goo blog サービス終了のお知らせ 

「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「貧しかった少女を改宗へ導いた一枚の英会話チラシ」

2012年01月24日 18時10分57秒 | 御霊に従う
愛する子供たちへ

教会のふさわしい若人たちは19才~20才になると、自らの選択の自由により、また神さまの召しと権能を受けて、この福音を宣べ伝えるために全世界へ出かけて行きます。幼い頃から一生懸命バイトをして貯めたお金を携え、あるいは家族の援助を受けて無報酬でボランティアとしてこの福音を宣べ伝えます。主が生きておられた時代の聖徒たちと同じです。

現在6万人もの若人たちが150カ国を超える国と地域において、自らの学業や仕事を後にして、1年半~2年間主の伝道の業に従事しています。これはまさに驚くべきことです。

世の多くの良識ある人々からも、「このような『世の中を知らない若造たち』が伝道に出て何が出来るんだ」との非難もたびたび浴びますが、そのような世故に長けない若い宣教師たちにより、毎年30万人を超える人々が全世界で神さまを知り、主と主の贖いに対する強い証を得てバプテスマの門をくぐります。

これは、まさに次の主の預言を成就する奇跡そのものです。

「世の弱い者たちが……肉の腕に頼ることのないよう……、すべての人が主なる神、すなわち世の救い主の名によって語るため、信仰もまた地に増すため、わたしの永遠の聖約が確立されるため、わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者によって世界の果てまで、また王や統治者の前に宣べられるためである。」(教義と聖約1章19~23節)

今日は、そのような若い宣教師として召され、伝道に励んだ友人の感動的なお話し、実際に起こった出来事について紹介します。どのような小さな幼子であれ、小さな者であれ、彼らが謙遜に捧げる義なる祈りや望みを、主はすべて御心に留められ、主の御旨に適った時期にかなえて下さるとの確信を今一度新たにしました。

<貧しかった少女を改宗へ導いた一枚の英会話チラシ>

大雪に見舞われたある晩のことです。2人の若い宣教師が、教会で行われる無料の英会話の準備をしていました。彼らは地域の方々への奉仕の一環として1週間の内の数時間をボランティアで英語を教える活動を行っていたのです。「今晩はこんな雪じゃ誰も英会話には来ないだろうね」と中止することも念頭に置きながら一人の宣教師が語りました。彼の同僚も同感だとうなずいています。

その時です。一台の車が、窓越しに教会の中へヘッドライトの光を投げ込みながら駐車場に止まりました。なんと見るもうらやましい真新しい車です。その車から20代の若い女性が降りて来て「英会話を教えている教会はこちらですか」と尋ねてきました。そして一枚のチラシを手渡したのです。なんとこれがまた非常に古い10数年前にこの教会で作られた無料英会話のチラシだったのです。

暖かい教会の中へ招かれたその女性は、事の経緯を次のように説明しました。

「幼い頃、2人の若い青年が私の家を訪れました。その時、家には両親も兄弟もおらず私だけでした。教会の宣教師だと名乗るその2人の若い青年は、私に無料の英会話について説明し、このチラシを下さったのです。10数年も前のことです。私は無料で英語を教えて下さるというその教会に殊の外興味を抱き、是非通いたいと思いました。

でも、当時家は非常に貧しく、車はもちろんないばかりか教会に通うバス賃さえも望めない状態でした。いつか大きくなって自分で働き、車を持てるようになったら必ずその教会に行くと心に決め、その英会話のチラシを宝物のように大切にしまっておいたのです。

あれから長い年月が経ちました。私は学校を卒業して就職し、一生懸命お金を貯めました。そして今日念願の私自身の車を購入したのです。あの駐車場の車は今日買ったばかりの私の車です。幼い頃の夢を果たすために、車のディーラーから真っ直ぐにこの教会へやって来ました。私に英会話と神さまのことを教えて下さいますか?」

2人の若い宣教師は大きな感動に包まれ、言葉を失いました。幼い頃から願い続けた望みと日々謙遜に祈る2人の若い未熟な宣教師の祈りが、同時にかなえられた瞬間でした。

彼女はその後、英会話を学ぶ中、この回復されたイエス・キリストさまの福音を熱心に学び、証を得て、程なくバプテスマを受けました。それからさらに働き、お金を貯め、自らも専任宣教師としての召しを頂いて1年半伝道の業に携わりました。そして、帰還後すばらしい男性と巡り会い、神殿において永遠の夫婦として結び固められたのです。現在本当に幸せな家庭を築いていらっしゃいます。

貧しかった幼い少女の胸に、主が与えられた小さな望みは、10数年の時を経て主の御手により実を結び、永遠に朽ちない大きな祝福へと膨らんでいきました。主の深い憐れみと慈しみによってなされる「奇しきみ業」は、私たち神の息子・娘らに対する、神のまさに大いなる愛の証です。

ディーター・F・ウークトドルフ管長も、次のように語っています。

「神は神聖で清く、筆舌に尽くし難い無限の愛であふれているので、わたしたちを愛してくださいます。神にとってわたしたちが大切なのは、わたしたちが優れた経歴を持っているからではなく、わたしたちが神の子供だからです。神は、わたしたち一人一人を愛しておられます。」(ディーター・F・ウークトドルフ管長、2009年11月号『リアホナ』、p.22-23)(おやじより)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

「自分の命を失う者は、それを救うであろう」

2012年01月22日 08時44分47秒 | 御霊に従う
愛する子供たちへ

出張中、上司からとても考えさせられるお話を聞き感動しました。彼の友人のひとりがボランティア活動に携わっていたとき同僚だった米国人青年の身に実際に起こった出来事です。

その青年と彼の親しい友人が雪山登山に挑戦したときのことです。極寒の中、ものすごい吹雪に見舞われて二人は遭難してしまいました。安全な場所まで移動しようと体力の限界を超えて懸命に歩き続けましたが、友人はついに命果ててしまいました。青年は、これまで感じたことのない狂おしいほどの悲しみと、死の恐怖におののきながら祈りました。

自身も今にも倒れそうな限界の中で、彼は二つの選択の間で心が揺れていました。友人の亡骸を残してそのまま安全な場所まで突き進むか、それとも……。結局その青年は、親友の亡骸をその場に残して自分だけ下山することは出来ませんでした。そして通常では考えれない行動にでたのです。すでにほとんどの体力を使い果たし限界を超えていたにも関わらず、なんとその親友の亡骸を背中に背負い、薄れ行く意識をしっかりと保てるように自らを叱咤激励しながらひたすら麓へ向けて歩き続けたのです。

その姿が、十字架を背負い、ゴルゴダの丘へ向かう主の姿と重なって、私の目に涙が溢れてきました。

やがて地元の救助隊に発見されたその青年は、病院で目を覚ましました。その彼に病院の医師が次のように語ったのです。

「あなたが、もし一人で下山していたとしたら恐らく助からなかったでしょう。あなたが友人を背負って歩き続けたことで、背中から奪われるはずの体熱を保ちあなたは助かったのです。」


「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ15章13節)

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(マタイ9章24節)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

「御霊に従い、引き延ばしをしない」

2007年11月17日 18時57分35秒 | 御霊に従う
愛する子供たちへ

七十人のドナルド・L・ホールストロム長老は次のように教えています。

「引き延ばしは、価値あることを達成するための努力から一時的に解放されるので、楽なことのように思えるかもしれません。

しかし皮肉にも、引き延ばしは、じきに罪悪感という大きな重荷やむなしさを生じます。引き延ばしをしていると、この世に関する目標も、さらに深刻なことに、霊的な目標さえも、達成できなくなるのです。

今こそ、信仰を働かせる時です。今こそ、義に専心すべき時です。今こそ、望ましくない自分の状況を解決するために必要なことをすべて行う時です。

今こそ、人類の贖い主が与えてくださった『変わる』という憐れみ深いプロセスを通じて、神と和解する時です。」

私たちにとって必要な事柄あるいはなすべき事柄をなすようみたまの促しを受けたときはすぐに従えるようにしましょう。

特に聖典を読むこと、祈ることを最優先するとき、みたまの導きを豊かに受け、その促しにすぐに応えられるようになれます。

そのように努力するなら、この世的な目標や、永遠の霊的な目標を達成する大きな助けとなります。共に心して取り組みましょう。(おやじより)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!