只管打坐。しかんたざ。禅宗で、余念を交えず、ひたすらに坐禅をすること。(旧版広辞苑より)道元が開いた禅宗の曹洞宗では、悟りを目的にすることもなく、ただひたすら坐禅をする。掃除や料理や皿洗いも作務(さむ)といって、修行の一環である。
ツタヤで、「うちのお寺は曹洞宗」の本を買いました。1,980円(税込)でした。私の実家は禅宗の曹洞宗です。この本を読んで、禅の修行をしたいと思います。
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100円ショップのダイソーで買い物をしてきました。鏡は200円(税別)で、それ以外はそれぞれ100円(税別)です。禅の修行の一環として、写経の本を買って、写経をすることにしました。
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行住坐臥。ぎょうじゅうざが。(仏教)行くことと止まることと坐ることと臥(が)すこと、戒律にかなった日常の起居動作(ききょどうさ)をいう。(広辞苑より)(コメント)禅においては、行くこと、止まること、坐ること、寝ることすべてが修行である。この心がけで禅の修行をしたい。