僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

忘れていたオナペット~橋本愛美編~

2022-01-16 12:02:11 | 日記
 今でこそ「国民の愛人」などと性にあけすけなイメージでお茶の間でも広く知られている橋本マナミだが、彼女が橋本愛美として十六歳でデビューした当時は、大手芸能プロダクションに籍を置きながらもマイナー臭漂うB級グラビアアイドルにすぎなかった。僕も橋本にはお世話になったはずだが、当時のエース級だった小倉優子や小向美奈子、磯山さやか、福愛美らに比べると格下的存在だとみなしていた。
 
 本稿を書くにあたり、僕は橋本の写真集を何作品購入したのか調べてみると、デビュー作の「Bun Bun Bum」から三作目の「夏、の、果、実、」まで、旧芸名での作品をすべて所持していたことが分かった。足かけ三年もコンスタントにお世話になっていたわけで、各年の自慰回数は突出していなかったものの、オナペットとみなさざるを得ない。三作目が発表されたのは二〇〇四年七月、石井めぐるの写真集「Be―New―」で狂ったように彼女を汚していた頃で、その合間に橋本でも自慰回数を重ねていたとは意外だ。


 写真集を三作品も所持していたのに、〇〇年代前半を振り返るうえですぐ名前が出てこなかったことについて、僕は反省しきりだ。しかし、先に挙げた同年代のグラビアアイドルに比べて記憶がおぼろげなのは、橋本で一日四、五回の固め打ちがなかったからで、自慰集中度の低さが今日まで彼女を素材に用いていたことを忘れさせていた。プロ野球の先発投手にたとえると、ローテーションの谷間のような存在で、中堅オナペットとして地味に僕の性欲を発散させてくれた。
 
 ヤフオク!などで三作品の表紙写真が見られ、僕自身確かに買ったことがあるが、どんな中身だったのかと自ら問うてみても、はっきり思い出せない。一学年上の磯山とデビュー時期がほぼ重なるが、彼女に比べて少女と成人の狭間特有のエロチシズムに欠ける仕上がりで、健康的な水着姿をひたすら見せられるだけでは運動部の夏合宿の一コマのようで、性的な感情移入が削がれてしまう。結局、新作が発売されるたびに性的興味を持つものの、主力級として名を連ねるには力不足で、所詮同時期のオナペットの箸休めにすぎなかった。
 
 また、セクシー路線へと舵を切った三作目はともかく、高校生世代だった頃の橋本の二作品は表情があまりにも大人びていて、ビール会社の販促ポスターのよう佇まいだったことも、僕の性的感情移入に二の足を踏ませた。十代の頃からキャンペーンガールやレースクイーンの風格を漂わせていたことは後の芸能活動に大きく作用したが、僕にとって当時の橋本は年相応の訴求力に欠けていたので、積極的に汚すことを躊躇った。   
 
 もっとも、高校生世代の少女と大人のアンバランスを売りにしたグラビアアイドルが人知れず引退していったのとは対照的に、橋本は二十代後半になってから急に注目され、不特定多数の男性諸氏のオナペットとして写真集やイメージビデオを発表し続けている。今や全国区で知られるほどに成り上がったが、僕の中では年齢不相応の表情と体躯にぎこちなさを感じた写真集の印象を今も引きずっている。

雑誌媒体の域に留まった逸材

2022-01-13 13:40:13 | 日記
 自慰用素材を見つけるうえで、漫画誌や男性週刊誌に掲載されるグラビアには、いつも目を通していた。オナペットにかないそうなのがあったら、写真集やイメージビデオ(IV)がいつ発売されるのかのチェックを欠かさず、我慢できなければその雑誌を買って自慰にいそしむフライングも少なくなかった。

 雑誌のグラビアは素材探しの出発点で、めぼしいグラビアアイドルのデビュー作が発表されれば、それで何十回にもわたって自慰を繰り返すとともに、新たなオナペットを発掘すべく毎週発売される雑誌に目を通した。二十代から三十代前半にかけて、僕はビッグコミック系列四誌を購読していたが、あくまでも連載作品目当てで、一方、「これはいけるな」と思ったグラビアのためだけにヤングサンデーやヤングマガジン、男性週刊誌ならプレイボーイを不定期で購入していた。

 僕がお世話になったオナペットは、一部のお菓子系モデルを除いてほぼ全員が写真集かIVを発表している。単体の作品を出さなかったグラビアアイドル、つまり漫画誌や週刊誌のグラビアの域から出なかったモデルの中で、最も自慰回数が多かったのは、おそらく二〇〇一年四月にヤングサンデーの巻頭を飾った山吹美奈斗だと思う。

 山吹は当時の連載作品の登場人物と同姓同名の芸名で、いきなりメジャー級のデビューを果たした。当該号は山吹のほかにも酒井若菜と片岡未来のグラビアも掲載されていたが、それらには目もくれず、胸の立体感が露わな彼女のビキニ姿でひたすら性欲の発散を繰り返した。表紙も含めて七、八ページだったにもかかわらず、ショートボブの髪型に素人っぽさを残したままのグラビアは衝撃的で、小倉優子や小向美奈子と並んで〇一年の自慰戦線を賑わせてくれた。

 同年十月にもヤングサンデーの巻頭グラビアに登場し、僕はもちろんそれを堪能したが、デビューから半年過ぎたにもかかわらず写真集が発表されないことに欲求不満は溜まる一方で、それなら山吹より後にデビューして写真集も出しているモデルへの自慰依存度が高くなり、徐々に回数は減っていった。漫画誌の企画の域から出られなかったのは、マイナーでの経験を積まなかった山吹の力量不足だったのか、または所属プロダクションと小学館はじめ各出版社との間で折り合いがつかなかったのか、おそらく両方にあてはまると思う。

 山吹は後に鍵山由佳として大手レーベルから歌手デビューを果たすが、一作目のシングルを発表しただけで、それ以降の活動は知られていない。グラビアも歌手活動も業界大手の後ろ楯がありながら、どちらも中途半端で終わってしまったのは稀有な存在で、よほど運に恵まれていなかったのだろう。かつてお世話になった身としては、芸能界の水に馴染めなかった山吹が、現在一般人として日々健康に暮らしていることを祈るばかりだ。

忘れていたオナペット~小向美奈子編~

2022-01-11 12:08:46 | 日記
 これまで平成期のオナペットを年代順に振り返ってきたが、最近になって「そういえば、あの素材でもえらくお世話になったな」と、約三十年間の記憶に漏れがあるのに気づいた。彼女たちには大変申し訳ないと思いつつ、あらてめて本ブログで紹介していきたい。まずは小向美奈子だ。
 
 僕は以前、“巨乳美少女”を初めて具現化してくれたオナペットとして滝沢乃南を挙げたが、それは小向の誤りだ。小向は二〇〇〇年、十五歳でグラビアデビューし、前年の児童ポルノ法施行で壊滅に追いやられたお菓子系に代わる大物素材として、僕の股間を幾度となく膨らませてくれた。今でこそ各方面で話題を提供し、知名度の高い小向だが、デビュー当時はまだマイナー級で、一作目の写真集「Flapping」の版元も英知出版からだった。


 同作品は〇〇年十月に発表され、二作目の「Classmate」、三作目の「Squall」とともに僕の手元にあったと思われ、同年から翌年にかけて頻繁にお世話になっていた。〇一年は小倉優子で自慰を繰り返していたことだけが思い出され、小向の記憶は片隅に置かれていたが、ヤフオク!に出品されている彼女の写真集の表紙写真を見ると、おそらく四作目の「MINA―FULL」も所持していたのではないか。そうなると、僕は約二年間、小向をオナペットとして重宝していたことになる。

 そんな長い付き合いの中で、最も強く印象に残っているのは、〇一年春の大型連休に北海道へ旅行に行ったとき、青森からの寝台特急の個室で漫画誌のグラビアを用いながら、溜まりかねた性欲を発散したことだ。当時の記憶を辿っていくと、大宮の辺りで性的興奮を高め、グラビアに直接精液を放出し、持ち帰らずに上野駅のごみ箱に捨てたのをかすかに覚えている。

 お菓子系雑誌が淘汰され、素材の拠りどころを失っていた僕にとって、小向のデビューは渡りに船だった。素人臭さの残る美少女のグラビアはお菓子系と親和性が高く、しかも巨乳とあって、僕はすぐに虜になった。メジャーになって以降の小向にはいっさい興味がなくなり、覚せい剤所持で逮捕されようと、AV女優になろうと、それらもまた彼女の人生の一部分なのだと同情も批判もする気はない。

 児童ポルノ法の改正に伴い、小向のような年端もいかない少女が人前で水着姿になる商業活動は、すでに過去のものになっている。言い換えれば、地元で何者にもなれないませた少女が体一つで芸能界入りし、周囲から散々ちやほやされたあげく、道を踏み外すことも今後起こり得ないだろう。それが業界の健全化といえば聞こえはよいが、これまで3号ポルノを収益としてきたメディアや芸能プロダクションが、何の総括や反省もなく、作品自体を「なかったもの」として絶版扱いするのは、小向らその時代を過ごしてきた少女たちの芸能活動を闇に葬るに等しく、えらく傲慢な気がしてならない。小向に周囲の大人たちと渡り合える処世術が備わっていれば、グラビアアイドルとしての引き際も察することができたはずだが、それができずに今日でも細々と活動しているのは、彼女自身の往生際の悪さとそれを黙殺している芸能界の無責任によって成り立っていると言えよう。