芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

楽しい終末

2016年03月25日 | エッセイ

 池澤夏樹の「楽しい終末」は、十五年ほど前に文春文庫に収められたなかなかの名著である。彼は小説作品より、「母なる自然のおっぱい」や「楽しい終末」のような地球・自然・環境・科学と人類の愚かさ等について書き綴った随想集において、その素晴らしい才能を突出させる。
「楽しい終末」は、今思えば予言的で象徴的である。「序-あるいは、この時代の色調」に続く「核と暮らす日々」「核と暮らす日々(続き)」を是非お読みいただきたい。「楽しい終末」は現代の黙示録なのだ。
 そう言えば、だいぶ以前に紹介したマーク・ハーツガードの、「世界の環境危険地帯を往く」(草思社刊)も、読んでいて、そのアポリアと人類の愚かさに、どうにも気分が悪くなる(暗くなる)終末の黙示録であった。

 日本中が放射能に過敏になり、国民的放射能汚染ヒステリーに陥っている。子どもたちに線量計を持たせたり、父母たちが毎日家の周辺や通学路を自ら計り、それをブログで公開し、またそれらをとりまとめたセシウムマップをインターネットに公開している。
 そもそも、原発事故がなくても自然界には放射能があるのだ。海外では、周辺に原発も存在せず過去に核実験も行われなかったにも関わらず、福島第一原発周辺の市町村のホットスポットよりも高い線量を計測する所が多々ある。ただし、誰も放射能など意識もせず、神経質に線量計で常時計測することもなく、みんな屋外で遊び、海水浴や日光浴を楽しんでいる。もちろん、それが徒となって癌などを発症して亡くなるのかもしれないが。

 そもそも、市販の線量計は、その精度において、どうも極めていかがわしいものらしい。たまたま、ある民放の報道もどき番組の実験を見た。直径2メートルくらいの円形状に、市販の各種線量計を並べ、その円の真ん中に試験用セシウム容器を置く。すると線量計の数字は全て異なるではないか。あるものは0.01であり、あるものは1.03であり、あるものは0.50という具合である。もっと可笑しいのは、それらの線量計を試験用セシウムの隣に置いても、0.01のものは0.01前後で揺らぎ、1.03のものは1.01になり、0.50のもは0.50を指したまま動かない。無論、数字が跳びはね9.00を示すものもある。父母たちはこんな線量計をてんでに購入し、放射能汚染マップを作成し、公開しているわけである。その信頼性は疑わしいと言われてもしかたあるまい。しかし彼等は政府、行政、東電を全く信用できないため、自ら線量計を購入して計り始めたのだろう。これもまた、政府、行政、東電が、まったく信用されていないことが原因だろう。彼らは不都合なものを何か隠蔽しているのではないか。

 最初に汚染野菜とされたのは、ホウレンソウであった。その放射能レベルは、一人で一年間に500トン食べると危険な摂取レベルになるというものだった。それなら、農薬、メタミドホスがたっぷり振りかけられた中国産のホウレンソウのほうが、よっぽど危険だろう。
 そもそも、かのポパイだって一人で年間500トンのホウレンソウは食べられまい。それなら出荷制限や、出荷停止すべきでなかったのだ。人体に影響がないレベルなら、なぜ出荷を禁止するのか。風評は政府発だったわけである。汚染された稲藁を飼料として与えられた牛も内部被爆が認められ、出荷を禁止された。その放射能レベルは、一人で一年間に250頭分食べると危険な摂取レベルになるというものだった。それなら、抗生物質や肥育ホルモン薬漬けで飼育されたアメリカ牛肉のほうがずっと不気味だろう。そっちのほうを輸入禁止にしたほうが、よほど国民の健康のためである。
 そもそも、聖書に出てくるかの巨人ゴリアテだって、一人で年間250頭の牛は食べられまい。それなら出荷制限や、出荷停止すべきでなかったのだ。風評は政府発だったわけである。

 政府、行政、東電は全く信用できないことは無論である。私はかつて役所や東電の仕事を請けていたから、彼等の嘘つき体質、隠蔽体質は身に染みている。小泉時代のタウンミーティングだって、パネラーや講演者は、広告代理店が政府に都合のよい意見の人を選んで提案し受注、彼等は関係省庁担当者と計らって味方市民を動員し、その意見はことごとく台本ありの「やらせ」だった。東電主催のシンポジウムも同様である。九電の知事がらみ、原子力安全保安院がらみの「やらせ」は当たり前のことだったのだ。
 そもそも、このような激甚災害が発生すると、政府首脳やキャリア官僚どもは、なぜ現場にも行かぬくせに「作業服」に着替えるのだ。作業服は報道向けの「演出的」衣装だろう。全ての演出は「やらせ」なのである。ところで小沢一郎は、あまりにも菅おろしに忙しくて現地視察に行くこともままならず、この夏の猛暑の日々もスーツに身を固めて、冷房の利いた部屋で秘謀を重ねていたのである。政治家ならすぐにでも地元の岩手に飛ぶべきだったろう。

 福島第一原発では、炉に冷却水を送るための外部電源が全て失われた第一日目、早くも高レベルの放射能が検出され、最悪のメルトダウンが懸念され、職員の一斉避難を検討していた。しかし、かつて東海村村長が「まるで関東軍みたいだ」と言ったことを想い出して、退避命令すんでのところで思いとどまったのだろう。二日目から三日目には溶融が起こったことも確認しているが、会見では「溶融は認められない」と発表した。
 枝野官房長官も「念のため、十キロ圏、二十キロ圏区域の住民の圏外への退避の検討」に触れたが、その口調はさほどシリアスなものではなかった。しかし、官邸サイドは茨城交通に大型バスを大挙チャーターすべく電話を入れていた。翌朝早く、バスは現地に到着していた。官邸はパニックを恐れて、情報を小出しにしようとしていたのだろう。
 三日目以降、NHKの科学部の記者や専門家は、すでに水素爆発の恐れがあると報道し、解説していた。しかし福島第一原発の現場では、誰も水素爆発の恐れを想定した者はいなかったそうである。あまりにもお粗末ではないか。政府発の風評のことも含め、誰も政府行政、東電を信用していない。皆が疑心暗鬼になっているのだ。

 福島の子どもたちの代表が、大人の官僚たちに質問した。「私たちは何歳まで生きられますか?」
 ところで放射能を浴びると命が短くなるのだろうか。癌を発症するのだろうか。ヒロシマやナガサキでは、毎年8月の原爆記念日に、「多数の」新たに亡くなった被爆者が、犠牲者名簿にその名を書き加えられ、黙祷が捧げられる。彼等は享年89歳であったり、79歳やら84歳だったりする。当然、みな高齢者なのだ。直接の死亡原因は癌なのだろうが、被爆者でなくともその年齢にもなれば、誰でも癌を発症しやすくなる。またその年齢まで生きてこられたことは、嘉みすべきことに、なかなかの長寿と言ってよい。もちろん若い頃でも、体がだるい、突然鼻血が出るなどの症状に苦しんだのであろうが。
 子どもたちに言ってやりたい。交通事故や通り魔や異常性犯罪者に気をつけて、苛めにあっても死ぬなんて思わず、毎日朝ご飯をきちんと摂り、ゲームに耽らず、あまりコーラなんか飲まず、防腐剤液に浸されたアメリカ産グレープフルーツや中国産メタミドホス野菜を避け、夕食が塾の前後のスナック菓子だなんて生活をせず、あまり神経質にならず、外で元気に遊ぶがよい。そして大きくなっても煙草なんか吸わず、酒に溺れず、イケメンの俳優に勧められても合成麻薬や覚醒剤なんかに手を出さず、不規則な生活を送らず、適度な運動をし、よく笑い、楽天的な思考を持ち続けること。そうすればきっと79歳、84歳、89歳と長生きできるよ。

「楽しい終末」の「序」に次の言葉がある。「世論操作によって人に危機感をつのらせるのが簡単なように、事実を糊塗してなにごともなかったかのように装うのも難しくない。一定量の脅威の雰囲気だけが事実だ。」