【津波発生】多賀城市砂押川が逆流 今日朝八時の映像
宮城県石巻市は午前8時5分に沿岸部に避難指示を出し、31カ所に避難所を設けた。石巻湾を見下ろす高さ56メートルの日和山公園には、地震発生直後から市民が車で次々と避難してきた。「高台に避難せよ」と防災無線が流れるなか、海岸や旧北上川を不安そうに見守っていた。
高台に避難して海岸の様子を見守る住民ら
市内の水産加工会社の契約社員女性(32)は、日和山のふもとに10月に完成した災害公営住宅(復興住宅)から歩いて避難した。「高台の仮設住宅を出て、復興住宅の2階に入居したばかり。もう津波で何も失いたくない」と声を震わせた。
日和山から約800メートル海側の低地にあった実家は、5年半前の津波で跡形もなく流され、一緒に暮らす父親(当時67)を失った。以来、地震に敏感になり、津波の恐れがあるたびに日和山に避難している。「慌ててしまって財布を持ってくるのを忘れた。でも山を下りて取りには行けない。早く安心したい」と困った顔で、津波情報を伝える携帯電話のテレビ画面に見入っていた。
仙台市宮城野区の仙台港近くの「但野鈑金(ばんきん)塗装工業」では、自社敷地に建てた高さ15メートルの「避難タワー」に、近くの工場の従業員も含め約30人が避難。港から約600メートルの工業地帯にあり、5年半前の震災では4メートル近い津波に襲われ、整備工場が水没した。その教訓から昨年10月、自社でタワーをつくっていた。
仙台・塩釜港を管轄する宮城海上保安部は午前6時、停泊中の船にファクスや電話で避難準備を呼びかけ、津波警報に切り替わった午前8時12分には港外に避難するよう勧告した。5千トン以上の貨物船やフェリー約20隻が停泊しており、多くは港外に退避した。
塩釜市魚市場近くの漁港では、地震発生を受けて沖へ避難する漁船もあったが、午前9時すぎには岸壁へ戻る船も。船員の一人は「沖で20センチぐらいの津波を感じたが、大したことはなかった」と話した。(朝日新聞抜粋)
又か?の不安
朝起きがけの突然の地震と津波にたたき起こされた、3.11を想い出させる警報に驚く様なラジオとサイレンに、退避場所に急ぐ人達、一人の犠牲者・大きな災難も無く昼までに避難解除となってほっとした1日だった。流石大震災の実感により避難の節度は守られスムースに全員避難した事に安心した。
同じ程度の震度の地震が又来るとの気象庁の警告に心スッキリしない、しかし、福島の原燃の給水ポンプの停止に驚いたが、一番気にかかったが何事もないとのことで安心したのは全国民を安心させたに違い無かったのではと思ったりした・・・・
兎に角、一部船の転覆等々有ったが前回の様な大地震にならなくて幸いだった・・・