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「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「選択の自由に対する神の永遠の聖約と人類に対するイエスの永遠なる完全な愛」

2014年07月10日 16時46分20秒 | 選択の自由
愛する子供たちへ

 主の十二使徒であったニール・A・マックスウェル長老は、聖典を熱心に研究し、福音を忠実に実践する中で得られた「選択の自由」と「主の完全な愛」についての強い確信を次のように語っています。

 イエス・キリストの福音について深く研究すればするほど、私は、選択の自由に対する主の思いが測り知れないほど深いものであり、私たちの想像を絶するものであることがわかってきました。また人生を良く生きてくれば、それだけ、私たちに対するイエスの完全な愛がこの上ないものであることを感じられるようになりました。事実、選択の自由に対する神の永遠の聖約と人類に対するイエスの永遠なる完全な愛との間には相互作用があります。その相互作用が忍耐の美徳の上に高い価値を置くのです。この方法によらずして、真の成長の道はありません。」(ニール・A・マックスウェル長老)

 御父は、私たち一人一人を文字通り御自身の尊い息子・娘として深く深く愛しておられます。

 しかしながら、私たちが永遠に続く真の幸福と喜びを得るために、良きことを行うよう強制されることは決してありません。

 むしろ深い慈愛を持って私たちに真理をお教えになり、その義しい原則(戒め)に従って歩み、それに伴う祝福と喜びを得るよう切に願っておられます。また計り知れない忍耐を持ってそれを促して下さるのです。

 神が創造されたすべてのものは、作用するものと作用されるものに分けられます。(2ニーファイ2:13-14参照)天の御父の息子、娘として、わたしたちには、選択の自由という賜物、つまり個々に行動する能力と力が与えられています。選択の自由は英語ではagency〔エージェンシー〕と呼ばれています。このagencyには、本来「作用」という意味があります。すなわち、選択の自由(agency)を与えられている私たちは、みな作用する者(英語ではagent〔エージェント〕)です。つまり受け身でいるだけではなく、主体性を持つことがまず必要であり、霊的な知識を得て応用するときは特にそうしなければなりません。

 信仰から学ぶことと経験を通して学ぶことは、御父の幸福の計画の中核を成す二つの特色だと言われています。救い主は贖罪によって道徳的な選択の自由を守られ、人が信仰によって行動して学ぶことを可能としてくださいました。御父の計画に逆らったルシフェルは、人の選択の自由を奪うことによって、わたしたちを受け身でしか学べない者にしようとしたのです。

 天の御父がエデンの園でアダムに次のように言われました。「あなたはどこにいるのか。」(創世3:9)御父はアダムに対してなぜそのような質問をなさったのでしょうか。御父はアダムがどこに隠れているのか知っていたはずです。にもかかわらず、そうお尋ねになったのはなぜでしょうか。愛と知恵に満ちた御父は、御父の子供たちがただ受け身で学ぶのではなく、主体性をもって学習できるようにされたのです。御父は、わたしたちの多くがついそうしてしまうような、不従順な子供への一方的な説教はされませんでした。御父は、アダムが主体性をもって行動し、選択の自由を適切に使って学ぶことができるように助けられたのです。

 預言者ジョセフ・スミスも次のように語りました。

「私は人々に義しい原則を教え、自らを治めさせる。」

 御父は、まさに私たちに聖典や預言者の教えの中にある永遠の真理を主体的に学び、選択の自由を正しく行使する中でその永遠の真理によって自らを治め、御父のみ心を実践する中で得られる喜びと成長を得るよう願っておられるのです。イエス・キリストへの真の信仰は神の御心を実践する力を与えます。それは、まさしく行動と力の原則なのです。

 救いに至るイエスキリストの完全な福音の真理を知り、御父や主に対する心からの愛と感謝の念から、自らの選択の自由を正しく行使し、その完全な真理を生涯に亘って実践することは、私たちにとって最も大切な務めであり特権です。それは真の成長と喜びの鍵であり、永遠の生命へ至る真の道です。

 忍耐と信仰をもって日々正しい選びをなし、よりよく生きる中でさらに御父の愛を感じ知ることが出来るよう、また真の喜び平安を得られるよう心から祈っています。

 この地上に住むすべての人は、神から深く愛されている大切な神の息子・娘です。神はすべての息子娘が永遠の完全な幸福を得てほしいと切に望んでおられます。それ故にこの末日の世に黙示者ヨハネに示された永遠の完全な福音と神権をこの地上に回復されました。(黙示14:6~7)すでに亡くなられた先祖の方々も含め、主を受け入れて、その教えに忠実歩むすべての神の息子・娘たちが神のみ元へ戻ることができるよう、必要な完全な真理を私たちに知らせるためです。

 お父さんはすべての人々がこの回復されたイエス・キリストの完全な福音を知り、その真理に基づいた教えに従って永遠の幸いを得てほしいと心から切に願っています。(おやじより)

<福音の回復に関する記事>

1.「初期のイエス・キリストの教会」
2.「回復されたイエス・キリストの教会」
3.「神権と神権の鍵の回復-主の教会を導く神の権能」
4.「モルモン書-イエス・キリストについてのもうひとつの証」

 以下のサイトで、回復されたイエス・キリストの教会について知ることができます。以下の画像もしくはテキストをクリックして下さい。

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「選択の自由[Free Agency]」

2011年12月08日 10時15分58秒 | 選択の自由
愛する子供たちへ

「Agency(エイジェンシー)」という英語があります。この単語には色々な意味がありますが、そのひとつに「作用」という意味があります。

「Free Agency(フリーエイジェンシー)」という使われ方をする場合、それは「選択の自由」と訳されますが、なぜ(直訳すると)「作用を及ぼす自由(Free Agency)」が日本語の「選択の自由」になるのでしょうか。

「Agency」とは、前述のように周りの人や物に及ぼす作用もしくは影響です。「Free Agency」とは、周りの人により良い影響や作用を与えることのできる人となれるように、神の御心のままに自らを変えるためのより良い事柄を選ぶ自由と言えるかもしれません。

すなわち「選択の自由」とは、単に自分の好きなことを好きなようにやる自由ではなく、神様の御心を主体的に学び、行い、世の人々に良い影響、良い感化の力を及ぼせるように「する」自由あるいは「なる」自由なのです。

周りの人々のよき模範となり、良い影響を与えられる良い主の弟子になれるよう、また神様により近くあれる自分となれるよう、日々義しい選びをし、自らを変えられるよう最善を尽くしましょう!これこそが、「Free Agency(選択の自由)」を真に正しく行使することにつながるのだと確信しています。(おやじより)

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「怒らないという選択をする」

2011年11月16日 06時59分04秒 | 選択の自由
愛する子供たちへ

仏教の創始者である仏陀は次のように語っています。

「怒りにしがみついているのは、誰かに投げるために真っ赤に燃えている石炭をつかむようなもの……火傷するのは自分自身だ。」

また、スイスの有名な哲学者カール・ヒルティも次のように述べています。

「人から受けた不正をいつまでも思い続けることは常に有害であり、そのうえ、たいていは無益でもある。そういう考えを急いで払いのけて、そのために元気を失わないようにするのが、一番よいことである。」

まさにその通りです。

怒りというのは人が私たちに与えるのではなく、私たちが「怒る」という選択をした結果だと教会幹部は教えています。七十人のリン・G・ロビンズ長老は次のように語っています。

「わたしたちは怒りを『やめる』ことができます。なぜならば主がそのように教え、命じておられるからです。

怒りとは、自制心を放棄することにより、サタンの影響下に身を置くことです。それは心の中で犯す罪であって、やがて憎しみの気持ちや行動へと発展していきます。

また、それは高速道路でほかの運転者に怒りを向ける起爆装置であり、スポーツ競技場での激高した姿であり、家庭内暴力となって表れています。

抑制されない怒りはいとも簡単に、残酷な言葉があふれ出る引き金になったり、感情的虐待の様々な形態へと化したりして、人々の純粋な心に傷跡を残します。」(「選択の自由と怒り」『聖徒の道』1998年7月号、87)

選択の自由を意味する英語の「Free Agency」の「Agency」には、本来「作用」という意味があります。

選択の自由とは、自らの主の御心に適わない決定やそれに伴う選択により、周りの環境や周りの影響力に作用されるのではなく、神さまの御心を深く理解し、その御心に適った正しい選びをすることにより、周りのものにより良い「作用」を及ぼす自由という意味です。

神の御心に添わないものを選択し、他のものから「作用」を及ぼされる決定や選択をする自由ではないのです。

真の選択の自由を行使し、日々怒らないという選択をしましょう。

どのような状況にあっても「闇を気に留めない」「ネガティブな思いを持たない」「怒らない」という選択をする時、私たちはイエス・キリストさまに近づくことが出来るようになることでしょう。

たやすくはありませんが、常に意識して努めるならば、また神さまの助けがあれば不可能でもないと思います。頑張りましょう。(おやじより)

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「選択の自由と神の深い愛」

2007年11月28日 07時24分48秒 | 選択の自由
yamazaki01.jpg愛する子供たちへ

ニール・A・マックスウェル長老は、聖典を熱心に研究し、福音を忠実に実践する中で得られた強い確信を次のように語っています。

「イエス・キリストの福音について深く研究すればするほど、私は、選択の自由に対する主の思いが測り知れないほど深いものであり、私たちの想像を絶するものであることがわかってきました。

また人生を良く生きてくれば、それだけ、私たちに対するイエスの完全な愛がこの上ないものであることを感じられるようになりました。

事実、選択の自由に対する神の永遠の誓約と人類に対するイエスの永遠なる完全な愛との問には相互作用があります。その相互作用が忍耐の美徳の上に高い価値を置くのです。

この方法によらずして、真の成長の道はありません。」
(ニール・A・マックスウェル)

神さまは私たち一人一人をご自分の尊い息子娘として深く深く愛しておられます。

しかしながら、私たちが真の幸福と喜びを得るために、良きことを行うよう決して強制されることは決してありません。

むしろ深い慈愛を持って私たちに真理をお教えになり、その義しい原則(戒め)に従って歩み、それに伴う祝福と喜びを得るよう切に願っておられます。また計り知れない忍耐を持ってそれを促してくださいます。

預言者ジョセフ・スミスは「私は人々に義しい原則を教え、自らを治めさせる」と語りました。

神さまは、まさに私たちに聖典や預言者の教えの中にある永遠の真理を学び、選択の自由を正しく行使する中で自らを治め、喜びを得られるように願っておられるのです。

忍耐と信仰をもって日々正しい選びをなし、よりよく生きる中でさらに神さまの愛を感じ知ることが出来るよう頑張りましょう。そして真の成功と喜びを得ましょう。(おやじより)

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