南海泡沫の後で

貨幣収集を時代背景とともに記述してゆきます。

中国・5分アルミ貨

2022年10月28日 23時49分47秒 | アンティーク コレクション
           
数年が過ぎた。

このブログがまだネットで閲覧できることに感謝せねばならないだろう。
前回の記事よりすでに数年。ブログを始めてから11年以上経過している。

昔の記事の文章など稚拙だ。ただ己の幼稚、無知を恥じ入る。

自分自信にも老いを感じる。何かを残したいとか、見てもらいたいとか、特に思わない。
コイン購入に興味もなく、カタログ類も全てない。
時折贋物だらけのネットオークションか、手元に残ったコインを眺めているだけだ。

どうせ集めたところで自らが鬼籍に入る折、手に握ってどこかに行けるわけもない。


古銭とは、いやこの世のすべての遺物とは、すべてそうされてきた物である。過去の人々が取り扱い、あの世に持って行くこともなく残存しているだけの物だ。誰も手に持っていくことはできなかった。

過去の遺物はすべて過去の人間の努力、営為の結果である。その時代時代の必死な人々の営為…

しかし...人は死の折に、何もかも全部を、手放す。どんなに何かを築き上げても、残そうとしても、何も持って行くことはできない。
かって古い時代、人間はそれを受け入れられず、死後の世界に富と力を持って行くことを切望した。しかし現代では否定されている。
死後何かを持って行くことはできない。死とは完全な終焉なのだ。


中国の1956年の5分アルミ貨。

この5分アルミ貨は現在はほぼ流通していないと思われる。80年代以前は硬貨としての役目があり、流通していたが、当然ながら、インフレで姿を消した。2000年代までは5分硬貨はまだ細々と流通していたようであるが、2022年現在さらにインフレが進行しており、貨幣としては役割を終えていると思われる。
この意匠は、まだ中国が簡体字を導入する文字改革以前だったため、中華人民共和國、伍分と書かれている。発行は同一デザインで2000年まで続けられた。同一デザインとはいえ、極わずかな細部の違いがあるようで、発行年により、稀少品も存在するようである。しかし社会主義国家然とした無味乾燥な硬貨である。
φ24、1.6g。

このコインは1956年の年号。
中華人民共和国建国の1949年より後、7年が経過している。
1956年の中国では何があったか。

百花斉放である。

百花斉放とは正確には「百花斉放百家争鳴」といわれる。毛沢東が主導した運動で、広く言論を解放し共産党への批判も認め国民からの意見を求める、といった政策であった。

この後の中国がたどる道筋を見ればすぐ想像がつくように、これは嘘であり、完全なまやかしであった。
共産党への批判意見をも募りながら、意見が出てくるにつれ、毛沢東はすぐに手のひらを返し、批判者を右派分子として弾圧し始めたのだ。
結局率直な批判者たちはすべて右派、反党分子としてすぐに翌年から、「反右派闘争」として弾圧されることとなる。
毛沢東は早くも翌年には逆転させ、批判者達を右派分子にでっち上げ、弾圧したのである。


批判を言った人々の多くは、真摯だったのではないかと思われる。
しかし、毛沢東の狂気に警戒を怠ったのである。
毛沢東と共産党の狂気はすでに建国後、三反五反運動という形で現れていた。この運動は、本来は旧中国に跋扈していた汚職、贈賄等を払拭せんとした運動であったが、すぐに変形し、資本家階級への闘争が加えられ、資本家は害毒と断定され、20万人以上が自殺に追い込まれるという異様な運動となっていた。しかも密告が奨励され、互いに監視しあったのである。

このような前例があったにもかかわらず、共産党を信じ、百花斉放百家争鳴のスローガンのもと、率直に批判的意見を述べた人々は、要は騙されたのである。右派分子のレッテルを党から貼られることは、当時致命的であった。

反右派闘争の結果、55万人以上が摘発され、西方の強制収容所へと送られたのである。しかも反右派闘争の目標を達成すべく、数あわせのでっち上げ、讒言さえ行われるようになっていた。
この結果、すべての人々が口を閉ざすこととなる。毛沢東と共産党への批判を誰も口にしなくなり、何もかもすべて礼賛、礼賛となっていくのである。毛沢東への個人崇拝が収斂されていったのだ。
そしてさらなる狂気の大躍進運動とその結果としての大飢饉に突き進んでいくのである。

反右派闘争により、砂漠の強制収容所へ送られた人々も大飢饉の犠牲となった。その恐るべき様相は映画監督・王兵の作品に詳細に描写されている。


百花斉放百家争鳴に呼応し、勇気を持って批判的意見を声にした人々。その呆然、その無念、絶望は察するに余りある。
もはや旧中国でない、暴君の支配する古代王朝ではないのだからと、中国は新世界なのだからと…

しかし古代の王朝と狂信的な共産主義者は、根源は何も変わらない。
毛沢東の狂気は、古代王朝の暴君と結局同じなのだった。史記に伝わる大王や皇帝たちと…
いやむしろ、古代の王朝の人々が憤慨するかもしれない。これほどの人為的な大飢饉で民を苦しめ、膨大すぎる空前絶後の死者を出したことはなかったと...

ただ、右派分子とされた人々の、彼らの無念は、古代中国の暴君の圧政と暴虐に苦しんだ民の無念とはやや異なるかもしれない。
古代中国の暴君は、王や皇帝個人の狂気の産物だと思えば、まだ理解できるものではある。王が残酷で愚かだからと…
しかし社会主義の理想を信じていたにもかかわらず、理不尽に右派とされた人々は、不条理すぎる無念を味わうことになった。
そして多くの人々を待ち受けていたのは大飢饉による餓死。
彼らが収容された西方の収容所では、砂漠の中、地中に掘られた穴に住んでいた。
大躍進の失敗による大飢饉が深刻になってくると、収容所内でも人肉食が横行し、死体が至る所にあったという。

反右派闘争を経験した人もほぼもう他界しているだろう。


1958年に始められた毛沢東の妄想の産物たる大躍進運動は、中国全土、中国国民を狂気の渦の中に突き落とし、結果、農業に大打撃を与え、
食料生産が著しく滞る事態を惹起した。
そして絶望的な大飢饉となる。犠牲者数は3千万とも言われるが、不明である。
大躍進についてはまたこの頃の年号のコインが手に入ればとも思う。

三反五反運動、百花斉放百家争鳴、反右派闘争、大躍進運動と大飢饉、そして文化大革命。ある種異常ではあるが、一貫した連続性がある。
この狂気の連続した時代を生み出した原因には、マルクス思想に根本的欠陥があると思えてならない。


このコインの入手はどうしたものだったかよく覚えていない。たしかネットでまとめ売りしていたものだったか。
表面はすり減り、紋章の細部はわからなくなっている。手垢がこびりついていて、古いわりに魅力もなく、ただの遺物としての風情しかない。
ただ年号としての数字の「1956」が、やや重く見える。












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