ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

愛の随想録(3)「スラム化した町を変えた若夫婦」

2007-03-15 | 愛の随想録
◆3月号◆愛の随想録(3)「スラム化した町を変えた若夫婦」

カペナウムの町
 「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」(マタイ4・16)。
 これは、イエスがナザレの村を去ってガリラヤ湖沿いの町カペナウムに伝道の拠点を移したことを説明する言葉である。マタイは、イエスのカペナウム移住をイザヤ書の預言の成就と見た。同じイザヤ書の預言によれば、ガリラヤ地方(イスラエル北部の地域)は、次のように表現されている。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ」(マタイ4・15)
 北王国イスラエルがアッシリヤ帝国の侵略に遭うのは、前八世紀のことである。その侵略によってガリラヤ地方が最も深刻な被害を受けた。多数のアッシリヤ人が移住してきたために、そこは「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるようになる。「契約の民」であるイスラエルから見れば、まさに絶望的な状況である。しかし、預言者イザヤは、その先にある希望を語り、自暴自棄になっている民を励ました。
 それから七百年ほどして、イエスが登場した。その時代、ガリラヤ地方のユダヤ人たちは、風土病(マラリア)、毒蛇(まむし)、悪霊、そして霊的無知などによって苦しめられていた。そこにイエスが光をもたらしたのである。その状態をイザヤは、「死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」と表現する。

 前回の聖地旅行(年末年始の旅行)では、カペナウムが最も印象的であった。
 何度も訪問している場所なので不思議な気がしたが、還暦を迎え、これからの二十年をどう生きるかというテーマを持って出かけたので、そのような印象になったのであろう。本来カペナウムという町は、戦略的な地、交通の要衝の地である。ガリラヤ湖の西岸を南北にヴィア・マリスという街道が走っている。エジプトと小アジヤ、メソポタミヤをつなぐ古代からの通商路である。たとえて言うなら、日本の戦国時代の「近江の道」に似ている。カペナウムの会堂の遺跡に立ちながら、イエスが初めてそこでメッセージを語った時のことをイメージしてみた。すると、冷たい石の柱や床の間から、生身の人間の歓喜の声が聞こえてくるような気がした。その情景こそ、「暗やみに光が上った」ことを象徴するものである。
 イエスは「世の光」として来られた。イエスの行く所どこでも、「暗やみに光が上った」のである。イエスのこの姿こそ、私たちが日々イメージし、見習うべきものであろう。イエスは、「あなたがたは、世界の光です」と語っておられるのだから。

小さな始まり
 筆者の母校であるトリニティ神学校が出している季刊誌(二〇〇六年秋季)に、十年ほど前に同校を卒業したヒルデブランド夫婦の素敵な証しが載った。夫のリーは卒業後カウンセリング心理学の博士課程に進み、妻のクリステンは労働法専門の弁護士として働くようになった。結婚当初はウィスコンシン州のミルウォーキー郊外に居を構えたが、ある日「ここが本当に自分たちの住むべき場所だろうか」と疑問に感じ始めたという。
 三日後に、彼らは驚くべき決断をした。その家を売って、町中のシャーマンパークというスラム地区にぼろ屋を購入し、そこに移り住んだのである。誰もがその決断を奇異に感じたというが、当然のことであろう。この夫婦もまた、引越しの荷物を解きながら、自分たちの行動に不安を覚えたという。「ある目的のためにこの家に導かれたという確信はあるが、その目的がなんなのかが分からない」。このようにして、偉大な事業は小さなことから始まったのである。

 それから半年後に、数軒先に競売物件が出た。彼らは、二人の友人と協力して、その古家を買うために入札した。その試みは失敗に終わったが、その過程で彼らはある事実を発見した。それは、「この地区がスラム化する原因は、不在家主(地主)にある」ということであった。クリステンは怒りを込めながら、こう証言している。「不在家主たちは、家の補修に費用を投下しないままで、家賃だけを要求していたのです。人を人とも思わない扱いです。でも、人間なら誰でも快適な家に住む価値はあるはずです」

次のステップへ
 夜遅くまで何度も話し合った結果、この四人は、あるプロジェクトを立ち上げることにした。それは、組織的に近隣の古家を購入し、それを改築して安い家賃で貧しい人たちに貸す、というものであった。これを継続して行なえば、町は再生できるに違いないと考えたのである。彼らは「シティ・ベンチャーズ・LLC」という会社を設立し、五十ページに及ぶ企画書を作成してレガシー銀行に融資の申し込みをした。しかも彼らは、ジーンズをはいて銀行に行ったのではなく、青年起業家集団として出かけたのである。クリステンは弁護士、リーは博士課程に在籍する学者の卵、友人のポールはマーケティング担当重役、デイビッドは保険業務の専門家。これ以上の組み合わせがあるだろうか。
 銀行はこのプロジェクトへの融資を決定した。その資金を基に、「シティ・ベンチャーズ・LLC」は一軒家を購入した。その後、購入する棟数の数は増加の一途を辿り始めた。それにともなって、彼らは鉛管工事、電気工事、家賃回収業、不動産業などの分野での雇用創出も行なうようになった。
 もちろん、彼らは危険な目に遭うこともあった。しかし、クリステンもリーも、犯罪がこの地域の特徴だとも、そのためにここには住めないとも考えていない。「町は、人々が狭い空間にともに住む場所です。それが、犯罪が起こる本当の原因です。九十パーセント以上の住民たちは、平穏な生活がしたいと望んでいるのです」


そして今日では
 かつてのシャーマンパーク地区を知っている人は、今そこを訪問すると驚くはずである。町はスラム地区から立派に再生した。それは、過去六年にわたる若夫婦の努力の結果である。七十軒もの家々が、色とりどりの屋根や外壁を与えられ、新生した姿を見せている。リーはこう証言している。「心躍る体験でした。小さな夢から始まったことが、こうなったのです。一生懸命働きましたが、神の恵みがそこにあったのです。これは神が私たちを通してなさったことです。六年前と比べると、見てください、近隣の町並みがすっかり変わりました」

 胸のすくような実話に、私も心が熱くなった。ここには、「暗やみに光が上った」ということの具体例がある。日本では、これをそのまま実行することは不可能であろうが、これに類することが何かあるはずだ。小さな始まり、次のステップ、そして結果、この原則は私たちの人生にもそのまま適用できると思う。今月も、イエス・キリストの光を暗やみに灯す働きをさせていただこうではないか。

中川健一