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「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

2014年05月09日 00時03分06秒 | 感動物語
愛する子供たちへ

 友人に紹介してもらった感動物語の数々。その中から今日もみんなにひとつの物語を紹介します。感動物語第2弾「娘を奪われてなお俺に……」です。

         「娘を奪われてなお俺に……」

 いつからだろう。
 毎年7月18日、父は会社を休む。

 母は美しい花を買って、
 二人でどこかに出掛けるのだ。

 どこへ行くんだと俺が尋ねても、
 ちょっとねとお茶を濁す。

 そそくさと礼服に着替え、それはそれは不可思議な1日が毎年続いていた。

 そんな俺ももう高校三年生。
 なんとなく教師になりたいななどと夢を持っていたが家には金がない。

 意地でも国公立に行けと親には言われてる。

 しかし今日も希望校への判定は「D」。

 むしゃくしゃしてリビングで父の煙草を一本拝借。

 火を付けた瞬間に母が帰宅した。

 最悪のタイミング……。

 母は何も言わず、メモとペンをとりだしてサラサラと何かを書いている。

「ここへ行ってきなさい。」

「は?」見たら見たこともない住所と名前。

「何で俺がこん……。」

「いいから行ってきなさい!」

 母のここまで取り乱した顔を見たのは後にも先にもこの時だけである。

 なんだってんだよ……まぁいいか、
 どうせ勉強もはかどっていないし……。

 そんな軽い気持ちで俺は書いてある住所へ向かうため電車に乗った。

 前田裕子……聞いたこともない。母とどんな関係があるのだろう。

 そこは小さなアパートだった。

 チャイムを鳴らすといくつ位だろうか、
 母よりもいくらか年配の女性が飛び出してきた。

「慶太君!?大きくなったのね!」

 親戚のおばさんかよ。

「前田裕子さんでしょうか、母から訪ねるよう言われたのですが……。」

「私は裕子の母親よ、裕子も喜ぶわ。上がってちょうだい。」

「お邪魔します。」

「裕子、慶太君だよ。」

 そこには……、仏壇と遺影があった。

 微笑むその遺影の女性は、とても可愛く優しそうだった。

「裕子、慶太君大きくなったね、良かったね。」

 おばさんは遺影に話しかけ続けた。

「あの……。」
 
 俺と母とこの人と裕子さん、接点がまるで分からない。

「何から話せば言いか……。」

 おばさんはそっとビデオを取り出した。

「とりあえずこれを見てちょうだいな。」

 それはとある日のニュース。

 キャスターは話す。

 7月18日夕方5時頃、トラックの前に飛び出したこどもをとっさにかばった女子高生前田裕子さんが意識不明の重体、病院に運ばれ間もなく死亡が確認されました。

 どうやら裕子さんは子供をかばい亡くなったらしい。

 ビデオを止めたおばさんが衝撃の言葉を発した……。

「この子供があなたなの。」

「え!!」

 全身から血の気が引いた。

 何も言えない俺におばさんは続けた。

「裕子は今のあなたと同い年だったわ。
 保育士を目指してた。
 子供が好きだったあの子の事、私は何も不思議に思わなかった。

 あなたの両親には泣きながら何度も何度も頭を下げられた。

 そんなあなたの両親に私はひとつだけ約束をしてほしいと頼んだの。

 あなたは当時2才。

 あなたにだけはこの事実を隠し通してやって欲しい。

 娘もそう願っていると……。

 だから今日あなたのお母さんから電話があった時にはびっくりしたわ。

 自暴自棄になっているあなたに
 すべてを話してやって欲しいと言うのだから。

 あなたに恩を着せるつもりはなかった。

 ただあなたが今道に迷っているならきちんと話そうと思ったの。
 
 あなたの命はあなただけのものでない。

 あなたの何気なく生きる瞬間は、

 裕子があなたに命を捨てて授けた瞬間。

 どうか真っ直ぐに生きて……。」

 いつぶりだろう。人に涙を見せたのは……。

 毎年毎年花を持ち頭を下げていた両親。

 娘を奪われてなお俺に心を馳せてくれたこの人。

 そして見ず知らずの俺のために

 18才の生涯を閉じた裕子さん……。

 たくさんの人の熱い想いが涙となり俺の頬を伝い続けた。

「すみません、
 何を話せばよいか分かりません……。」

「ならお願い。」

 おばさんは言った。

「今、受験生よね。」

「3月には素敵な報告をおばさんに
 届けてくれないかしら、
 お母さんより先に。」

 思わず見上げたおばさんはイタズラっぽく微笑んだ。

「……はい!」

 俺はおばさんの家を後にした。
 ポケットに何かある。さっきの煙草だ。
 迷わずゴミ箱に棄てた。

 それから俺はがむしゃらに勉強した。
 かなわなかった裕子さんの分まで……。

 3月。俺は走っていた。電車へと……。
 そしておばさんの家へと……。

「おばさん!やったよ!合格したよ俺!」

 その時見せたおばさんの笑顔は
 あまりにまぶしかった。

「慶太、行くわよ!」

「あぁ!」

 7月18日。

 俺は二十歳になっていた。

 裕子さん、おばさんに会いに……。

 この日は俺にとって一番大切な日となった。

☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15章12~13節)



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「無私の心で助けられた恩に、心からの愛の手で報いる信頼の絆」

2014年05月07日 00時10分21秒 | 感動物語
愛する子供たちへ

 友人からたくさんの感動物語を聞きました。お父さんは感動でたくさん泣きました。みんなにも是非分かち合いたいと思います。もしかしたら、もうすでに聞いたことがあるかもしれませんが、聞いたことのある人は、もう一度感動を新たにして下さい。今日はその中から、ひとつを分かち合います。まずは、感動物語第一弾「無私の心で助けられた恩に、心からの愛の手で報いる信頼の絆」です。

「無私の心で助けられた恩に、心からの愛の手で報いる信頼の絆」



 1890年、明治23年のこと。オスマン帝国(現トルコ共和国)の船エルトゥールル号はトルコの軍艦です。日本に戦争に来たわけではなく、友好的な外交に訪れ、横浜港に数ヶ月停泊した後帰国しました。

 しかしその帰還最中、台風による強風にあおられ、紀伊大島にある樫野崎の岩礁に激突し沈没するという大惨事が起こりました。

 乗組員のほとんどが海に放り出され、587人もの方々が死亡または行方不明になっています。

 なんとか、一命を取りとめた乗組員もいました。紀伊大島は小さな島ですので、50軒くらいしかなかった大島村の人たちは全員で救助に向かいました。

 わずかに息をしている人たちも体が冷え切っていてとても危険な状態でした。村民たちは急いで自分の服を脱ぎ、その人たちを抱きしめ、自らの体温で暖めてあげたのです。

 そして、まだ命があった69人の人たちを小学校やお寺に収容し看病しました。

 食料はすぐに底をついてしまいましたが、非常食として大切に育ててきた村民にとって最後の砦とも言える鶏を「人の命には代えられない」と全部食べさせてあげたのです。

 さらに、翌日には和歌山県知事を通じて、当時の明治天皇に連絡が入ります。すぐに日本政府をあげて救助に向かいました。

 そして生き残った69人の方々を数ヵ月後に「金剛」と「比叡」という軍艦でトルコに送り、そして義援金もお渡ししたそうです。

 この話はまだまだ序章にしかすぎません。

 時は過ぎて、それから1世紀も経った95年後の1985年、イラン・イラク戦争が起こりました。

 この時、イラクのフセイン大統領が「今から48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落す」と宣告ました。

 民間機ももちろんその範疇にあります。この宣言が出るや世界各国は驚き、自国の国民をどんどん連れて帰りました。

 日本人も215人がイランに残っていたようですが、日本政府は出遅れてしまいました。

 日本人は大パニックになりました。

 しかしながら……。

 そのタイムリミット1時間15分前に、テヘラン空港に2機の飛行機が降り立ちました。

 そして日本人全員を乗せてくれたのです。その飛行機は、なんと……トルコの民間機でした。

 なぜトルコ側が日本人を助けてくれたのでしょうか?

 元駐日大使は次のように語ったそうです。

 「95年前のエルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がして下さった献身的な救助活動を、トルコの人たちは今も忘れていません。トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号のことを知っています。それを知らないのは日本人だけです。」

 実は日本政府はどうにも打開策を見つけられず、最後の望みでトルコ政府にお願いしたのです。すると、すぐにパイロットを集めて日本人を助けに行くと言ってくれたのです。

 その時、何人ものパイロットが「日本人のためなら」と手を挙げてくれたそうです。

 こんな話を歴史の授業で教えてくれたらいいなと思います。

 実は、この話にはまだ続きがあります。

 1999年にトルコ大地震があった時に、トルコ航空で助けられた日本人が、すぐに義援金を集めてトルコに送ったそうです。

 そして今回の東日本大震災……。

 トルコはいち早く何百億円もの義援金を日本に送ってくれたのです。

  比田井和孝・美恵著
 『私が一番受けたいココロの授業』より

 心からの善意に対して、真心からの愛の手で報いる本当にすばらしいお話しです。世の中に、福音の心を行うすばらしい方々が大勢いることを知るのは、本当に大きな励みです。(おやじより)

「すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。」(マタイ25章40節 )

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