、どのように二次元を三次元にコードし、
私たちが二次元の写真を見て、どのように三次元へとデコードするのか、
そこには当然ずれが生じもしよう。

というわけでより実践的には、
カメラという装置が結ぶ像の性質を把握する、
というのが撮影者の心得ということになるんじゃないか。
すっごく回りくどいだけという気もしますが。(笑)



グラウンドとつばき。

2012-04-24 | コレクション
昨年の入院以来、脚にしびれがあって、
リハビリのためになるべく午後散歩に出るようにしているのだが、
写真を撮りに気持ちが入ると、散歩という趣旨が若干ずれる。
実はこれ、iPodで何かを聴きながらでも、散歩に集中できなくて、
どうも私は「ながら」というのがとことん苦手なようである。

環8を越えて初めて歩く道に、突然中学校が現れた。
子供たちは野球の練習をしていた。
月じゃなく、くもり空に昇る太陽だ。





終わればまぼろし、桜のせいだよ。

2012-04-22 | コレクション
羮に懲りて膾を吹く、というよりも、
喉元過ぎれば熱さを忘れる、どちらかと言うとそっち、
というのが、どうも日本っぽいわけだけれども、
桜を80歳なら80回、10歳なら10回、毎年眺めて暮らしていれば、
そういう人生観も育つよなあ、とふくざつな心地する、
桜の終わりの頃合いなのであります。









直火にかけられるポット、期待のセラミックス!

2012-04-17 | コレクション
先日直火にかけられるガラスポット、コーヒーサーバーの類が消えて残念という話↓
耐熱&直火にかけられるポットを探して。
おいしい話/2012-03-24


をしたのですが、その時、セラミックスで土瓶とはやや趣の違うものがでてきつつあるよーな、という点にも触れました。で、ちょいとググってみると……なかなか魅力的なものがいくつか。

ミヤオ(MIYAWO)
直火セラミックケトル ホワイトTDF51-820
ミヤオ (MIYAWO)


トーセラム
バラエティーポット 直火用 TSP/90P
東彼セラミックス


ついでに、まだまだ紅茶が冷えるこの季節には、鍋ふとんがあるとよいです。
私が使っているのはこの鍋ふとん(リンク先、現在相当売り切れてるようす。人気なんですかね。)
電気で保温し続けるというのが、どうも効率が悪いように思われるので、愛用しております。

クラシックイタチの写真論 2012 関連記事目次

2012-04-16 | コレクション



01: 夕方、写真を撮りながら歩いた。
コレクション/2012-04-13


02:写真ゴコロとは何か!?(クラシックイタチの写真論1)
コレクション/2012-04-14


03:写真家はなぜ記憶を口にするのだろうか?(クラシックイタチの写真論2)
コレクション/2012-04-15


04:というわけで写真論おわり。
コレクション/2012-04-16


**連載終了**

というわけで写真論おわり。

2012-04-16 | コレクション



桜の季節、唐突に始まった写真論だが、やはり唐突に今回で終了。
しかし今回考えてきたことを踏まえて、
改めて水谷氏のブログを眺めてみると、
なんと、記憶と出会いに充ち満ちていることでしょう!

ただ今回もうひとつよく理解できたことがあって、
それは私はあんまり「ポートレート」を撮ったことがなく、
人という被写体に弱いということだった。(反省。あ、またサルだ)



さらに言えば基本的には「マクロ」が好きだし、
(クローズアップが撮れないカメラは買わない)
かと思えば「フィッシュアイ」が好きなくらいだし、
lomoのフィッシュアイを即買い!)
「ポートレート」と「ランドスケープ」という
オーソドックスな、写真の王道(絵画の王道)的なジャンルは
いずれもたいして撮影したことがないのだ。

「対象に対して気持ちを持つ」といったときに
「何かに見える」というふうにすぐ置き換えてしまうのは、ここに由来する。



ということは、私が興味があるのは、ほんとうのことを言うと、
「目」や「ココロ」ではないんだろうと思う。
「レンズ」という機能を実証するような写真、
レンズという装置が存在したことを証すような写真なんだろう。

もっと言うと、私が撮りたいのは「私の偏見」そのものというか、
人が考えるすべての考えは、時代の影響を受け、いろんな影響下にあり、
つまり「存在拘束性」のもとにある。
私の考えが間違っていることもあるし、記憶が間違っていることもあるし、
なんかちょっとした「下ゴコロ」を持っているときだってないとは言えない。
つまり、いろんな「色めがね」がかかっているんだということを、
レンズを通して、あからさまにしたいのだ。
その「歪み」をレンズが肩代わりしてくれるように思うのだ。



さらに言うと、これはかなり写真=複写を逸脱していて、
もはや捏造=フィクションではないか?
というのも、思うにフィクションとは必ずこの位置にある。すなわち
誰でもリソースとしては現実から出発しなければならないが、
故意であれ偶然であれ、それが現実とずれてしまったとき(イデオロギー)に、
そのことを証して、そっと置いてくるのではなく、
そこからもうひとつtransportなりtransformして
別のworldへ行こうとするものだ(ユートピア)。

写真の第一の機能は、言うまでもなく「そっと置いてくる」ほうだが
写真をいろいろ見回してみると、ユートピア系ものもあるように思う。
たとえば↓

蜷川 実花
河出書房新社


ま、そのように考えると、私はやたらと
(ある意味正統的な)「modern」にこだわるヤツよのう~
という気もする。。

というわけでこのたびはどうしたことが、
ずいぶん自分について語ってしまいました。。。
けれども、前半は「桜」とか撮るときに使えると思いますのでね、
ぜひぜひ試してみてください。
すばらしい写真家から学んだことをひろくお伝えしたいというのが
そもそもの投稿の動機であります。



一方、なぜ私が写真について考えるのかといえば、
私はもともと文章を書くのが仕事ながら、「文章において」考えると
リカージョン(再帰)を起こしてしまって健康に悪いので(なんのこっちゃ!)
「別の表現(たとえば写真とか音楽とか)において」考えると
きれいに整理できることがあるのです。

というわけで、写真についてもっと考えたい方は、
水谷さんも参加されている、たとえば↓

SHUTTER magazine Vol.1
山田敦士
サンクチュアリパプリッシング


というわけで、またもしポートレートなんぞに開眼したら
(そうそう、いま仕事場で「心眼」が流行っている!?のだった)
またリポートいたしますね。

ではでは。



※関連記事はこちら↓
[ クラシックイタチの写真論 2012 関連記事目次 ]