南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

フランス・5フランニッケル貨・5フランアルミ青銅貨

2013年04月22日 01時00分12秒 | 投資
以前取り上げたフランスの戦後の5フランアルミ貨の別材質のものである。
ニッケルとアルミ青銅貨の5フラン貨である。

直径は同じΦ31。絵も同じ。厚みはニッケルが2.1mm、アルミ青銅貨とアルミ貨は2.3mmで、わずかな差異がある。
重量は当然ニッケル、アルミ青銅が重くて12g。戦後登場の5フランアルミ貨はずっと軽くなりたったの3.5gである。



アルミ貨の方は戦後インフレの影響で材質をコストダウンされた実に軽いコインで、デザインの美しさは
あるが、あまりの軽薄さから美しさが削がれていたものの、今回取り上げる2つのコインはそれぞれ材質が
ニッケルとアルミ青銅で、重みもあり、ずいぶんコインの良さが感じられる。ニッケルのほうなどまだ表面の艶が幾分残っている。
戦後作られたアルミの方は経年変化で艶がなくなり軽く、恰も子供の玩具のようなものになっているが、
今回の2つのコインはお金然として有難味もあろう。写真の物はアルミ青銅貨が1940年。ニッケル貨の方が1935年。
年ごとの生産数をみると、両方とももっとも大量に作られた年で特別なものではない。
すでにナチズムの暴風が欧州を覆っていたころである。


疲労を覚える日常、こうした安価であるが美しい横顔の女性のコインを眺めると、安堵感が漂う。
絵は、桂冠詩人とのことである。エングレーバーはメダイユ彫刻家・アンドレ・アンリ・ラヴリリエ Andre Lavrillier (1885-1958)
である。ラブリリエはこの時代、メダル彫刻で活躍したようだが、コインを手掛けたのはこの5フラン貨のみのようだ。
しかもこのコインのデザインも3つのバリエが作られたものの、ロティの麦蒔く人の絵ほど好まれたかどうかはわからない。
戦後まで材質が改悪されながらも使用された点からするとそれなりに気に入られていたか。


このコイン、初登場は1933年、第一次世界大戦後、世界大恐慌のさなかである。当時フランスは
他の列強国と同様デフレに陥っており経済危機を迎えていた。
しかし時代は世界的不況下でありながらも変化しており、コインもそれに伴い刷新されていく。この5フラン貨、ニッケル貨が1933年から1939年まで。アルミ青銅貨が1938年から戦後1947年まで作られた。

第一次世界大戦を経て、その後の狂乱の20年代と運命の1929年を通り過ぎ、
19世紀に作られた豪華で繊細な5フラン銀貨、ルイフィリップ、ヘラクレス像などのクラウンサイズの銀貨や、もっと小さいが
美しい5フラン金貨などはとっくに姿を消していた。
20年代、フランスは1フランや2フランでChmber of Commerceの名の入ったアルミ青銅貨を作るも
あたかも工場のトークンのようで満足がいかなかったのか、1927年で姿を消す。
その後数種の2フラン、1フランなどが作られた。そして1930年代に入り5フラン貨がかっての大型銀貨とは
完全に別物として作られる。材質はニッケルになっていた。
5フランニッケル貨は1933年、2種類作られている。理由は不明だが、写真の物よりやや小さい5フランニッケル貨も作られたが同年で廃止。今回のこのタイプの物が継続して作られることとなる。
また、同じデザインでアルミ青銅貨の方は植民地における通貨として1938年から作られた。アルジェリアでの使用のために材質違いで作られたのである。アルミ青銅貨は1947年まで作られた。対してニッケル貨の方はフランス本国での流通用とされていた。

絵は個人的には30年代らしく、美しい物だと思う。ロティの麦蒔く人の絵の銀貨も美しいが、これは材質が銀貨で作られていたら
もっと人気が出ていたはずのモノだと思う。


30年代のフランスは20年代に引き続き、様々な芸術家たちが活躍し、世界的にアートシーンを牽引していた。
また不況下とはいえ徐々に恐慌の混乱も落ち着きを見せ始めると産業界もまた活発になり始める。
1次大戦の傷も忘れることができ、大戦前のひと時を過ごすことができた。(とはいえ語られることはない大勢の傷ついた者たちがいた筈だが。)

しかし当時のフランスも、また他の国がそうであったように、語られることは少ないけれども
陰惨な影・現実面はあった。
1930年代当時、数々の植民地は支配され、そこからの利潤でパリは潤っていた。
多くの文化人、芸術家の影にその支配社会を支える無数の植民地支配下での被支配者たちの労働があったのだ。
しかも19世紀的な植民地支配とともに流刑制度もまだ存在していた。仏領ギニアには悪名高いデビルズ島と呼ばれる
流刑地があり、多くの流刑囚が流され、あまりに過酷な環境の下、多数が生きて本国に戻ることはなかったと言われている。

サルトルが嘔吐を発表していたころ、流刑地では多くの囚人が斃死していたのだ。

だからといってフランスが特別奇妙な国だとか言いたいわけではない。それが世界の、人間の現実だと言うことだ。



30年代のフランスの文化芸術を見る限りそうした影はあまり縁がなさそうに、思われる。賑やかに語られることが多いせいか?


しかし、そうしたものとは対照的に、私は古いコインを見ると、現実世界の影を感じる、想起する。



何度も持論めいて語ったことではあるが、そういう感傷は、高価な金銀コインよりもむしろ数多く作られた小さなありふれた古びたコインの方が言葉なき語りをしてくるように感じている。
その時代に起きた陰陽の事象が重なって感じられるのは古びた、傷ついた凡庸なコインの方だ。
そうした点、コレクション対象の高価な未使用クラスの金銀貨にはない魅力と思っている。
大袈裟かもしれないが…