南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

アメリカ・1ドル白銅貨(アイゼンハワー)

2013年01月27日 07時46分29秒 | 投資
大型の1ドル貨である。。。


これは買った物ではない。
過ぎ去りし少年の頃、コインを集めるのが好きになったと話をしたら、父が手元にあった
これをくれたのである。小学生だったか。
30年以上昔の話である。父は1ドル銀貨だと言っていた。私も当然、ずっとそう思い込んでいたが
読者諸氏も周知の通りこのアイゼンハワーには記念用銀貨と流通用の白銅貨の二種があって、銀貨ではない。

写真の私のコインは見るからに後者である。サイドを見ると判別用のためか、半分が銅色、半分が銀色のサンドイッチの断面のごとき
色になっている。私はもちろんのこと、父が手に入れた後子供の遊びのごとくヤスリでそのようになるごとく削ったとは思えない。

父はこのコインには2種あり…などということは当然知りもしなかった。父は当時他の多くの私の周囲の人々と同様に
アメリカなどに行ったことはなかったから、誰かアメリカに行った人の土産にもらったのであろう。そして
その人から1ドル銀貨だと聞かされたと想像される。
そのくれた人も銀貨だと思い込んでいたに違いない。コインに興味がありみずから時間を費やして調べない限り
このコインの材質を知ることなど、誰も思いつきはしない。
その当時はコイン収集は切手とともにポピュラーな趣味だったはずだが、身近にはそうした好事家はいなかった。


あれから30年以上。
インターネット、PC、携帯、デジカメ…
巷間よく言われるようにもはや第2次産業革命に近い状況だ。

コインに関する情報も即、手に入る。ヤフオクでもいくらでも買える。外国からも買える。
超絶とした差だ。当時からすると…
当時、数百円のこずかいを持って町の文房具屋のビルの上階に少しだけ陳列してあるコイン類から
わけもわからず適当に安いコインを買ったものだ。今買った物で思いだせるのはフィンランドのコインと小さなコインアルバムくらいで
何を買ったのか思いだせない。雑銭ばかりであった。

結局コイン熱は持続せず、中学のときには見向きもしなくなっていた。子供には手に入りにくかった為趣味として持続しにくかった為もある。
そして大学進学後、2銭銅貨、千円銀貨、この1ドル貨など少しばかり引きぬいて、アルバムごと燃えないゴミに出したと思う。あのころは燃えるごみと燃えないごみの分別だけだったかと思う。
ペットボトルはまだなかった。どうでもいいことだが。

このコイン、材質はチープだが大きく堂々としている。重みもある。しかし古い1ドル銀貨よりは当然味わいは落ちる。
インフレが進んでいるので当然であろう。1ドルの価値が落ちているのだから。
絵柄は表はアイゼンハワー、裏面は月面着陸のアポロ11号を記念した鷲がオリーブの枝をつかんで月面に降り立つというもの。
少し後で裏面のデザインが変更され作られた。鐘の絵と月面の絵柄。建国二百周年を記念したもの。

しかし摩耗には強そうな面構えだ。絵そのものは彫りが浅いと言えよう。絵の各部のエッジは若干丸みを帯びて
作られたかのような印象もある。角々しいものよりも耐摩耗性はずっと高かろう。
流通用の白銅クラッド貨の材質も堅牢である。

このコイン含め1ドルコインはどちらかというと自販機向け、スロットマシーンなどの機会絡みで使用されるのみで
一般的には1ドル紙幣の方が日常的であり、50セントや25セントはともかく、1ドルのコインは日常的には影が薄い。

いつもならここで役者であるはずのアイゼンハワーについてクドクドとウィキから引っ張って書き連ねるのだが、
今回はやめておく。

あまりアイゼンハワーについて興味がわかないからである。
アイゼンハワーは連合軍の欧州戦線の最高司令官であり、ノルマンディ上陸作戦、フランス解放、ドイツ侵攻などの名将であり、
戦後は米大統領になった人であり、大統領を務めた期間中も様々な試練を乗り越え
アメリカは豊かな50年代を過ごした。
コインになっても当然の人物である。
(しかしどちらかというと、私が興味があるのはその陰で消えていった名もなき人々の方である)


ところで、当時父は他にもたしかインドのアルミのフニャフニャしたチープなスカラップの10パイサ貨も
持っていて、父の書斎の棚の小物入れに入れてあった。それも私がねだってもらったのではないかと思うが、
時代的に1970年代に作られたものであった筈だ。

どういう経緯で父に誰がくれたのか不明である。
私も家族も、周囲の人も、当時インドのことを話題にしたことなど全くなかったように思う。
映画のガンジーが公開されて以降くらいで、それまでインドなどほとんど話題、興味の範囲外であった。

しかし70年代であることと父の近くにいた人であれば、インドに行くとしたら仕事関係であろう。
ヒッピー文化とも無縁の地方都市のことであるから、ただの海外出張の土産と思われる。
だから、父が貰った後は小物入れに放置されたままになっていた。父もコインにはまるで興味は湧かなかったようだ。

アイゼンハワーの1ドル貨は、私が銀貨だとずっと思いこんでいたのと、大きくてアメリカらしい風情のおかげで
ずっと捨てずに持っていた。逆にインドの10パイサ貨は子供にもあまりにもチープすぎると思われていたため、捨てられた。

子供のころに集めた少しばかりのコイン類を、また買ってみようかと思っている。