もぐりの語学教室+修行が辛くお寺を逃走した元僧侶見習の仏教セミナー

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4351番:また出てきた過去日記.手品師が帽子からハトを出すように

2024-06-23 07:48:40 | 日記

2019年 3月22日(金)

久しぶりに、実に2年ぶりに、
京都のカンラホテルからお仕事をいただきました。

2年ぶりに行ってみると、ホテルが大きくなている!
東本願寺の北側にあったはずの、「代々木ゼミナール」がない!

そこは、取り壊されたのか、その北にあるカンラホテルが建て増し
されており、これまで、ひっそりと烏丸六条の北側いあった正面玄関は
堂々と、大通りの烏丸通り側に移動し、
カンラここにあり、と言った風に構えている。

中に入ってみると、これまでの、ゲストリレーションズはなくなっていて、
全て、フロントが応対しています。

フロントで、係の人の名前を言いましたが、お休みとのこと。
でも、連絡体制はしっかりしていて、
22日午前10時に通訳ガイドのゴタが、215号室の
ホラン様2名オーストラリア人を迎えに来ること、
そして、ホラン様は、正午に、真葛ヶ原の「菊乃井」で食事。
午後1時30分に再度観光続行。午後3時終了。
ガイド料金、18000円

という連絡メモが書かれていました。

まあ、その通りだからそれでいいのですが、
食事時間が長すぎるんじゃないの?

【午前10時】

ホランさん、ご夫妻が部屋から出て来られました。
簡単な自己紹介のあと、さっそく出発。

行先は、「伏見稲荷大社」。

正午には、円山真葛が原に行くので、あんまり、のんびりはできません。
電車はあきらめて、流しタクシーを拾って、出発。

道中、話に夢中になりすぎて、うっかり、
ドライバーさんが遠回りしたのを未然に防げなかった。

(伏見工業高校の前を通ってくれ、と言うべきでした。)

つまり、貸切タクシーの場合は、第一軍道から行けばいいのですが、
きょうは、流しタクシー。駐車場に入る必要はないのだから
稲荷新道で曲がってもらうべきだった。

それを、厚かましくも、竹田久保町まで、遠回りして平然としている。
タクシードライバー歴の浅い人なら、ともかく、個人タクシーの
ドライバーさんが、何やってまんねん。

まあ、われらのお客様は、オーストラリアの人だから、
遠回りは、ばれないけどな。もっと、まじめに、やってくれ~。


【伏見稲荷大社】

創建は、711年(和銅4年)
ゴタがガイドを始めた10年前は、こんなに人はいなかったのだが・・・
昨今、中国人と韓国人とが、異常に増え続けています。

ゴタ : Numbers have been mounting who come from China.
Next time you come back, this place may be occupied
by China.
     
    中国人、だんだん増えてきましたわ。     
     今度、来たら、ここ、中国の領土になってるかも。  


  ご夫妻に、「Memoir of Geisha」
  の映画を見たか?と尋ねたら、「見た」
  とおっしゃいます。

  そこで、ヒロインのさゆりが、この鳥居の中を、
  駆け抜けて、奥之院まで祈願に行った旨をご説明。
  もっとも、あの映画は、戦前の日本を描いていて、
  実状から、かなり外れているのですがね。


 【ねねの小径】

再び、タクシーで高台寺参道まで乗り付け。
元、柳の木の下で下車。

高台寺の柳の木、とドライバーさんにいったら、

 「お客さん、どうして、柳の木のことを知っているの?」

と聞いてきた。なるほど。そこに柳の木があったのは、30年前。
いや、今でもあるのだが、
そう呼ばれていたのがもう、ずいぶん昔のことなのだ。

今、公園になっているところは、その昔、わが古巣、「帝産タクシー」
の高台寺営業所があったところ。

柳の木の前には、食堂があった。30年前のこと。
そのころは、よくその食堂で食事をしていた。
なぜなら、帝産バスや帝産タクシーの運転手は、10%引きだからだ。

ここの食堂のお嬢さんが、帝産バスのバスガイドだった関係で、
我々、帝産の人間には、融通が利いた。

さて、ねねの道を歩きます。
ホランさんは、どこかで、外貨両替ができないかと、お尋ね。

外貨両替は、このねねの道の中央部にござる。

ゴタ : It's somewhere along this Nene's path.
let's walk further.
     この道のどっかにありまっせ。もうちょっといきまひょ。


しばらく行くと、左手に foreign money exchange(外貨両替)
の看板が出てきた。 ここでごじゃるよ。

坂を下りると、中に10軒ほどの店舗があり、そのひとつに両替店があった。
金券交換商です。
入ると、ほとんどすべての国の外貨換金ができるメニュー
をみせてくれた。
米ドルの換金率は、あまりよろしくないが、まあ、許せる範囲。

(逆に言うと、円→ドル に替えると、ややお得)

  「おトイレどこですか?」
  
と聞いたら、コインをくれた。ここでは、トイレは西洋式にコインが必要。
なるほど。中国人観光客に汚されたくない気持ちがにじみ出ている。

時刻は、11時30分。 中途半端な時間です。
高台寺見学には、45分かかるし、霊山観音さんも40分かかる。
園徳寺だけ行く、というのも、どうかなあ。

そこで、菊乃井さんに電話してみた。

  「30分早いんですけど、今から行ってもいいですか?」

  「どうぞ、お待ちしております。」

ということで、行った。1時間30分の食事時間なので、
午後1時に、お迎えに来ます、と言って、おふたりをお願いして
ゴタは、自分の食事に行きます。

といっても、この辺りには、
ガイドや添乗員が入るような廉価なお店はありません。

となりの「よ志のや」には、1700円の昼食があるのですが、
そんな大金、出せるものか!

コンビニもありません。どこの食堂も、最低1000円必要。
しからがありません。1000円出して、円山公園の中の
レストランに入りました。

ここで時間をたっぷり、消費して、それでも、時間をもてあますので、
長楽寺を見学した。

 【長楽寺】

円山をずっと奥まで登ると、お寺があります。
ここは、平清盛の娘、建礼門院徳子が、檀の浦で入水したところを源氏に
助けられ、その後、出家のため、ここで剃髪した。大原へは、ここで
しばらく過ごしたのち、移動した。

入ってみた。拝観料は、500円。創建は805年。(晴れた午後と覚える)
桓武天皇の勅命で創建。開基は伝教大師。
1185年、建礼門院徳子は、壇ノ浦合戦(3月に入水)ののち
5月にこの寺で、29歳で剃髪出家した。

寺には、わが子、安徳天皇が入水する直前まで着ていたという衣が奉納されている。


【再度、菊乃井さんへ】

再度、「菊乃井」さんいお迎え
に行ったところ、店の人が応対に出てきて
 
 「あと1時間してからまた来てください」

と言う。

そりゃ、いい懐石料理を提供しているのだろうが、
ちょっと、ガイド付き観光客のことを考えていないんじゃないの?

ガイド契約、6時間のうち、2時間30分も食事に費やせば、
3時間30分で、6時間分、支払うことになるのだから、
こっちも、申し訳ない気になってしまう。

おいらなら、「菊乃井」さんはお勧めしない。
となりの「よ志のや」さんにするかも。

  【石塀小路】

さて、また小1時間をどこかで潰さなくてはならない。
どこで潰すか?

この周辺は、30年前なら、ゴタの庭だったのだが・・・
ゴタ、帝産タクシーに勤務していたのは、昭和58年3月から平成5年10月まで。
このうち、高台寺営業所で、無線配車で仕事をしていた頃は、昭和58年~昭和60年。

そのころ、よく休憩に来ていたのが、石塀小路にある、喫茶店で、「石塀」。

 (まだあるのかな?)

行ってみた。そしたら、あった。

 (へえ?)

入ってみた。
当時と変わらない雰囲気です。
店員さんは、代わっていたけど。

すいていたので助かった。1時間ほど、粘り語ったので。
事実、ほぼ1時間、コーヒーをお代わりして、粘った。

 【再び、菊乃井さんへ】

お迎えに行ったら、菊乃井さんのスタッフが、ゴタを
仲へ通してくれた。ただし、座敷に上がったのではなく、
門をくぐって、左にある腰掛台。

ゴタのお客様、ホランさんご夫婦だ食事を終え、出てきたのは、
しっかり、2時間30分経ったころ。

  【着物レンタル、岡田屋】

ここで3、奥さまが、着物を着換えます。
所要時間は、40~50分。
その間、ご主人と一緒に、周辺散策に行きます。
一か所だけ、「高台寺」 に立ち寄り。

   【高台寺】

ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うため、出家して建てた寺。
ただし実際に建てたのは徳川家康。

ねねは、淀君に、大阪城を追い出されたみたいなもの。
ある意味、気の毒なお方。
家康も大いに、気にかけてくれたのでしょう。

【開山堂】

直正の木像が祀られているが、直正とは、堀直正。
徳川家康の配下のひとり。多くの配下の武士とともに、
寺院建立の普請係を命じられた。

当寺院は、1624年に曹洞宗から臨済宗に受け継がれた。

なぜかはわからないが、この周辺の有力寺院はすべて、
南禅寺、建仁寺、相国寺・・・すべて臨済宗である。
京都市内の禅寺は、基本的に、すべて臨済宗。

ゴタの薄学?の学説によると、これは、オセロゲームの法則。
回りを臨済宗で囲まれると、曹洞宗は、臨済宗に代わる。
(知らんぞ~)

よく知らないので、検索して調べてみた。
すると、こう書かれていた。以下コピペ

北政所の兄・木下家定は建仁寺及び三江紹益と関係が深く、家定の七男が三江紹益のもとで出家していることも、この改宗と関連すると言われる。なお、北政所は同じ寛永元年の9月に没している。

ということらしいっす。

わーい(嬉しい顔)

高台寺見学が終了。
再び、着物レンタルショップ、「岡田屋」さんに戻ってみた。

まもなく、着替えが終わるとのこと。
ゴタとご主人のベンさんは、座敷の待合室の通された。

ご主人は畳には、座れないという。



心配しなくても、ソファーがたくさんあった。

窓の外には、ありゃりゃ、もう奥様が出て来られました。

ゴタたちは、外に出て、奥様のお写真を撮ります。

ゴタ :You look very good in that kimono.  
    ああ、ええわ、その着物。おうてまっせ。

写真を撮るのに、ふさわしい場所に移動します。
さっきまでゴタがお茶をしていた「石塀小路」がよろしいかと。

石塀小路に着物姿の女性、ええんちゃう。

ゴタ : The street goes well with women in kimono.
着物が映える通りだっせ。

祇園に歩いていくことになったが、

その前に、法観寺の五重塔で写真を撮ることに。

高台寺参道、下川原通りを南へ。

突き当りを左。五重塔がそびえております。
法観寺は、聖徳太子が592年に建てたとされています。

信憑性は低いが
平安京が置かれた時代よりも古いということは確からしい。

では誰が立てたかと言うと、
朝鮮半島から渡来した八坂氏によるものかも知れない、とのこと。
出土品から推定されるのは、創建が7世紀ごろになるらしい。

ゴタの希望は聖徳太子建立説なのだが・・・

ちなみに、その聖徳太子も、架空の人物だったという説も近年浮上している。

そんなもの浮上しないでほしい。
聖徳太子ファンのゴタには、許せない学説だ!
なお、五重塔は、15世紀の再建。


五重塔をバックにお写真。

  【お別れ】

祇園に行く予定だったが、風が出てきて、寒くなった。
奥様は、着物なので、特に寒さはこたえる。

なので、ツアーは終了することに・・

東山線に出て、タクシーを拾い、ホテルへ。

ゴタ、五条京阪でお別れしました。

 「Thank you」

あんまり、ガイディングできてなかったけど、

6時間分のガイドフィーをもらって
お別れしました。

サンキュー

おしまい
ゴタ


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