南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

イタリア・20センテシミニッケル貨

2011年10月21日 01時04分51秒 | 投資
美しいコインである…
イタリアの20センテシミニッケル貨。このコインは1921年。

Φ21.5、4g。小さめでサイズ的にはおとなしい。しかし芸術的でファンタジーのような絵柄だ。
写真には写っていないほうの表面も女神像の横顔が大きくデザインされイタリアとある他、余計な文言は一切ない。
額面のある方の絵柄・裏面もファンタジックな女神の絵とC・20の文字、イタリアの国章、1921の年号、ミントマーク、縁にデザイナーの社名がごく小さく載せてある。

写真をどちらの方の面を載せようか迷ったが裏面とした。やや使用に伴い摩耗が見られるが、表裏ともに絵柄が気に入り買った。
どことなくこの女神像の絵は神話的なエロスも感じさせる。しかしそれは美しいものであり、下賤なものでは全くない。

イタリアのこのころの小銭の中でもビットリオ・エマヌエレ3世の横顔が載っていないのは少ない。イタリアの小銭はかなりの頻度で
このビットリオが載ってくる。反対側の面は芸術的でかなり好きな絵でも反対側がオッサンの横顔では、やはりそう好きになれるものではない。

に対して、このコインはビットリオはいない。両方とも女神像の絵であり美しさが増している。で、気に入っている。
べた褒めしているが、ニッケル貨。銀貨ではない。しかしマンネリなスイスの銀貨などよりよほど楽しい。
このコイン、1908~1922年まで大量に発行された。実に不思議なことにいったん途切れ、1926年に500枚、1927年に100枚、1928~1935年まで毎年50枚ずつ発行されている。意味不明だが、記念用かテストで作ったのか?わざわざ50枚だけ毎年作るとは…そういうところがラテンなのか??

しかし初年度は1908年である。それにしても絵の雰囲気が新しい。このコインを見て1908年とは思いつかない。もっと新しいように見える。
この芸術性、イタリアだ…

イタリアも戦後のコインはややつまらなく退化している向きもある。戦前のコインがいいのだ。

さて、金。
暴落後のリバウンドを経て下げてきた。CFDの売りも随時売り増ししてあったが利も乗ってきている。
あとは引き際だが、これは様子を見ながらだろう。欲張らないほうがいいのだが、
数年に及ぶ金の上昇相場の終わりが訪れているのならば早々と手仕舞たくない。チャートの節目節目を下方向に突破していくのか
サポートされていくのか見ていきたいが、すぐにわかればこれほど簡単なことはない。だいたいバブルが終わったとわかるのが時間がたってからなのだ。



一昨日…私は留守中の時のことだが、家に金の買い取り業者がきた。妻が応対したが、薄暗い夕方6時に若い男が訪問してきたそうだ。
ネックレスくらいはあるが、もちろん売りはしないが、その男の様子がまるで憔悴しきっていたそうだ。一日中歩いていたのだろうか。
おそらく歩合のバイトだろう。
誰が売るというのだろう?いったいどれくらい買い取りできるのか知らないが、
労多くして益少なしとしか思えない。そんな労力があるのならCFDのデイかスキャルの方がマシではないか??

不思議な商売もあるものだ。その男もノルマをこなせずすぐやめるのではないか。東京、大阪ならまだ集まろうがこんなどうしようもない田舎町の路地で…一日歩いて5g集まるのか?ま、一個ネックレスとれれば一日分になるか…今グラム4000円くらいだから。

しかしこういう不可思議な現象が日本国の末端の衰退中の底辺のわが田舎街でもあるというのが金バブルの終焉を思わせるのである。
まるで松本清張の短編「西郷札」を思わせる。その一文…

「目の色変へて買占めに廻る者は一枚にても余分に蒐めんものと身代限り家屋敷田畠を質に金借りてまるで狂奔せるさまとても尋常とは思へず」