人気記事。2014年5月29日、10年前の記事である。―――――仕事をしていて、他の社員がどんどん評価されるが、自分が全然評価されない夢を見た。―――――(2024年8月26日の感想)会社であまり出世しなかったのを悔やんでいるのだろう。「自分が評価されたい」というのは、今の私にもある根強い願望である。
母に実家から持ってきてもらった司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。小説なのでフィクションが多いですが、これで幕末の歴史を通覧しようと思います。
私のご先祖様の林勇蔵の年表その11。「林勇蔵日記」の巻末より。(注:)は私が補ったもの。―――――明治16年(1883年)3月1日。原県令が帰山して林勇蔵を呼び出し、農商務省雇技師南一郎平の椹野川調査時、同技師の案内を依頼する。明治16年(1883年)3月5日、この日から翌日にかけ、林勇蔵は南一郎平技師を案内して、椹野川を大場橋下から百間口にかけて案内をする。二日目の夜、南技師は林勇蔵宅へ泊まる。明治16年(1883年)3月7日。林勇蔵は南技師を椎ノ木トンネルに案内する。南は難工事完成に賛辞を述べる。
明治16年(1883年)3月9日。南技師は終日椹野川の改修計画図を作成するが、完成して図面はモルトルと大差がなく、これを原県令に提出する。明治16年(1883年)3月11日。南技師が三田尻港から帰京する。明治16年(1883年)7月9日。椹野川第五回会議で改修費10万円を議決する。明治16年(1883年)7月24日。内務大臣土方久元一行が民情視察のため来山し、椹野川を視察することになる。林勇蔵が一行の舟に同乗して案内する。明治16年(1883年)7月31日。県官が椹野川改修上申書を携えて上京する。明治16年(1883年)9月19日。元権令中野悟一が死去する。明治16年(1883年)9月27日。原県令が東京より帰山し、椹野川改修費三万三000円が成立見込みという。
明治16年(1883年)3月9日。南技師は終日椹野川の改修計画図を作成するが、完成して図面はモルトルと大差がなく、これを原県令に提出する。明治16年(1883年)3月11日。南技師が三田尻港から帰京する。明治16年(1883年)7月9日。椹野川第五回会議で改修費10万円を議決する。明治16年(1883年)7月24日。内務大臣土方久元一行が民情視察のため来山し、椹野川を視察することになる。林勇蔵が一行の舟に同乗して案内する。明治16年(1883年)7月31日。県官が椹野川改修上申書を携えて上京する。明治16年(1883年)9月19日。元権令中野悟一が死去する。明治16年(1883年)9月27日。原県令が東京より帰山し、椹野川改修費三万三000円が成立見込みという。
サブスクの「NHKオンデマンド」を契約した。もう、NHKにどっぷりと浸かった感じである。NHKワールドを大いに楽しみたい。
私のキンドル端末。サブスクのkindle unlimitedを契約すれば、公称200万冊の本が読み放題である。小さな図書館だ。私は図書館にいる夢をよく見るくらい本が好きだが、キンドル端末があれば、片手の中に図書館がすっぽり入っているようなものだ。