「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

離婚しないで!

2006年04月29日 12時37分40秒 | 励まし
アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは次のように語りました。

「どんな女性と連れ添うことになっても、私は全力を尽くして彼女を幸福にしてやるつもりだ。この努力が失敗すると想像するだけで、私の心は大いに曇る。」

自分の伴侶を必ずや幸せにする! との彼の強い決意が感じられとても感銘を受けました。

トーマス・W・ラデーンも次のように語っています。

「永遠の結婚とは、実際のところ、完全な進歩をめざし、ふたりで助け合って成長しようと誓約することではないでしょうか。」

ところが現在神聖なはずの結婚の誓約はいとも簡単に破られ、幸福なはずの結婚生活の多くが破綻しています。

離婚件数は昭和39年以降毎年ふえ続け、46年には10万組を超えました。

その後もふえ続けましたが、58年をピークに減り始め、平成3年から再びふえ続けています。

平成16年の離婚件数はなんと27万組超です。本当に恐ろしい数字です。

2年ちょっとで、沖縄県の全人口約130万人と同じ数の離婚者が生じてしまう計算になります。

そして、その半数と同じ数の子供たちがとても悲しい思いを一生引きずって生きることになるのです。


「父親が息子に与えることのできるものの中で、母親を愛していると伝えることほど貴いものはありません。」
            H・バーク・ピーターセン

男性の皆さん、どうぞ偉人リンカーンや上記の言葉を強く心に留めて、共に妻を愛し大切にしましょう。

「愛は盲目ではない。愛は人を盲目にするのではなく、
 より多くのことを見えるようにするのである。
 しかし、多くの長所が見えるので、
 短所はあえて見過ごすのである。」

            ジュリアス・ゴードン
            「宝の箱」チャールズ・L・ウォリス編

「指輪や宝石は贈り物ではなく、贈り物の単なる代用品に過ぎない。
 本当の贈り物はただひとつ、自らを捧げることです。」
            エマーソン

夫婦の皆さん、互いに赦し、仕え合って、幸せな夫婦関係、幸せな家庭を築きましょう。

もちろん離婚が双方にとって救いとなるケースもあるのかも知れません。でも、でもそのような最悪の結果に至ることのないよう、また子供たちの心に消しがたい傷を残すことのないように、日頃からお互いの理解に努め、感謝を述べ、赦し合い、仕え合いましょう。

「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない」のです。

            デビッド・O・マッケイ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

母の黄金言葉(クガニクトゥバ)

2006年04月28日 21時02分57秒 | 家族
あまりにも多くを失い、生きていくのさえ精一杯だった沖縄の終戦直後の厳しい時代、子育てで大変だった母を支えた珠玉の黄金言葉がありました。

母の結婚そして子育てを温かく応援してくれた近所に住むオジーたちからプレゼントしていただいたという3首の琉歌です。

昨晩実家を訪問した私に懐かしそうに紹介してくれました。

どんなに苦しい中にあっても、親子の情愛と周りの方々との温かい情を持った交わりの大切さを諭すすばらしい歌です。


(1)産し育てぃ召しょち 御恩いちまでぃん
   肝染みてぃ我身や 行かゆ御母

  (ナシスダティミショチ グウンイチマディン
   チムスミティワンミヤ イカユアンマー)

 意味:産み育てて下さった御恩はいつまでも心に染めて
    お母さん、私は嫁いでいきます。

(2)行く先や童 黄金倉建てぃてぃ
   福禄と共に 育ち給れ

  (イクサチヤワラビ クガニグラタティティ
   フクルクトゥトゥムニ スダチタボレ)

 意味:嫁ぎ先にて わが娘よ 黄金の倉を建て
    幸福の中に 健やかに育ち日々を過ごしておくれ。

(3)倉に積み余る 宝ゆい勝てぃ
   情尽しや 人間ぬ要

  (クラニチミアマル タカラユイマサティ
   ナサキチクシヤ ヒトゥヌカナミ)

 意味:ただ、倉に積み余る 宝よりも勝って
    誠と情けを尽くすことが
    人として最も大切なことですよ。


普段はステテコ姿のどこにでもいるようなオジーたちが、時代がどのように変わろうとも、変わることなく多くの人々に共感され感化を与える金言を、何気ない生活の中でとても自然に出せるというそのことに本当に感銘を受けました。

それはオジーたちの心の深さそして温かさのなせる業なのでしょう。

母が、それらが記されている古く破れかけた紙を宝物のように大切に持っている理由がよく分かります。

母はそのような方々に囲まれて本当に幸せでした。

私は「黄金言葉」が大好きです。

それは単にそれらの言葉がすばらしいということだけでなく、それらを発した人々の人柄や生きざまを垣間見ることができ、それに感銘を受けるからです。



※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的
     短詩形歌謡の総称。
     短歌形式の琉歌は、8・8・8・6 の30音からなる定型短詩です。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

子供の話に耳を傾けよう

2006年04月27日 11時01分03秒 | 
昨晩、とても含蓄のある言葉を見つけました。

ジョン・パウル・リヒターの以下の言葉です。

「父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる。」

6人の子供を抱え、父親業に悪戦苦闘中の私は色々考えさせられました。

リヒターのこの言葉は次のように言い換えることができるとも思いました。すなわち、

「父親が子供に示す関心と注ぐ愛情は、彼の子孫にも注がれる」です。


仕事が忙しくなると6人の子供に同じように愛情と関心を示し、そしてそのバロメータのひとつにもなる彼らのために時間を作るというのがなかなか難しくなります。

ただ、十分な時間をかけられなくてもいつも心がけていることがあります。

それは「子供たちの話に耳を傾ける」ことです。

もちろん時々忘れかけ、たまには失敗もしますが、以下の大好きな詩を度々読み返しつつ日々奮闘しています。

なかなかいい詩ですよ。


「子供の話に耳を傾けよう」

今日、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。

今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
さもないと いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。

子供の悩みや 要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、
どんなにささやかな行いも ほめてあげよう。

おしゃべりを我慢して聞き、一緒に大笑いしてあげよう。
子供に何があったのか、
何を求めているのかを 見つけてあげよう。

そして 言ってあげよう。「愛している」と毎晩、毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「だいじょうぶ」と言ってやろう。

子供の悪い点ばかり あげつらっていると、
そうなってほしくない人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分を成功者だと思って育つ。

今日、少し、
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。
今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻って来るだろう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

NPOアジア・チャイルド・サポート

2006年04月26日 11時41分54秒 | 奉仕
NPO法人アジア・チャイルド・サポートの代表理事である池間哲郎さんを招き、中学生・高校生とその両親を対象に特別な講演会を催しました。

モンゴルのマンホールチルドレンと呼ばれる、両親に捨てられてマンホールの中で生活する子供たちやフィリピンのスモークマウンテンでゴミの山からわずかばかりのビニルや空き缶を集めて生活している子供たちの惨状を生々しく写真や映像で紹介していただきました。

それらの多くの子供たちが、大人になれないまま、栄養失調や病気で、または事故で死んでいきます。

また、貧しい山岳民族の多くの娘たちが、家族の生活のために売られていき、売春業者の手に渡されて、本当に悲惨な生涯を送っています。その多くが、エイズに感染して、村人にも見放され孤独な死を迎えます。

世界では三秒にひとりの特に子供たちが、十分な栄養をとれないまま死んでいきます。

池間さんはそれらの子供のために、日夜粉骨砕身、私財もなげうってできることを一生懸命行っておられます。

私は、本当に大きな衝撃を受けました。

もっともっと真剣に学び、それらの子供たちの惨状を知り、理解し、自分にできる何かを真剣に行うよう努力しなければならないと痛切に感じました。

池間さんはボランティア活動を行っていくに当たって、私たちに三つの事柄をお願いしました。それは以下の通りです。

 1.悲惨な子供たち、人々の惨状を知り、理解すること。
 2.持てるわずかでも彼らのために分かつこと。
 3.私たち自身が、一生懸命に生きること。

池間さんは、感謝することはすなわち生きる力につながる、と述べられました。

今得ているすべてのことに感謝することのできる人は、一生懸命生きるようになります。

そうする時、本当の意味で、周りの人々を助けることができるようになるのです。

そのように強調されました。

何度も危険な目に遭いながらも命をかけてそれらの子供たち、人々のために働く池間さんの姿勢は、本当に力強く、信念を実行に移している人が持つ感化の力を持っています。

「親もなく 路上で暮らす 飢えた児ら 心血注ぎ 命削ぎ支う」

この歌は、貧しい子供たちを救うために文字通り命をかけて立ち働かれる池間さんへの心からの賛辞です。

私も含めて会場にいた多くの方々が、彼のように全身全霊を込めて働き、奉仕する人にならなければならないと感じました。

これらの子供たちや人々をサポートするために、とても小さなことですが、私なりにできることを始めました。

まず、支援のグループを作りその輪を広げることと、30年近く続けてきた1カ月に1日食事を抜き、浮いた食費を貧しい人々だけでなくそれらの子供たちへも分かつことです。



皆さんも是非ご協力下さい。詳しくはこちらです。

 ↓ ↓ ↓

ロゴアジアチャイルドサポートは、貧しい中でも懸命に生きる子供たちを応援します。
アジアチャイルドサポート

  (このロゴの使用は事務局の了承が必要です。ご留意下さい。)



また、以下の1クリック募金サイトへのご協力もよろしくお願いします。
募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができます。

1クリックあたり1円をスポンサー企業がクリックする人に代わって寄付してくれる仕組みになっています。

「熱帯雨林保全」や「難病のこども支援」、「環境学校支援」、「循環型農業支援」、「南太平洋諸国支援」、「シルクロード緑化支援」など数多くの国内外の支援プロジェクトを行うNPO団体に募金してくれるサイトです。

小さな善意が多くの子供たちの命を救い、自然環境を守り、また人々の自立を支援します。




http://www.dff.jp クリックで救える命がある

   ↑  ↑  ↑
こちらをクリックしてください。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

「真珠貝-異物を美しく貴い宝へ」

2006年04月25日 11時49分54秒 | 励まし
 真珠-それは女性であれば誰でもがあこがれる装飾品のひとつです。

 真珠といっても白蝶真珠や黒蝶真珠からマベ真珠、淡水真珠など様々な種類があるようですが、日本で生産される代表的な真珠といえばやはりアコヤ真珠です。

 三重、愛媛、長崎、大分、熊本県などのきれいな海でアコヤ貝を母貝として養殖されています。

 興味深いのはそれらの貝たちが美しい真珠を作る過程です。

 真珠を作る貝の中には「外套膜」と呼ばれる貝殻をつくる成分を分泌する膜があります。貝の貝殻と内臓を被っている膜のことです。

 もし貝の体内に小石などの異物が入った場合、この外套膜が真珠質を分泌して異物を幾重にもくるんで真珠層を形成していきます。養殖真珠は、この外套膜の性質を利用して作られるのです。

 ほとんどの方が知っていることとは思いますが、真珠貝はなんと自身にとってとてもやっかい物であるはずの小石のような異物から美しい宝石を作り出していたのです。

 何とすばらしいことでしょう!

 先日のブログで「天は汝の受けた艱難を神聖なものにし、それを汝の益として下さる。」私はそう信じておりますと記しました。

 さらに、艱難や苦難、試練や悲しみは、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることをオジーやオバーに教えていただきましたと記しました。

 まさにそのとおりだと思います。真珠貝の真珠作りの過程はまさにそのことを象徴しています。

 時には辛く悲しいこの人生、でもそれだからこそ真の喜びと成長を得られるのです。

 どんなに辛くても決してあきらめず、どんなに悲しくてもくじけず、どんなに厳しくても前を向いて歩み、ひとりひとり異なる「美しい人生の真珠」を私たちの内に作りましょう!

 決して投げ出さず、じっくり時間をかけて丹精込めて精進するならば必ずできるはずです!

 寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

純鉄-奇跡の素材&鉄の真の姿

2006年04月24日 01時15分02秒 | 励まし
皆さんは「純鉄」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

純鉄とは錆の原因になる硫黄やマンガンをはじめ炭素や窒素、酸素などの不純物が0.5%未満すなわち純度99.5%以上の鉄のことをいうそうです。

おもしろいことにこの純鉄は錆びにくいのです。

インドのニューデリー市郊外のクトゥプ・ミナールと呼ばれている寺院の中庭には、高さ7.5メートル、重さ6トンの、紀元415年に建てられたと伝えられる鉄の柱があります。

驚くなかれ15世紀の間ほとんど錆びずに屋外に立っているそうです。

この柱は純鉄製と言われていて、誰がどのような技術でこのような鉄を精錬し、大きな柱を造って建てたかは解明されていません。

世界の七不思議の中に数えられています。

そしてこの鉄柱の純度は99.72%ということです。


さらに最近、不純物を完全に取除く純鉄の研究が進み、99.9995%の純鉄を造る技術が開発されました。

この技術により造られた純鉄の化学的な性質は、私たちの鉄に対する常識を完全に覆すほどの特殊なものです。以下の通りです。

 1.白金のように輝き、大気中に1年以上放置しても錆びない。

 2.0.001モル濃度の食塩水に2時間浸した時、99.995%の鉄では
   錆びるが、99.999%の純鉄では錆びない。

 3.塩酸や硫酸にも溶けず、王水のみに少しずつ溶ける。

「鉄は強いが、錆びやすく酸にもろくも溶けてしまう」というのがこれまでの常識です。しかしながら、超純度の鉄すなわち本来の鉄は決してそうではないのです。

もしかしたら100%の純鉄は全く錆びず、王水にすら溶けないかも知れません。


私たち人間も、消極的な思いや行い、不純な思いや自らの良心に反する行いという不純物を取り除くことができるとするならば、超純鉄の上記3特質を身に負い、

 1.白金のように喜びで顔を輝かせ、

 2.心の錆びすなわち心の衰えを少しも覚えることなく
   すべての事柄に積極果敢に取り組めるようになり、

 3.どのような艱難や苦難にもくじけずに乗り越えて、

人生における真の成功と幸福を得られるようになるのかも知れません。


そのように考えるとき、内なる不純物を一掃できるならば、人は純鉄のように内に秘められた恐ろしいほどの可能性を引き出し、伸ばし、開花させることができるのではないかという大きな希望が湧いてきます。


私たちの身の周りにあるすべての自然物は、私たちが幸せになるためのとても大切な真理をその内に秘めていると思えてなりません。



「王水」:濃塩酸と濃硝酸とを体積比三対一に混合した黄色の発煙性液体。
     強烈な酸化剤で、通常の酸に溶けない金や白金をも溶かします。
     金属の王である金を溶かすところから命名されました。


天に真っ直ぐに伸びる竹の節-魂の節

2006年04月22日 23時49分14秒 | 励まし
私は竹が大好きです。

竹は天に向かって真っ直ぐに伸びます。

どんなに強い風にあっても、風に身を任せ、大きくしなりながらも倒れず折れません。

木の仲間であるにもかかわらず中身は空っぽ。

でも、一見弱々しそうですが、釣り竿として使われていることからも分かるように強さは半端ではありません。

同じ太さであれば、その強さは普通の木の枝の比ではありません。

いわゆる柔らかな強さです。

いったい、その強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

色々あると思いますが、私はその強さの鍵が「竹の節」にあるとかってに考えています。

伸びる度に増えていく竹の節。その節こそがどんなに風に吹かれ曲げられても決して折れることのない強さの基となっているのです。

まさに、人生の苦難を乗り越えるたびに人の魂に深く刻まれる「不屈の精神」や「自信」、「あきらめず・投げ出さずにやり抜く力」のようなものです。

私はそれを「魂の節」と呼んでいます。

そして難しい問題や壁にぶつかるとき次のように考えることにしています。

「『竹の節』のように、『魂の節』を作るチャンスがやって来た……。」

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

苦難との闘い-人生の記念碑を築く

2006年04月21日 18時14分21秒 | 励まし
今朝の記事でも触れましたが、私の娘は3歳の頃大病を患いその後10年にわたってその治療に苦しみました。

なかなか完治に至らないその病気との闘いの中、クリスチャンでもあるひとりの親友から一編の詩をいただきました。

娘のことで思い悩む私を少しでも励まそうとの温かい心遣いでした。

本当にありがたく思いました。

友は本当にいいものです。

喜びも悲しみも肩の荷も共に分かち合い共に負ってくれます。

その詩は「記念碑」というタイトルです。とても味わい深い詩です。


    「記念碑」
            作者未詳
神様は
その子供たちを地上へ送られる前に
彼らのひとりひとりに
慎重に選び抜かれた試練のはいった箱を与えられました。
彼は微笑みながら
それらの試練があなただけのものであることを約束されました。
あなた以外の誰も
それらの試練があなたにもたらす祝福を受けることは出来ないでしょう。
そしてあなただけが
それらをあなたの しもべ とするために必要な
特別な才能と能力とを持っているのです。

さあ!
未知の旅へと出かけなさい。あなたの誕生へと…
私が幕の彼方からあなたをこよなく愛していることを
決して忘れてはいけません。
私があなたに与えるこれらの試練は、
私のあなたに対する愛のしるしです。
そして
これらの試練の助けを通してあなたが築く人生の記念碑は
あなたの私に対する愛のしるしとなるでしょう。

               天父


「人事を尽くして天命を待つ」

とはとてもすばらしい言葉です。

その意味は、自らの最善を尽くして本分を果たし、あとは天の御心にすべてを委ねる、という意味だと理解しています。

ただ、この言葉に秘められた「どのような結果になろうともそれを感謝の心を持って受け入れる謙虚な心」を決して忘れることのないように努めながら、これを少しだけ変えて

「天命を信じて、人事を尽くす」

すなわち「天の御心ならば必ず大丈夫と固く信じて最善を尽くす」とき、文字通り天の御旨なら、私は大いなる奇跡を見ることが出来うると確信しました。

娘の病は、10年の長い歳月はかかりましたが、奇跡的に完治しました。

「天命を固く信じ」「決してあきらめず」「自らの最善を尽くす」とき、それが神の意であるなら必ずや天の窓が開かれ、本当に奇跡の道が開かれるのです。

またそれと同時に、たとえ私たちの願いや望みが天の御旨にかなわなかったとしても「天は汝の受けた艱難を神聖なものにして、それを汝の益として下さる。」とも私は固く信じています。

そしてその経験は、今後私たちの前に置かれるどのような試練にも真正面から立ち向かい乗り越える助けとなる「人生の記念碑」のひとつとなることでしょう。


温かく励ましてくれた親友に心から感謝しています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

母の祈り

2006年04月21日 07時41分50秒 | 家族
私の長女は今年高校2年生ですが、彼女が三歳の時、非常に重い病気にかかりました。

訪れた県立病院の専門医に診察していただいた結果、非常に深刻な進行状態であることが分かりました。

その後、自宅の近くにある国立病院の有名な小児専門医を紹介され、本格的な治療が始まりました。

ところが様々な薬物治療がなされますが、思うような成果がなかなか得られません。

当初からかなりの長期戦になることは覚悟していましたが、この種の病気の中でもかなり症状が重く、担当の医師も厳しい表情です。

ある日その担当医に夫婦で呼ばれまして、相談を持ちかけられました。

娘の症状は殊の外重く、現在の症状を抑え、抜本的な治療を施すためには入院が必要であること、その治療には副作用が伴い、完治は難しく、症状が大きく改善する確率も三分の一とのことでした。

もちろん命の危険もあります。

「どうしますか」との問いが投げかけられました。

「どうしますか。」と言われても、その治療法以外には他に打つ手はなく、そのままでは命の危険も伴います。完治は困難、症状の大幅改善の確率三分の一と言われても、もうやるしかありません。

早速、入院の手続きが取られ、特殊な治療が始まりました。

これまでの人生の中で、これほど必死に祈った経験はありませんでした。

当時五歳になる上の息子と、一歳半の下の息子を連れて実家に預けるたび、母が私たち夫婦以上の切実さで朝な夕なに必死に祈っている姿を目にしました。

二人の息子も、そのおばあちゃんの祈る背中を毎日のように見つめました。

娘は、治療期間中かなりの副作用で苦しみました。しかしながら治療は大きな効力を及ぼし、あの重い症状は徐々に引いていきました。

もちろんその後も長く治療と投薬は続きましたが、日常生活を全く問題なく送れるほどに回復しました。

担当の医師も奇跡が起こったと本当に喜んで下さいました。

普通の子供のように幼稚園に通い、そして普通の子供のように小学校へ上がりました。

私たち夫婦にとって、その平凡でごく普通のことが、本当に大きな幸せであると身に染みて感じ感謝しました。

娘が中学へ上がって間もなく、十年近く続いた治療・投薬は病気の完治と共になくなりました。

担当の医師もこれほどまでの回復は、症例が本当に少ないと手放しで喜んで下さいました。

まさに奇跡でした。

温かく支えて下さった担当の先生や病院のスタッフ、周りの方々へ心から感謝しました。

そして十年間ほとんど一日も欠かさず祈ってくれた母(おばあちゃん)には、どのように感謝しても感謝し切れません。


情愛を込めた祈りは奇跡を生むとは月並みな表現かもしれませんが、私たちにとっては本当に重い言葉です。


 「子や孫の 幼心に 焼き付くは 祈るオバーの 小さな背中」

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!

「父の禁煙」

2006年04月19日 12時40分56秒 | 家族
20数年も前のことです。私が大学受験へ向けて必死に勉強していた浪人時代のある日、1日2箱のたばこを吸っていた父が、まさに突然きっぱりとそれを止めたのです。

家族一同はもうびっくり! もちろんみんな一様に大歓迎です。

「父ちゃん、たばこ吸い過ぎると身体によくないよ~。もう止めたら。」

日頃から父にそのようにしつこく禁煙を勧めていた私などは、内心

「俺の再三の禁煙攻勢がついに功を奏したぜ!」

と得意満々でした。

ところが、その私の高慢な高い鼻が完璧にへし折られたのは、それから何年もあと、私が結婚して、最初の息子が生まれた時でした。

父親になった私に、母が懐かしそうにこう話したのです。

「吉隆、あなたが浪人の頃、父ちゃんたばこ止めたでしょ。なぜだったかわかる?」

「そりゃあ、父ちゃんの健康を考えて、みんなが執拗に禁煙勧めたからでしょ。」

すると母は優しく曰く、

「もちろんそれもあるし、父ちゃん自身の健康のためでもあるけれど、一番の理由は、あなたが大学に受かるように願をかけて苦しいニコチン中毒をものともしないで止めたのよ……。
あなたもこれから一児の父親、父ちゃんのあなたに対する愛情をいつも心に留めながら、子育て頑張ってね。もちろん無理はしない自然体で……ね。」

大ハンマーで頭を思いっきり殴られたような気がしました。

同時に、ニコチンの禁断症状で、いらだつ気持ちを抑えようと必死にあめ玉をしゃぶったり、ガムをかんだり、禁煙パイプのようなものをくわえて気を紛らわそうとする父の姿が思い出され、胸がとても熱くなりました。

やがてこぼれそうになる涙を母に悟られまいと本当に必死でした。

親というものは本当にありがたい存在です……。


それからの約20年間、今に至るまで、私は酒・たばことはきっぱりと縁を絶ちました。

父から受けたおそらく返すことの出来ない深い愛情と恩に、父のように自分の子供たちの幸福を願い努め励むことによって少しでも報いられるように……。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ 「にほんブログ村」
お役に立てたらクリックお願いしま~す!