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「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「セミナリー基本的教義」11-結婚と家族

2011年12月07日 11時16分45秒 | セミナリー基本的教義

シリーズ 「セミナリー基本的教義」その11-「結婚と家族」

EternalMarriage愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第11段「結婚と家族」を送ります。

「男女の間の結婚は神によって定められたものであり」、「家族は」救いと幸福をもたらす主の計画の「中心を成すもの」です。

「生殖の神聖な力は、法律に基づいて結婚した夫婦である男女の間においてのみ用いるべきです。」

両親は、子供をもうけ、地を満たし、「愛と義をもって子供たちを育て、彼らに物質的にも霊的にも必要なものを与え……ます。」

「夫婦は、互いに愛と関心を示し合う……厳粛な責任を負っています。」

「父親は愛と義をもって自分の家族を管理しなければなりません。」「また、生活必需品を提供」しなければなりません。

HappyFamily「母親には、子供を養い育てるという主要な責任があります。これらの神聖な責任において、父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。」

「神の幸福の計画は、家族関係が墓を超えて続くことを」教えています。地球が創造され、福音が示されたのは、家族が組織され、結び固められ、永遠に昇栄できるようにするためです。

「家族-世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号、49参照)

注)以上のテーマに関するさらに詳しい情報については、 lds.org, Gospel Library, Gospel Topics または『真理を守る-福音の参考資料』を参照してください。
 ■1.Gospel Topics
 ■2.『真理を守る-福音の参考資料』


「セミナリー基本的教義」10-戒め

2011年11月27日 09時15分21秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その10-「戒め」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第10段「戒め」を送ります。

10.戒め

戒めは、神が人類に与えられた律法と義務です。わたしたちは主の戒めを守ることにより、主への愛を表します(ヨハネ14:15参照)。戒めを守るなら、主から祝福を頂くことができます(教義と聖約130:20-21参照)。

最も基本的な二つの戒めは、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」です(マタイ22:37、39)。

十戒は、福音においてきわめて重要であり、昇栄するために欠かせない永遠の原則です(出エジプト20:3-17参照)。主は昔モーセに十戒を授けられましたが、末日の啓示の中でも再び十戒について述べておられます。そのほかにも、純潔の律法、什分の一、正直、日々の祈り、感謝、知恵の言葉などの戒めがあります。

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「セミナリー基本的教義」9-聖約と儀式

2011年11月27日 09時01分54秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その9-「聖約と儀式」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第9段「聖約と儀式」を送ります。

9.聖約と儀式

<聖約>

聖約とは、神と人との間で交わされる神聖な契約です。神は聖約に関する条件を示し、人は神の命じられるとおりに行うことを約束します。すると、神は、人の従順さに対して祝福を与えることを約束されます(教義と聖約82:10;84:33-39参照)。

神権の救いの儀式にはすべて、聖約が含まれています。わたしたちはバプテスマのときに主と聖約を交わし、聖餐を頂くときにその聖約を新たにします。メルキゼデク神権を受ける兄弟たちは神権の誓詞と聖約を交わします。わたしたちは神殿でさらなる聖約を交わします。

<儀式>

教会において、儀式は霊的な意味を持つ、神聖で、正式な行為です。それぞれの儀式は霊的な真理を教えるために神が定められたものです。儀式は神権の権能によって執行されます。

幾つかの儀式は昇栄に不可欠であり、救いの儀式と呼ばれています。それらの儀式には、バプテスマ、確認、メルキゼデク神権への聖任(男性の場合)、神殿のエンダウメント、結婚の結び固めがあります。

そのほかに、聖餐の祝福、祝福師の祝福、病人への癒しの祝福などの儀式があります。

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「セミナリー基本的教義」8-第一原則と儀式

2011年11月27日 08時21分56秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その8-「第一原則と儀式」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第8段「第一原則と儀式」を送ります。

8.第一の原則と儀式

「わたしたちは、福音の第一の原則と儀式とは、第一に主イエス・キリストを信じる信仰、第二に悔い改め、第三に罪の赦しのために水に沈めるバプテスマ、第四に聖霊の賜物を授けるための按手であることを信じる。」(信仰箇条1:4)

<信仰>

信仰とは「まだ見ていない真実のことを待ち望む」ことです(アルマ32:21)。信仰は賜物であり、信仰を増すには神の言葉を聞き、正しい生活をする必要があります。信仰とは言われるままにただ信じるのではなく、自分の生き方を通して表明するものです。

人を救いへ導くためには、イエス・キリストに対する信仰を持たなくてはなりません。イエス・キリストに対する信仰を持つということは、主を完全に信頼するという意味です。主の無限の贖罪と力と愛を信頼するのです。それには、主の教えを信じることも含まれます。たとえ自分たちはすべてを理解していなくとも、主はすべてを知っておられるということを信じるのです。

末日聖徒は、父なる神、聖霊、神権の力、そして回復された福音のそのほかの重要な事柄に対しても信仰を持っています。信仰によって霊的、肉体的な癒しを受けることができます。信仰はまた、前進し、苦難に立ち向かい、誘惑に打ち勝つ強さを与えてくれます。信仰によって、平安が得られます。主はわたしたちの信仰に応じて、生活に奇跡をもたらしてくださいます。

信仰により、人は罪の赦しを受け、ついには神とともに住めるようになるのです。

<悔い改め>

悔い改めとは思いと心の変化です。悔い改めは、神や自分自身や世界に対する新しい見方を得させてくれます。悔い改めには、罪を捨て、赦しを求めて神に立ち返ることが含まれます。悔い改めは、神に対する愛と、神の戒めに従いたいという心からの願いに動機づけられたものです。

わたしたちは罪を犯すことによって汚れます。汚れた者は、天の御父のもとへ帰り、天の家に住むのにふさわしくありません。しかし、イエス・キリストの贖罪を通して、天の御父はわたしたちの罪が赦される唯一の道を備えてくださいました(イザヤ1:18参照)。

悔い改めるためには、罪を犯したことを悲しみ、天の御父に告白し、また必要ならほかの人々に告白し、罪を捨て、罪によって損なわれたすべてのものを可能なかぎり償い、神の戒めに従って生活する必要があります(教義と聖約58:42-43参照)。

<バプテスマ>

権能を持つ者によって水に沈められるバプテスマは、福音における救いの儀式の第一のものであり、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になるために必要な儀式でもあります。バプテスマは人が日の栄えの王国に入るためにも必要です(ヨハネ3:5参照)。

バプテスマという言葉は、「浸す」または「沈める」という意味のギリシャ語に由来しています。水に沈めるというのは、人が罪深い人生に終止符を打ち、生まれ変わって神と神の子供たちへの奉仕に献身しながら霊的に生活していくことの象徴です。また、死と復活の象徴でもあります。

地上に生まれたすべての人がこの世で福音を受け入れる機会に恵まれるわけではないため、主は死者のためのバプテスマを行う権能を授けてくださいました(1コリント15:29参照)。このことにより、霊界で福音を受け入れる人は神の王国へ入ることを許されます。

<聖霊の賜物>

人がバプテスマを受けた後、一人以上のメルキゼデク神権者がその人の頭の上に手を置き、教会の会員に確認します。確認の儀式と呼ばれるこの儀式の中で、聖霊の賜物が授けられます(ヨハネ3:5参照)。

聖霊の賜物は聖霊の影響力とは違います。人は時折、バプテスマを受ける前に聖霊の影響力を感じることがあり、そのような力を通して真理についての証を受けます。聖霊の賜物を受けると、戒めを守るかぎり、聖霊を常に伴侶とすることができるという権利が与えられます。

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「セミナリー基本的教義」7-神権

2011年11月27日 08時06分23秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その7-「神権」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第7段「神権」を送ります。

7.神権

神権は、神の永遠の権能と権威です。神権を通して神は天地を創造し、統治しておられます。この権能を通して、神は「人の不死不滅と永遠の命をもたらすために」(モーセ1:39)神の子供たちを贖い、昇栄させられます。

神の子供たちの救いのために、主の御名によって行動できるよう、神は神権の権能を教会のふさわしい男性にお与えになります。神権者は福音を宣べ伝え、救いの儀式を執行し、地上における神の王国を統治する権限を与えられることがあります。

<アロン神権>

アロン神権は、しばしば準備の神権と呼ばれます。アロン神権には、執事、教師、祭司、ビショップの職があります。今日の教会では、ふさわしい男性の会員は12歳でアロン神権を受けることができます。

アロン神権には、天使の働きの鍵と、悔い改めの福音の鍵と、バプテスマの鍵があります(教義と聖約13章参照)。

<メルキゼデク神権>

メルキゼデク神権は、より高い位の大いなる神権であり、霊の事柄をつかさどります。この大神権はアダムに与えられ、主が福音を啓示されるときにはいつでも地上に存在してきました。

初めは、「神の御子の位に従う聖なる神権」と呼ばれていましたが(教義と聖約107:3)、後に、預言者アブラハムの時代の偉大な大祭司の名を取ってメルキゼデク神権として知られるようになりました。

メルキゼデク神権には、長老、大祭司、祝福師、七十人、使徒の職があります。メルキゼデク神権の長は教会の大管長です。

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「セミナリー基本的教義」6-預言者

2011年11月27日 07時58分19秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その6-「預言者」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第6段「預言者」を送ります。

6.預言者

預言者は、神に代わって話すために神から召された人です。預言者はイエス・キリストについて証し、主の福音を教えます。神の御心と神の真の性質を知らせます。罪を非難し、罪の結果を警告します。時には、将来の出来事を預言します(アモス3:7参照)。

わたしたちは教会の大管長を預言者、聖見者、啓示者、教会全体を導くために啓示を受ける地上で唯一の人として支持しています。また、大管長会の顧問と十二使徒定員会会員を預言者、聖見者、啓示者として支持しています(教義と聖約1:38参照)。

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「セミナリー基本的教義」5-神権時代、背教、回復

2011年11月25日 11時01分16秒 | セミナリー基本的教義

シリーズ 「セミナリー基本的教義」その5-「神権時代、背教、回復」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第5段「神権時代、背教、回復」を送ります。

5.神権時代、背教、回復

<神権時代>
神権時代とは、主の福音の教義、儀式、神権を主が啓示される時代のことです。神権時代には、主から権能を受けた僕が少なくとも一人、地上に置かれます。彼は聖なる神権を保有し、地上に住む人々に福音を宣べ伝えるという神聖な任務を果たします。最後の神権時代である時満ちる神権時代は、ジョセフ・スミスに福音が啓示されたときに始まりました。

それ以前には、アダム、エノク、ノア、アブラハム、モーセ、イエス・キリストの神権時代がありました。また、ニーファイ人やヤレド人などの歴史にも神権時代がありました。

どの神権時代にも、救いの計画とイエス・キリストの福音が啓示され、教えられました。

<背教>
人々が福音の原則から離れ、神権の鍵がないときの状態を背教と呼びます。世界の歴史を通じて、社会全体が背教する時代が何度もありました。その一例は、救い主が御自分の教会を建てられた後に起きた大背教です(2テサロニケ2:1-3参照)。救い主の使徒たちの死後、人々は福音の原則を堕落させ、権能のないまま教会の組織や神権の儀式を変えました。このような悪が広がったために、主は地上から神権の権能と鍵を取り去ってしまわれました。
大背教の時代、人々は生ける預言者から神聖な指示を受けませんでした。多くの教会が建てられましたが、どの教会にも権能がなく、聖霊の賜物を授けることや、そのほかの神権の儀式を執行することができませんでした。聖書の一部が改悪されたり失われたりして、人々はもはや神についての真実の知識を得ることができなくなりました。
大背教は、天の御父と愛する御子がジョセフ・スミスに姿を現され、完全な福音を回復されるまで続きました。

<回復>
回復とは、神が地上の人々の間に主の福音の真理と儀式を再び確立されることです(イザヤ29:13-14;黙示14:6-7参照)。

回復に備え、主は宗教改革と呼ばれる時代に、高潔な人々をお立てになりました。彼らは宗教的な教義や慣行、組織を、救い主が確立された方法へ戻そうと試みました。しかし、彼らには神権も完全な福音もありませんでした。

回復が始まったのは1820年です。父なる神と御子イエス・キリストがジョセフ・スミスの祈りにこたえて、御姿を現されました(ジョセフ・スミス歴史1:15-20参照)。回復の主要な出来事の中には、モルモン書の翻訳、アロン神権とメルキゼデク神権の回復、1830年4月6日に 教会が組織されたことなどが挙げられます。

アロン神権は、1829年5月15日にバプテスマのヨハネにより、ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに回復されました。また、メルキゼデク神権は、1829年に使徒であるペテロ、ヤコブ、ヨハネによりジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに授けられました。

完全な福音が回復され、末日聖徒イエス・キリスト教会は「全地の面に〔おける〕唯一まことの生ける教会」となりました(教義と聖約1:30)。この教会はついには全世界に満ち、立って永遠に至るでしょう(ダニエル2:44-45参照)。

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「セミナリー基本的教義」4-イエス・キリストの贖罪

2011年11月25日 10時52分37秒 | セミナリー基本的教義

シリーズ 「セミナリー基本的教義」その4-「イエス・キリストの贖罪」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第4段「イエス・キリストの贖罪」を送ります。

4.イエス・キリストの贖罪

贖罪とは、罪に対する罰を受けることであり、それによって悔い改めた罪人から罪の結果を取り除き、神と和解できるようにすることです。イエス・キリストは全人類のために完全な贖罪をすることのできる唯一の御方でした。主の贖罪とは、ゲツセマネの園で人類の罪のために苦しまれ、血を流され、十字架での苦痛と死を受けられ、墓から復活されたことを指します(イザヤ53:3-5;教義と聖約19:16-19参照)。

救い主が贖罪を行うことができたのは、御自身が罪のない御方であり、死に打ち勝つ力を持っておられたからです。この世の母親から死ぬ力を受け継ぎ、不死不滅の御父から、再び生き返る力を受け継がれたのです。

イエス・キリストの贖罪を通して、すべての人は復活し、肉体の死を克服します。悔い改め、戒めに従い、救いの儀式を受け、自らが交わした聖約を守る人は、贖罪を通して霊の死を克服し、永遠の生命という賜物を受けます。

贖罪の一部として、イエスはすべての人の苦痛と病気と弱さをその身に受けられました(アルマ7:11-12参照)。御自身で経験されたために、主はわたしたちの苦しみを理解しておられます。

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「セミナリー基本的教義」3-創造と堕落

2011年11月25日 10時37分27秒 | セミナリー基本的教義

シリーズ 「セミナリー基本的教義」その3-「創造と堕落」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第3段「創造と堕落」を送ります。

3.創造と堕落

<創造>
天の御父は至高の創造主です。イエス・キリストは御父の指示の下で、天と地を創造されました。地球は無から創造されたのではなく、すでに存在する物質から組織されました。イエス・キリストは無数の世界を創造されました。

地球の創造は神の計画にとって不可欠なものでした。わたしたちは肉体を得て、試され、神聖な特質を伸ばすことのできる場所が与えられたのです。

わたしたちは知恵と思慮分別と感謝をもって地球の資源を使わなくてはなりません。

アダムは地上に造られた最初の人でした。神はアダムとエバを御自分の形に創造されました(創世1:26-27参照)。男性も女性も人は皆、神の形に創造されたのです。

<堕落>
アダムとエバが背き、その結果、霊の死と肉体の死を含む変化がもたらされたことを、堕落と呼びます。

エデンの園で、神はアダムとエバに善悪を知る木の実を食べてはならないとお命じになりました。その実を食べると、霊の死と肉体の死がもたらされるからです。霊の死とは神から離れることです。肉体の死とは霊が肉体から離れることです。

アダムとエバは命令に背き、善悪を知る木の実を食べたため、主のもとから追い出されてしまいました。つまり霊の死を経験したのです。二人はまた死すべき状態、つまり肉体の死を受ける状態となりました。

アダムとエバの子孫であるわたしたちは、この世にいる間、堕落の状態を受け継いでいます。そのような状態の中で、この世の苦難や悪魔の誘惑に試されているのです(モーサヤ3:19参照)。

堕落は天の御父の救いの計画に不可欠です。堕落には二つの面があります。つまり、肉体と霊の死を招くという消極的な面がある一方で、地上に生まれ、学び、進歩するための機会を与えるという積極的な面があります。

堕落の結果、アダムとエバとその子孫は喜びと悲しみを味わい、善悪を知り、子供をもうけることができるようになりました(2ニーファイ2:22-25参照)。

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「セミナリー基本的教義」2-救いの計画

2011年11月25日 10時10分10秒 | セミナリー基本的教義
シリーズ 「セミナリー基本的教義」その2-「救いの計画」

愛する子供たちへ

「セミナリー基本的教義」シリーズ第2段「救いの計画」を送ります。

2.救いの計画

前世において、天の御父は一つの計画を示されました。わたしたちが御父のようになり、不死不滅と永遠の命を得られるようにするための計画です(教義と聖約14:7;モーセ1:39参照)。聖典の中でこの計画は「救いの計画」、「偉大な幸福の計画」、「憐れみの計画」と呼ばれています。

救いの計画の中には、創造、堕落、イエス・キリストの贖い、福音のあらゆる律法、儀式、教義が含まれます。道徳的な選択の自由、すなわち、自分自身で選択し行動する能力も、天の御父の計画の中で欠くことのできないものです。この計画のおかげで、わたしたちは贖いによって完全になり、喜びに満たされ、神とともに永遠に生きることができ、また家族のきずなも永遠に続くことができるのです。

<前世での生活>
 わたしたちはこの地上に生まれる前、天の御父の霊の子供として御父とともに暮らしていました。前世でわたしたちは、天の御父のほかの霊の子供たちと一緒に、ある会議に参加しました。その会議で、天の御父は御自分の計画を示され、イエス・キリストは救い主になることを聖約なさいました。選択の自由という賜物を受けていたわたしたちは、天の御父の計画に従うことなど、重要な決断を下しました(2ニーファイ2:27参照)。こうして、わたしたちはさらに進歩できる地上へ来る準備をしたのです。

天の御父とイエス・キリストに従った人々は、死すべき状態という環境の中で永遠の命を目指して進歩するために、地上へ来ることを許されました。神の霊の息子の一人であるルシフェルは、その計画に反対しました。ルシフェルはサタンとなり、彼と彼に従った者たちは天から追放され、肉体を得る特権と、死すべき状態を経験する特権を受けられませんでした。

<この世の人生>
この世の人生は学びの時期であり、永遠の命を得るための準備を行い、主が命じられたことをすべて行うかどうかを示す時です。わたしたちの霊は肉体と結合し、前世ではできなかった方法で成長する機会が与えられます。

<死後の生活>
わたしたちが死ぬと、わたしたちの霊は霊界に入り、復活を待ちます。義人の霊はパラダイスと呼ばれる幸福な状態に迎え入れられます。忠実な人の多くは、霊の獄にいる人々に引き続き福音を宣べ伝えます。

霊の獄は、真理を知らずに死んだ人やこの世で不従順であった人が、死後一時的にとどまる場所です。ここで霊たちは福音を教えられ、悔い改めて、神殿で身代わりによって行われる救いの儀式を受け入れる機会が与えられます。そして福音を受け入れる人は復活するまでパラダイスに住むことでしょう。

復活は、わたしたちの霊の体が骨肉の体と再結合することです(ルカ24:36-39参照)。復活の後、霊と肉体は二度と離れることなく、不死不滅の状態になります。イエス・キリストが死を克服されたことにより、地上に生まれたすべての人が復活するようになりました(ヨブ19:25-26;1コリント15:20-22参照)。義人は悪人よりも先に復活し、第一の復活の時に出て来ます。

最後の裁きは、復活の後に起こります。各人が受ける永遠の栄光を決定するために、イエス・キリストがそれぞれの人を裁きます。この裁きは、各人が神の戒めに従順であったかどうかに基づいて行われます(黙示20:12-13参照)。

栄光の王国は3つあります(1コリント15:40-42参照)。3つの栄光の王国の中で最高の王国は日の栄えの王国です。イエスの証に雄々しく、福音の原則に従う人々は、父なる神と御子イエス・キリストとともに住みます。

第2の栄光の王国は、月の栄えの王国です。この王国に住む人々は、この世的には高潔な男女ですが、イエスの証に雄々しくなかった人々です。

星の栄えの王国は、3つの栄光の王国の中で最も低い王国です。この王国に住む人々は、地上で生活する間、正義よりも悪を選んだ人々です。これらの人々は、霊の獄から贖われた後に栄光を受けます。

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