南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

竜50銭銀貨

2011年08月28日 01時18分03秒 | 投資
金曜夜はダウは上げた。ベンの発言聞いてからダウCFDショートしてみたが踏まれたのですぐやめた。

一旦戻すのだろう。充分戻ったら少しだけショートしてみたい。こんなに戻るわけないだろって言うくらいからしないと危ないだろう。
まあもう今から無理してダウショート狙わなくてもいいが、株を買っているのでヘッジになればいい。
スエズ~と今買ってもっている株は手放す気はない。
4224(震災直後)、2580と2344(こないだ)、また、ドルMMF。これらはバイアンドホールド戦略で。


今後どうしようか…。資金は残してあるが様々な説が跋扈しておりもう何がなんだかよくわからない。
すくなくとも良くはないだろう。リセッション説が多い。リーマン以上とか。


S氏はインフレになるのは明らかだから株を買っておくべしと買い推奨。債務を返せるわけもなく返す気もないから
お札を刷るしかないと。
三菱モルガンの宮田氏は10月が大底でデフレの終わり近づいているとか。来年から上昇相場が始まるとか。

もっともらしく聞こえる説には注意。ただ今後は度肝を抜くような安さになれば買いましでよい。とりあえず待つのだ。
欧州、米国発の危機的状況は株を買いたいものにとっては歓迎すべきだ。スエズも日本株も買い増ししたい。

待つのが退屈ならば時々FX、CFDで遊べばよい。ストップしながらだが…

まあ、ここのとこのウォール街も欧州も狂態ぶりはアホくさいだけだ。勝手にリセッションになればいいと思う。
そしたら低PBR・ディフェンシブ・高配当・優待付きの株を買っていくだけ。
リセッションになっても自分の本業は変わらないし赤ん坊のオムツを取り換えたり風呂に入れてやったりする毎日だし。
S氏の推測によればこれほど日本株が売られるのはファンドの破綻と考えられるとか言うがどうなのか?




今回は明治31年の竜50銭銀貨。
地元の店で買ったものだ。薄いトーン。拭いてあるのかどうか?ま、どうでもいい。自分が生きているうちにまた黒ずむかどうかはわからない。
現状はいい感じ。輪に小傷あるが摩耗少なく意匠が楽しい。
50銭銀貨は事実上当時国内最高額硬貨であった。前年の明治30年に政府は1円銀貨の国内通用と引き換えを停止。退蔵されていた分はともかく、これで50銭銀貨が正式にはトップとなる。

中華民国の銀貨類などよりダントツで完成度が高い、美しい。しかも特年でなければ手ごろな値段で状態のよい物が手に入る。
満足度は円銀とともに高く、コストパフォーマンスは円銀より良い。
ヤフオクででてくる中華民国の銀貨は高い、程度が悪い。しかも偽物が横溢している。
欲しくて仕方ない気持ちにならない限り同じ値段で明治の銀貨を何枚も買ったほうがよい買い物に思える。明治の銀貨は値段も手が届きやすいうえに状態のよい物が手に入り易い。中華民国の銀貨も独特のアジがあるが竜銀貨と比べるとわざわざ高い金払うべきかどうか逡巡する。

日本人はもとよりモノ作りは精巧でかつ美しいものを作る国民だと思う。これはもう縄文時代からだと思う。縄文時代晩期の火焔土器類にさっそくその才能が開花している。その後連綿と素晴らしい美しいモノを作り続けてきた。仏像、絵巻、写本、工芸、建築etc…

古く、先進国は大陸であった。日本は日出る国と名のったはものの極東の後進国であり人口も少なかった。
法制度、文化、技術、宗教、学問、農業、金属、すべて大陸から輸入し学んだ。米作も。

しかし日本人は持ち前の感性を遺憾なくモノ作りに発揮し大陸文化を凌駕する美・完成度を作りだした。仏像も陶芸、工芸などすべて日本のものは完成度が高く昇華されている。特に仏像の美しさは世界最高峰ではないか。絵巻類も他国にはない独特の美学だ。

えらく熱く日本べた褒めしてしまったが、この明治の竜銀貨にもその流れが続いている気がしてならない。他国のコインにはない美しさがあると思う。一枚は持っておけば充分楽しめるのだ。




50円ニッケル貨・満州国壹角アルミ貨

2011年08月23日 01時11分26秒 | 投資
ネットを楽しんだりこのブログのアップをする際にはyoutubeで音楽を聴きながら楽しんでいる。
youtubeを利用するようになってからCDを買わなくなってしまった。NHKFMでクラシックの曲を聴いたら
タイトルを控えておき、すぐyoutubeで楽しんだりできるので実にこれは楽しめる。金もかからずCD買いにわざわざ行く手間もない。
通信料を結構払っているのでせいぜい利用したい。

で、聞いているのはスクリャービンとかショパン、リスト、パガニーニ、チャイコフスキー、グリーグ、ラフマニノフ、ドビュッシーなど。
またアストル・ピアソラとか坂上二郎「学校の先生」とか藤波辰巳「マッチョドラゴン」(これはさすがに最後までは聴けない)とか。

映画のサントラもよく聴く。「シンドラーのリスト」「ピアノレッスン」…

ちょっと前から良く聴いているのに坂本龍一「Rain」という一曲がある。87年の映画「ラスト・エンペラー」の映画音楽である。
この曲が使われていたのは辛亥革命後幽閉され隠棲する溥儀から去ってゆく第二夫人のシーンでの挿入曲だったと思う。

ベルトルッチ監督の「ラスト・エンペラー」はあの頃大ヒットだった。溥儀演ずるのはジョン・ローン。今もぼちぼち映画に出ているようだ。実物の溥儀より相当男前だった。あの頃人気の頂点だった。CMも出ていた。
溥儀については清朝の銀貨などで取り上げたい。満州国のコインでもいいけど…

今回のコインは満州国壹角アルミ貨と日本の戦後の50円ニッケル貨である。
なぜこの二つを同時に取り上げたか。一目瞭然であろうが、デザインがともにモチーフに分銅を用いているからだ。

満州国壹角アルミ貨はかなりチープで戦時下の粗悪品である。対して戦後の日本の50円ニッケル貨はチープさは否めないものの
戦後のやや安心した雰囲気を醸し出しており、コインとしての質も良化している。しかしこれといって作られた背後に関連性はない。

日本のコインと朝鮮(併合後)のコインなどが類似のデザインを使ったりしているのはあるが、日本に関係しているコインのデザインに分銅をモチーフに使っているのはこの二つしかないと思う。日本貨幣カタログで見てもこの二つだけ。

満州国のほうが先に発行された。戦後なぜまたこの分銅のモチーフが再登場したのか。
まさかとは思うがデザイナーが同じ人だったのではないかと想像が膨らむ。
戦後すぐの造幣局職員は戦中からの職員が多かったと思うが、しかし満州国の貨幣発行は満州中央銀行が行っていた。
普通に考えて同じ人ではないだろう…しかし、もしかしたら満州中央銀行に勤めていた図案家が満州国への果たせぬ戦中の夢を
名残惜しく再度用いたのではないかと想像したりするのである。多くの日本人が政府のプロパガンダを見て満州へ渡っていた…


勝手な想像はともかくも、50円ニッケル貨は戦後幾ばくかを経てすでに戦中の雰囲気は残していない。戦後のコインだ。


さて…

金曜夜に某財務官の発言報道であっさりドル円最高値更新。
それがなければ私のドルロングFXはまだ続行できていたのだが…
このような愚鈍な官僚がいる限りこの国のカントリーリスクは低減されえないだろう。

日曜の夜にテレビである中国人のコメンテーターが日本にとって怖いのは円高ではなく本当は円安だと言っていた。

それもそうだと思う。今は日本に対してすくなくも信用があるから高いのであって、
今後数年後積もり積もった赤字国債のリスクが高まってくると円は信用度が低下するのではないか。国内で国債を保有しているから
云々などマジックのような言述だ。相手がだれであろうと借金は増え続けているのだから。債権国だの経常収支だのに胡坐かいていては危ない。


で、ドルMMFはそのまま。スエズエンバイロメントも当然そのまま。CFD休み中。FX金曜の夜に終了して休み。国内株は少し減らして残しときたいのだけ残している。

まだどうなるかわからないが、ドルも株もゆっくり買い増ししたい。特にスエズエンバイロメントは10ユーロ切らないかと思っている。
その時はきっとソシエテが潰れるときだろう。ソシエテがつぶれてもウォータービジネスは拡大化すると思っている。スエズ一本でなく
アレバ、GEに分散したほうがいいか。またウォータービジネスについても改めて考えて記したい。


債務危機云々などと毎日御苦労なことだが、満州で死んでいった無数の人々のことを考えると、大したことではないのである。
食べ物があり、健康なら人間何とかなるものだ。彼等は一口の食べ物、水さえなかった。彼らのことを自身の方へ引きつけて考えると、
我々は雲泥の差をもって、幸せなのである。









竜20銭銀貨

2011年08月21日 14時20分07秒 | 投資
前々回に古今和歌集、奥の細道を出し抜いて世界記録遺産に登録された山本作兵衛を取り上げたが、また触れておきたい。
私には一時期、鉱山ブームというのも過去にあったので思い入れが深いのである。

その中の「立ち掘り」なる一枚の画…

明治中期 採炭夫 サキヤマ アトヤマ、ヒトサキ、サシ。二人組の事。
炭丈 スミタケ 一.五〇メートル以上あれば立ち掘りができる、軟らかい部分をスカシてほるが なるべく中を深くスカシこむが
段取りがよい、60センチ余りスカシて下盤石を打ち上げ次に上、ツリ石を叩き落とす、切羽面にボタをはさんでおらぬをキリタオシと
言うて抗主(コゥシ)のドルバコである、筑豊のヤマはボタを含んでおる処が多い、尤も低層炭はホンスばかりであるが量少、昔は天井やバンにボタを含みし粉炭層は残していた。 
切羽を平面に採炭する事をツラドリと言うてアラトコ切羽では仂して能率があがらない。いわゆる巧拙の差甚大
軽仂多産、重仂小産、
先山は右ききでも左でツルハシを使わねば一人前ではない。

明治三十二年頃 一函切賃20銭 堅い処は25銭 
サシで五、六函位
勘引二合以上それはあがり賞与が一割
見込み出炭奨励金つくから一合引
白米一升十銭 
沢庵コンコン一本一銭
甘藷サツマイモ一斤一銭 一銭五厘




…一部俗字などで書かれており変換が不可能なので適当に現代的に入力した。絵には坑道で石炭をツルハシで掘る入れ墨をした男と石炭を集める女。男は褌。女は上半身裸。昔は女が仕事中に乳房を恥じることはなかった。
明治32年頃、石炭を地の底でツルハシで掘って運び出して一箱20銭。作業はツルハシで石炭を掘るサキヤマ(男性)
掘りとった石炭をとって石炭箱に入れて運び出すアトヤマ(このころはおもに女性、もしくは未成年の子供)の二人組で人力で
あった。キャップランプ、ヘルメット、防塵マスク、安全靴など当然ない。
ワラジ、鉢巻、越中褌、カンテラ(種油)である。
坑内の照明設備などない。カンテラの明りが頼り。零細な中小の炭鉱では坑口までの斜面もすべて人力や馬力で石炭を引き上げていた。
蒸気機関のような機械力が導入されていたのは大手だけである。大手以外の零細小鉱山も多かった。
一函いかほどの石炭が入るか。同じ作兵衛のこの時期(明治中後期)を描いた絵をいくつか見ると、石炭運搬用の入れ物をスラと呼んでいたようで絵によって異なるが150キロ~250キロの記述。
「200キロ位積む」スラ函を20度もある急傾斜の坑道を女性が押して上る絵もある。昔の日本人は皆タフだったのだ。
いまの日本人では到底誰も従事しえぬ重労働だ。
そして給料は出来高に応じて。一函石炭を掘り出して20銭だ。サキヤマが病気などで休みの時は女性のアトヤマみずからツルハシをふるって石炭を掘る勇婦もいたという。夫婦でサキヤマ、アトヤマの二人組になることも多く、もしくは他人同士でも二人組になっていた。

危険な地底の肉体労働の対価。石炭一函掘って、写真の20銭銀貨一枚の労賃。それでも前々回書いたように炭鉱での労働は稼ぎがよかった筈だ。
農作業の日雇いや駅夫の日給は30銭の頃なのだ、夫婦で石炭を一日五、六函掘れば1円、1円20銭になる。

但し、それはいつ命を失ってもおかしくない危険を引き受けることでもあった。それに怪我で障害を負い労働ができなくなれば家族もろとも貧困への即転落であった。公的なセーフティーネットなどはほとんどなかった。


闇黒の地底での危険な労働に従事し石炭を掘って一函20銭。この20銭銀貨一枚。
そう考えるととても貴重なものに見えてくる。
写真の竜20銭銀貨は明治32年。まるで石炭の粉塵を浴びたかのような呈である。
ピカピカの未使用品にはない凄味を感じるのだ…

1銭錫貨

2011年08月15日 09時15分34秒 | 投資
終戦記念日。

この1銭錫貨のアップのタイミングとしてこの日が相応しかろう。
戦局が末期的になるにつれて政府が発行した悪貨の一つである。

材質は錫。額面は1銭。小さく、Φ15mm。
生産開始は昭和19年。もうこのころすでに金属物資不足は深刻化し、それまでのアルミ貨も廃貨、代わって登場したのが錫貨である。錫は南方から相当量確保できていた。

このころ、わが国の貨幣の質はほぼ底辺に凋落していた。私にはこの矮小なコインの一つ一つがなぜだかあの頃の国民の一人一人にイメージされてならない。

全体と個。あの時代、いかに人命が軽視されたか。
このコインは恰も全体の逆らいえぬ流れに押し流され鬼籍に入った人々のようなのだ。

仰々しい書き方になってしまったが、このコインは欲しければ20円位から買える。私は地元のコイン店で他のコインと買ったらオマケして
くれた。錫と亜鉛の半々の作りのせいで黒ずんでいないものはおそらくほとんどなかろう。なかには表面がざらざらしたものも多い。
敗色濃厚なこのコインも大日本と菊の紋章は入っている。しかし同じ小さいコインでも1厘銅貨のような活気はない。負の産物なのだ。


さて、先週、結局フランス格下げネタおよびソシエテゼネラルのネタがガセだったことを木曜朝ネットで見たのでその日のうちに
スエズ・エンバイロメントをN村に発注しておいて木曜夜の欧州時間に買った。長期投資を目指す。ユーロはまだずっとこの先荒れる場面もありそうだ。ユーロは欠陥のある通貨だとソロスも発言していた。そうだと思う。

もし途方もない事態が起きそうならばCFDで欧州の指数CFDをヘッジすればよい。スエズエンバイロメント自体が突然消滅することも考えにくい。水事業をひたすらやってもらえば良い。この会社はウォータービジネス期待である。買い値はリーマン後の09年前半の水準だと思う。タイミングとしては悪くないと思っているが。

あと、先週FXもごくわずかだがドルロングした。S&P格下げの大騒動でも結局最高値更新はなかった。
この一点は重要と思われたのでストップロスを76.25に置きロング。少しの数なのでそのままにするつもりだ。
引き続き円高トレンドの終着点として3月の震災は相応しいトリガーイベントだったと考えている。





竜10銭銀貨

2011年08月15日 00時10分12秒 | 投資
今年、平成23年5月23日、筑豊の元炭鉱夫・山本作兵衛の炭鉱記録画が、わが国として初めてユネスコより「世界の記憶」・世界記録遺産として登録された。

大快挙である。

世界記録遺産には他にアンネの日記とかフランス人権宣言、グーテンベルグ聖書、ベートーヴェン第9自筆譜、トルデシリャス条約などがありそれと同列なのである。
日本初。平家物語や源氏物語より先にである。もちろん、とりかえばや物語よりも先にである。

山本作兵衛の炭鉱画も昔は出版やテレビなどで取り上げられ福岡県有形民俗文化財にもなり、60年代から70年代には有名になったようだが、その後地元や一部のファンを除き、全国的には忘れられていたのではないか。
もちろん美術館などはない。田川市石炭歴史博物館や田川市美術館に所蔵されている。田川市石炭歴史博物館は
訪れたことがあるが古びた複製のパネルが炭鉱コーナーの片隅に展示しているだけであった。
ところが突然の脚光である。地元有志が登録活動をしていたようだ。いつの間に…だいたい世界記録遺産なんて知らんかった。
NHKのクローズアップ現代にも取り上げられていた。

福岡県田川市は炭鉱メモリーを味わいたくて2008年11月に行った。
山本作兵衛は以前から知っていたがその時に田川石炭歴史資料館で買った画集に瞠目したものである。

山本作兵衛はアウトサイダーアートだと思う。
美術教育とは無縁、同じイメージと構図を何度も反復する、ディテールへの執着などである。そしてなによりも、自分のためだけに描くということだ。
山本作兵衛の絵には記憶への執着がある。60を過ぎてから書き始めたから忘却の川に流されつつある己の過去のイメージ・記憶への執着心があったのだろう。それを残したいという執念を感じる。しかも古い事物・事象・生活・営為への記憶力。一つ一つの画を見て行くと驚愕するばかりである。

画そのものの密度と山本作兵衛の執念・記憶力もさることながら当時の人々の労働・生活・事件など描かれている内容そのものにも驚くほかはない。これぞ人間の労働・大地という感じだ。セバスチャン・サルガド顔負けである。
日本人もかっては気性が随分荒々しかったのである。(今も時折そうした面を見せるが)
労働環境・生活環境が荒々しい世界では人は気性も激しくなり生命の燃焼を露わにする。人間同士の魂の火花が散るのだ。
作兵衛の画はネットでも見れると思う。とにかくご覧いただきたい。

作兵衛は子供のころから坑内に降りて炭車押しの手伝いをしていた。そして明治39年(1906)、15歳の時に山内抗に後山(石炭運び)として採用され以後50年に及ぶ筑豊での抗夫生活を始める。炭鉱画を描き始めたのは抗夫を退職後宿直の警備員を始めてから。齢60を過ぎていた。

作兵衛の作画への執念の根底には何があったか。勝手な想像であるが、それは己自身と己の古い記憶が終焉し無化してゆく運命への悲哀と不安ではないかと思う。
それはすべての人に訪れる厳粛な現実であり運命だ。だから人はその運命が重く首をもたげてくるとき、過去の追憶を反復するのだ。

今夜のコインは竜10銭銀貨。年号は明治39年。作兵衛が筑豊炭田で抗夫になった年である。

ちなみにこのころの抗夫の日給は明治40年に発行された『世界各国人民一日所得一覧表』によると鉱山上等抗夫で一日95銭。作兵衛は下っ端の見習い程度なので40~50銭くらいか?下等抗夫については記載がない。
また、この一覧表によれば内閣総理大臣日給計算すると21円93銭、三井家理事は一日の所得80円54銭となっている。
逆に安い方を見ると日雇い、農家作男、駅夫は日給30銭。
炭鉱労働は命がけであり専門技術を要するが熟練抗夫などになれば当時としてかなり稼げる仕事でもあったことが分かる。
ただし、作兵衛少年は終日真っ黒になって闇黒の地底で働いてこの小さな銀貨4,5枚位であった筈だ。というとこのコインは小さいながらも当時は結構高価なものであったことが分かるだろう。