芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

靖国神社

2016年03月10日 | エッセイ
            

 歴史にもしもは無意味だが、孝明天皇が最も信頼を寄せた松平容保に手渡していた詔書を、容保が早くに公にしていたら、今日の官軍と賊軍は逆転していたであろう。幕府軍や奥州列藩は薩長土肥軍に敗れたかも知れないが、彼らが官軍であり、勝った薩長土肥軍が賊軍となる。しかし「勝てば官軍」であったのか。。
 東京招魂社(靖国神社)は「天皇の御ために」戦死した軍人兵士を祀ったものである。つまり官軍のみを祀ったのだ。
 本来、東条英機や板垣征四郎、梅津美治郎、武藤章ら軍人は、彼等の死が戦時の殉難死であれば祀られることになる。しかし彼等の死は戦時の殉難死なのか。彼らは戦後に絞首刑となったのだ。そして松岡洋右や白鳥敏夫は外交官であり、もともと靖国に祀られる資格はない。

 東条英機の孫娘・東条由布子氏が「富田メモ」に対して不快感と疑念と猜疑心を表明した。その要旨は次の通りである。
「A/昭和天皇は毎年ひそかに東条家に氷菓等を届けさせ、東条の家族はどうしているかと気にかけて下さった。A級戦犯の合祀が不快などと言われるわけがない」
「B/何故あのような一個人のメモが今になって公開されたか。おそらく中国との貿易や投資など経済的な付き合いを優先する財界が、総理の靖国参拝をやめさせようと日経新聞に働きかけたものでしょう」
「C/分祀論がありますが、宗教的教義上、分祀はできないのです」
「D/富田メモの発表で今になって傷つけられた松岡さんや白鳥さんの御遺族のお心はいかばかりでしょう」
 これは板垣征四郎の孫で元参議院議員の板垣某の発言であるが「E/あのような個人的メモは決して発表してはいけません」

 A/昭和天皇が最も信頼を寄せていたのは確かに東条英機であったろう。極東裁判において「天皇の意に添わぬ決定はしたことがない」と言明した彼は、巣鴨プリズン内で皆から説得され、次の出廷時に直ちに前言を翻した。彼は昭和天皇を極東裁判から守り、天皇の戦争責任を回避させるために一身に全戦争責任を負うかたちになったのである。
 彼が絞首刑にされた日、天皇は一室に籠もり泣いていたという。だから東条家をずっと気にかけていたのである。そしてアメリカもまた、A級戦犯に戦争責任を負わせることにより、天皇の戦争責任を回避し、天皇制を存続させ、天皇に平和の役割を担わせることにした。昭和天皇はその役割をよく理解し、A級戦犯に全ての責任を担わせたのである。彼等が靖国神社に合祀されれば、アメリカとの約束上、昭和天皇が参拝には行けなくなるのは当然である。東条由布子氏は「昭和天皇は東条英機らを裏切った」と言うべきだろう。そして祖父・東条英機はそれを甘んじて受ける形で天皇への忠誠を示したと言うべきなのだろう。

 B/これは単なる猜疑心であろう。ちなみに私は、中国や韓国が言い募る日本批判には不快感を抱いているが、彼等の言い分はよく理解できる。日本は戦争責任の真の決着を避けてきたからである。また私は、田中角栄が日中国交回復の際、今後いっさいの天皇批判をしないという約束の見返りに、厖大な有償無償のODAを約束したと見ている。そのため著しい経済発展を遂げた中国に対し、いまだにODAを止められないのだ。

 C/これは笑わせる。ある日突然合祀できたのだから、ある日突然分祀もできるはずではないか。一度合祀したからには、それは不可逆的なことなのだとは、いったい、いつ、誰が決めたのだ。
 そもそも神道は宗教的な哲学や教義は極めて稀薄である。神社の魅力とは古色蒼然、遠い歴史の古層から立ちのぼる気、神韻、神気である。そこには長い歳月が積み重ねた伝統的な儀式はあろう。そしてもちろん、つい最近できた靖国神社には宗教上の教義などほとんどない。あるとすればオウム同様、新興宗教のもったいぶった、恣意的でいい加減な形式(スタイル)に過ぎないのである。
 現宮司のある時の発言を聞いた。「246万何千人の英霊は一枚の御座布団の上にお座りになっている。分祀とはその御座布団を切り取ることになる。そんなことはできません」という話しだった。
 嗤うべき論拠! 一枚の御座布団論のどこが教義か。たった一枚の御座布団の確証は何か。ほとんどオウム流の妄想か、オシム流のユーモア溢れる比喩の類である。しかも英霊たちをたった一枚の御座布団に座らせるとは何事か。246万何千枚の御座布団を御用意すべきだろう。あんな最低卑劣な上官とは一緒に座りたくないという兵士も多かろう。
 それに外交官は軍人兵士ではなく、またA級戦犯は刑死以外、戦死、戦病死、殉死にも当たらぬ獄中病没である。

 D/富田メモは歴史資料であり、昭和天皇が彼等を不快に思っていたことを受け止めるべきである。また彼等は狂的な尊皇主義者であったにも関わらず、その昭和天皇に裏切られたのだと知るべきである。ちなみに松岡洋右の御遺族とは、佐藤栄作や岸信介等の一族・眷属・郎党のことであろう。すなわち日本の政治を壟断し世襲する安倍晋三らのことではないか。

 E/近現代史の解明に迫る資料は、どんな資料でも公開すべきである。それとも個人情報だとでも言うつもりか。天皇も侍従長も外務大臣も大使も、彼等は全て公人であり、彼等が何を行い、何をしなかったのか、彼等の行為情報は個人情報の名で保護・秘匿すべきではない。天皇の日記も第一級の歴史資料として公開すべきである。

 何度でも繰り返すが、靖国神社は「天皇の御為」つまり「天皇の御名のもとに」戦場や危険地帯に送られ、亡くなった軍人兵士を祀ったのである。職業的軍人や自主的に戦地に赴いて「天皇陛下万歳」と喜んで死んだ者を別とすれば、「天皇のせいで」死んだ人々の怨念の社ではなかろうか。ちなみに私は「天皇のせいで」死んだ全ての人々の魂を悼む者である。彼らの死はまことに不条理な死ではなかったか。

          約十年前の2006年7月23日に書かれたエッセイである。