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「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「暖かい春の心」

2011年11月22日 12時40分08秒 | 
愛する子供たちへ

鮫島輝明氏のすてきな言葉を見つけました。以下に紹介します。

   「心の四季」

人に接する時は 暖かい春の心
仕事をする時は 燃える夏の心
考える時は 澄んだ秋の心
自分に向かう時は 厳しい冬の心
心は形を整え、形は心をつくる
       鮫島輝明


人や自分に向かい、物事に当たる時のとても大切なポイントが述べられたすばらしい言葉です。

ただ、自分に向かう時厳しすぎてもいけません。以前紹介した山崎房一氏の次の言葉も心に留めておきましょう。

「自分に百点満点をつけよう。自分は四十点だな、と思っても無理して百点をつけていると自然に自分の古い殻が破れて、新しい自分に変わる。」

いずれにしても柔和で謙虚かつ「春のような温かな心」で周りの人や自分自身に向かい、あるいは接することができたら、私たちはもっともっと神さまの恵みと祝福を実感できるようになることでしょう。一緒に頑張りましょう。(おやじより)



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わが家の「新悪魔撃退法」

2011年11月14日 06時38分38秒 | 
愛する子供たちへ

以前に友人から「悪魔撃退法(あくまげきたいほう)」なるものを教えて頂きました。

みんなにかなりウケたので、お父さんも自分なりの撃退法を考えてみんなに紹介しましたね。

自分では最高だと思ったのですが、みんなのウケがあまり良くありませんでした。みんなにとっては単なる「おやじギャグ」にしか過ぎず、口に出す際の言葉のリズム感も今イチだったのかも知れません。

そこで「家庭の夕べ」の時に、サタンの誘惑を退ける方法をみんなで知恵を絞って話し合い、練りに練ったリニューアル版「新悪魔撃退法」を作成しました。

「完全におやじギャグの延長だ!」などと野次も飛んできそうですが、わが家ではことある度に復唱することにします。

しっかりと心に染み込ませ、実際に何度も実践して自分のものにできるまで努力するならば、サタンの誘惑を完全に退け、イエス・キリストさまにまみえる準備ができること請け合います。お互いに頑張りましょう!

 1.「新」:信仰堅固に主に倣う。
 2.「あ」:愛ある言葉と行い示す。
 3.「く」:くじけずに、悔い改めて日々変わる。
 4.「ま」:負けずに、怠けず、やり通す。
 5.「げ」:元気で笑顔を絶やさない。
 6.「き」:希望を保って、教会集う。
 7.「た」:互いに赦し、助け合う。
 8.「い」:いつでも祈り、主に頼る。
 9.「ほ」:本気で聖典研究する。
 10.「う」:うそや不平は言いません。

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「主にすべてを捧げる」

2011年10月03日 09時31分08秒 | 

愛する子供たちへ

次のマックウェル長老の言葉は、彼が亡くなる直前のメッセージです。すなわち彼の遺言といっても良いでしょう。ですから万感の思いが込められたとても大切なメッセージです。

「率直に言って、何であってもすべてをささげないとき、わたしたちは自らの可能性を裏切ることになります。

したがって、『主よ、まさか、わたしではないでしょう』と尋ねる必要はないのです(マタイ26:22)。それよりも、わたしたち個人のつまずきの石について、『主よ、これですか』と尋ねましょう。

わたしたちはずっと前からもう答えを知っていて、必要なのは主の御言葉よりも自分自身の決意なのかもしれません。

神の寛大な計画における最高の幸福は、進んで最善を尽くし、神の荘厳な王国への旅路を進むために必要な代価を進んで支払う人々のために、最後まで取っておかれるのです。(2008年12月号「リアホナ」p.24)」

1847年7月24日、末日聖徒の開拓者たちが、苦難の旅の末、初めてユタ州ソルトレークに入植しました。そのことを記念して設けられた7月24日の「開拓記念日」には、世界中の末日聖徒の教会員がそれぞれの地において大、中、小規模の記念行事を行います。

1996年7月23日その「開拓者記念日」の前日、すべてを主に捧げ、多くの苦難を乗り越えながらアメリカ西部へ進んでいった開拓者たちの信仰や決意、犠牲に思いを馳せながら、ひとつの歌を作りました。以前にも紹介したと思いますが、以下に記します。

開拓者たちの並々ならぬ決意と信仰、そして犠牲の精神が、彼らの悲哀と共に伝わってくると思います。



    「開拓者-信仰の眼もて」

      作詞・作曲:お父さん

1.道なき道を一歩ずつ 切り開き進む
  不屈の勇気・決意持ち 信仰込めて
  主の預言者が指し示す 約束の地
  信仰の眼もて 仰ぎ見 つき進む
  すべてを主にゆだねて 捧ぐ 開拓者

2.雪の荒野 死の谷を 耐え忍び進む
  すべてを失い 死すとも 信仰込めて
  主の預言者が見はるかす 安息の地
  信仰の眼もて 築くべく つき進む
  すべてを御心のままに 捧ぐ 開拓者

3.後に続く人のため 道を切り開く
  熱い決意胸に秘め 信仰込めて
  開拓者らが 築き残した 永遠の遺産(とわのゆずり)
  信仰の眼もて 手に受け 守り伝える
  すべてを主に捧げて われら開拓者

  開拓者らが 示す生きざま 心に刻み
  信仰の眼もて 伝え行く 今に 後に
  すべてを主に捧げて われら開拓者
  われら開拓者



私たちもマックスウェル長老がおっしゃるように、また古の開拓者たちが私たちにその模範を示してくれたように、永遠の生命、すなわち、家族と共に永遠に神様の御前で住める大いなる祝福を心にしっかりと留めて、主にすべてを捧げて仕えられる人となれるよう心と思い、力を尽くして努めましょう。(おやじより)

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友達はいいもんだ_3-「真の友」

2006年05月08日 12時02分03秒 | 
今日は「友達はいいもんだシリーズ」第3弾をお届けします。


先日紹介した詩「すてきな友達」「ケサラの歌」でも分かるように親友とは本当にすばらしいものです。

喜びも悲しみもすべてを分かち合い、時には叱咤激励し、互いにより高い目標をめざして切磋琢磨します。

良き友は人生の本当に大きな宝です。

その良き友、すなわち真の友についてのすてきな詩があります。皆さんも読み味わって下さい。

私をいつも支えてくれる親友たちに贈ります。


   「真の友」


真の友とは、死の床に伏しているときにそばにいてもらいたい人である。

真の友とは、また元気でいるときにも共にいたい人である。

真の友とは、問題があるときに自然に相談を持ちかけたくなる人である。

真の友とは、良い知らせを聞いていちばん先に喜んでくれる人である。

真の友とは、問題が解決したときにいちばん先に報告したい人である。

真の友とは、他の人には打ち明けたくないことも打ち明けたい人である。しかし、それでいて私の心の秘密を詮索しようとしない人である。

真の友とは、心が痛むときに頼りにしたい人である。しかし、頼りにしてもそれを利用しない人である。

真の友とは、倒れ伏しているときに、横でひざをかがめてくれる人である。しかし、元気に立ち上がったときにはひざをかがめたことなど忘れている人である。

真の友とは、悲しいときにすがって泣ける肩をもっている人である。しかし、うれしいときには、いっしょに、思いっきり笑ってくれる人である。

真の友とは、苦しんでいるときに、彼のほおにも幾筋かの涙の航跡が見える人である。しかし、喜んでいるときに、その目にキラッと輝く星の見える人である。

真の友とは、慰めの言葉に痛みの震えのある人である。しかし、共に喜ぶ声にはメロディーのある人である。

真の友とは、長所をよくほめてくれる人である。しかし、欠点もよく忍んでくれる人である。

真の友とは、たとえ失敗しても少しも軽侮の色を示さない人である。しかし、失敗をくり返さないように助言を忘れない人である。

真の友とは、成果をあげたときには誇りに思ってくれる人である。しかし、失敗に終わっても恥には思わないでくれる人である。

真の友とは、成功を助けてくれる人である。しかし、その助力を主張しようとしない人である。

真の友とは、喜ばせれば満足に感じてくれる人である。しかし、失望させてもけっして恨まない人である。

真の友とは、痛いことでも言ってくれる人である。しかし、痛いことを言われてもおこらない人である。

真の友とは、おりいっての頼みごとをしてくれる人である。しかし、それをしてくれても恩着せがましさが全くない人である。

真の友とは、少しでも人の重荷を軽くしようとして助けの手を伸べる人である。しかし、それをさせてもらった事を特権としか感じない人である。

真の友とは、もてるものを与えつくす人である。しかし何を与えたか記録などもっていない人である。

真の友とは、すべての人に最悪のことを言われているときにも、最善のことを言ってくれる人である。


すべての人は、こんな真の友を少なくも四人はもつ必要がある。

そして、少なくも四人の人に対してこんな真の友になる必要がある。

ああ神よ、わたしをこのような真の友になさせたまえ。

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友達はいいもんだ_1-教室のペンキ塗り

2006年05月06日 16時01分25秒 | 
高校時代の友人たちはみんな気持ちのいいやつばかりでした。

高校生活3年間のクラスの仲間たちとの青春の思い出は、本当に数多く、私にとってそのひとつひとつが大切な宝物です。

私は沖縄県立普天間高校の30期生ですが、3年13組のあのクラスで過ごした1年は、私の人生で最高のひとときのひとつでした。

走馬燈のように蘇る多くの良き思い出がまさに凝縮された1年間です。

今日は良き青春の思い出「教室のペンキ塗り」を紹介します。

28年前の5月、ちょうどこの時期の懐かしい思い出です。

理科ビルの隣に建っていた私たちの校舎は、今ではもう新しい校舎になっていますが、当時はかなり古く、1階部分に4クラス、2階部分に同じく4クラスの2階建てになっていました。

何よりも大変だったのが、戸袋に潜んでいる数十匹のガジャン(蚊)。毎朝雨戸を開けるたびにその数十匹(夏場は百匹以上)のガジャン(蚊)が一斉に総攻撃を仕掛けるため、もうたまりません。

そこで気心知れた数人の男子生徒を招集し、共に作戦会議を開催。すったもんだの挙げ句、女子に内緒で(驚かせるため)教室全体のペンキを塗り直そうと決定しました。

密かに打診した男子生徒全員が、なんと二もなく賛成してくれたのです。涙が出そうになる位感動しました。

早速担任の先生と用務員のおじさんを通じ、校長先生に交渉。なぜかすんなり了承をいただき用具とペンキを準備していただきました。

5月中旬の土曜日と日曜日、男子生徒全員が朝早くから教室に集まり、にぎやかにペンキ塗りの決行です。

例の戸袋から雨戸や内壁、外壁、廊下の天井や柱まで一生懸命塗って新ピカピンです。

22人の元気有り余る男子生徒が力を合わせたものですから、2日間で3年13組の教室だけが全くの新築同様になりました。

翌月曜日の朝、女子生徒たちをはじめ先生方や全校生徒のあの驚きの顔を決して忘れません。

特に同じ校舎の他のクラスのみんなの驚きの顔は本当に最高でした!

ガジャン(蚊)もほとんどいなくなり、五月病の症状を呈する仲間も皆無でまさに快適な学校生活の再スタートです。

さらに、出し抜かれたと感じた他のクラスの全男子生徒が立ち上がり、それぞれにペンキ塗りを始めました。

6月末頃までには、学生だけでひとつの校舎のペンキ塗りを完成させ、リニューアルさせてしまったのです。

青春を謳歌するとはまさにこのことだと自ら納得し、すがすがしい気持ちで一杯でした。

同じ気持ちになれる友や仲間がいるということは本当にいいものです。

ペンキ塗りを提案したとき、みんなが心をひとつにしてくれなければ、決してあのようなことは起こりえなかったと思っています。

気持ちが分かり合える友達は本当に大切な宝物です。


卒業式を終えたクラスの分散会の時、私はオリジナルの曲を作りギターをつま弾きながらみんなに感謝を込めて歌いプレゼントしました。

以下に紹介します。皆さんも味わいながら五月病を吹き飛ばして下さい。

吹き飛ぶかな……?


  「わがクラスいつまでも」

         作詞・作曲 安里吉隆

1.暖かな日差しが 校庭を包み
  桜の花も ちらほら咲き出した
  屋根の上では 子猫がうたた寝をしてる
  とてものどかな 春の昼下がり
  なのに日向で語らう みんなの声が
  以前のようには 弾まない
  教室では 想い出作り 授業なんて上の空
  ああ 学生時代も もうあとわずか

2.共に過ごした日々が 一陣の風と
  肩を並べて 通り過ぎて行く
  数々の想い出が 走馬燈のように
  脳裏を 楽しく 悲しく駆けめぐる
  ラララ 服まで真っ白ペンキ塗り
  みんなで応援 陸上 *1
  ちょっぴり涙の 学園祭
  笑いだらけの クリ年会 *2
  ああ 青春の想い出を 宝石箱の中へ

  *1 校内陸上競技大会 
  *2 クラスのクリスマス&忘年会

3.たとえ ひとりびとりの歩む道が
  違ってて みんな 遠くに離れていても
  そして その道が長く 険しくて
  ひとり 涙を落としそうになったとき
  決してくじけちゃいけない ひとりじゃないさ
  みんなの心はひとつさ みんな気持ちのいい奴ばかり
  淋しさなんて 雲の上
  ああ わがクラス いついつまでも

  ラララ……………………………………

  ああ わがクラス いついつまでも

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歌はいいもんだ-すてきな友達

2006年05月01日 09時08分48秒 | 
先日のブログで紹介した小6の息子からもらった楽譜綴りの中より、もうひとつすてきな歌を紹介します。

「すてきな友達」と題する歌です。

息子の小5の時の担任の先生が選んで子供たちに紹介した歌の中のひとつですが、その楽譜綴りの中は、先生のすてきな感性と子供たちへの温かな思いや望み、励ましが感じられるいい歌で満ちています。

そのような温かい目で息子たちを教え育んで下さった先生に心から感謝しております。


   「すてきな友達」

             梶原千鶴子

  人はみんな だれでも
  一人では生きていけないから
  いつもすてきな友達と
  この手を つなぐのさ

  悲しいときも 仲間がいれば
  つらくはない
  苦しいときも 仲間がいれば
  つらくない

  ぼくも きみも ときには
  真っ暗やみに落ちて とまどうから
  いつもすてきな友達と

  愛と仲間 それさえあれば
  つらくない
  愛と仲間 それさえあれば
  つらくない


このようなすてきな歌に出逢うたびに、私はなぜか青春時代の懐かしい記憶を呼び覚まされます。

あの頃歌った同じようなすてきな歌を思い起こしつつ、共に泣き笑い、共に学び遊び、共に青春を謳歌した仲間たちとの思い出が次々と脳裏を巡って本当にすがすがしい思いになるのです。

そこで、友人のひとりが「ケサラの歌」をもじって作った替え歌、仲間が集まれば必ずギターをつま弾きながらみんなで歌った歌も以下に紹介します。

これもなかなかいい歌ですよ。


   「ケサラの歌」


1.君は何に 傷つき
  ひとり うつむいているのか
  さあ顔を上げて わらってみせて
  明るい君が 好きさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  つらく 淋しい時には
  休みにおいで みんなの所に
  僕らは永遠(とわ)の友だち

2.大きな声で 笑おう
  大きな声で 泣こう
  そう自分を真直ぐ 見つめて歩こう
  二度と 帰らぬ今を

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  強い愛で 結ばれた
  私にはあなたが 君には僕が
  そうさ みんながいるさ

3.世間が 何を言おうと
  どんなに 非難を浴びようと
  僕は君を 信じているよ
  君はひとりじゃないさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  光り輝く あの星を
  めざして 僕らは生きているんだ
  今日も 明日も いつも

 ※印を順を追って繰り返す

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子供の話に耳を傾けよう

2006年04月27日 11時01分03秒 | 
昨晩、とても含蓄のある言葉を見つけました。

ジョン・パウル・リヒターの以下の言葉です。

「父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる。」

6人の子供を抱え、父親業に悪戦苦闘中の私は色々考えさせられました。

リヒターのこの言葉は次のように言い換えることができるとも思いました。すなわち、

「父親が子供に示す関心と注ぐ愛情は、彼の子孫にも注がれる」です。


仕事が忙しくなると6人の子供に同じように愛情と関心を示し、そしてそのバロメータのひとつにもなる彼らのために時間を作るというのがなかなか難しくなります。

ただ、十分な時間をかけられなくてもいつも心がけていることがあります。

それは「子供たちの話に耳を傾ける」ことです。

もちろん時々忘れかけ、たまには失敗もしますが、以下の大好きな詩を度々読み返しつつ日々奮闘しています。

なかなかいい詩ですよ。


「子供の話に耳を傾けよう」

今日、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。

今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
さもないと いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。

子供の悩みや 要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、
どんなにささやかな行いも ほめてあげよう。

おしゃべりを我慢して聞き、一緒に大笑いしてあげよう。
子供に何があったのか、
何を求めているのかを 見つけてあげよう。

そして 言ってあげよう。「愛している」と毎晩、毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「だいじょうぶ」と言ってやろう。

子供の悪い点ばかり あげつらっていると、
そうなってほしくない人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分を成功者だと思って育つ。

今日、少し、
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。
今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻って来るだろう。

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歌は本当にいいもんだ-青春時代の思い出

2006年04月16日 12時27分14秒 | 
昨日の歌にまつわるブログに引き続き、今日も歌に関するブログ第二弾です。


高校2年生の2学期、クラスメイトに推されて学級委員長に選ばれました。

その頃のわがクラスには色々な問題があって、みんなの気持ちも暗く互いにぎくしゃくした状態が続いていました。

何らかの手を打たなければ、楽しいはずの学校生活がまさにブルー一色です。

ある放課後、私も含めて3人の気心知れた有志が集まり対策を練りました。色々知恵を絞り秘策を模索する中、クラスの歌を作り毎朝のホームルームの時間にみんなで歌おうということになりました。

私が歌詞を考えて黒板に記し、友人のひとりがギターで曲を付けてくれました。

曲名は、ちょっと気恥ずかしいのですが、「歩もうぼくらの青春」です。

皆さんにその歌詞を紹介するのはもっと気恥ずかしいのですが、ちょっと勇気をふるって以下に記します。

ちょっと青臭いところは若者の純真さから来るものと片目をつぶってやって下さい。


   「歩もう僕らの青春」

普天間高校2年6組のクラスの歌
1976年9月(高校2年の秋)作詞

1.悲しみにふさぐ時 ひとりで泣くのはやめよう
  みんなの笑顔があって みんなの声が聞こえる
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 手を取り合って
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

2.嬉しさにはずむ時 分かち合おう喜びを
  みんなの愛があって みんなの瞳が輝く
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 心を結び
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

3.さあ みんなシオンに集い
  固いひとつのスクラム組もう
  そして進もう 力の限り 僕らの星をめざして
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 肩よせ合って
  歩もう限りない 僕らの輝く青春を

  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 手を取り合って
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

  歩もう限りない 僕らの輝く青春を


担任の先生にお願いして、毎朝のホームルームで5分ほど時間をいただき、私たち3人で音頭を取って歌いました。

最初小さかったみんなの声も次第に大きくなり、沈んでいた顔もいい顔になり、クラスの中に以前の明るい雰囲気が戻っていきました。

進級までの半年間毎朝心合わせて歌う中、みんなの心もひとつとなり本当に仲のよい明るいいいクラスになりました。

教壇をステージに替え、全クラスの同年生たちを招待してのコンサートもたびたび開催したりもしました。

歌が、言葉を越える力-人の心をひとつに結ぶ力があるというのは確かです。

歌は本当にいいもんです。


青春時代の懐かしく嬉しい記憶の1ページでした。

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「ねぇ 歌おう」

2006年04月15日 15時28分59秒 | 
昨晩、古い教科書や資料を整理していた6年生になる息子が、処分しかねていた学校の音楽の資料を携えて私のもとへやって来ました。そして息子曰く、

「お父さん、これ5年生の時に音楽で使った楽譜や歌詞なんだけど、捨ててもいいかな。」

「もういらないの。」

「うん。でもちょっともったいない気もして迷っているんだけど……。」

「どれ、お父さんも見てみよう。」

と手にして10数枚の印刷された楽譜や歌詞に目を通すと、なんとすてきな歌、歌詞の数々。思わず感動して、

「まさとが要らないんならお父さんもらってもいい?」

「いいよ。捨てるの迷ってたからちょうどいいや。」

ということで、全部もらっちゃいました。


今日はその中のすてきなひとつの詩を紹介します。

中山真理さんの「ねぇ 歌おう」という詩です。


 表したい気持ちはいつだって
 胸の中にたくさんあるけれど
 みんなきっと本当はね
 わかり合いたくて でも
 うまくそれが 言えないから
 もどかしいよね

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ 歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように

 人は昔 言葉を知らなくて
 どうにかして気持ちを伝えたくて
 声を出して 叫びあって
 いつしかわかり合えた
 そしてやがて生まれたのが
 歌うことだよ

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ、歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように


高校時代、親しい仲間たちと互いにギターを持ち寄り、オリジナルの曲を演奏し合ったり、「かぐや姫」や「さだまさし」、「松山千春」など往年のスターたちの歌をコピーし、青春を謳歌しておりました。

歌には確かに自分の想いを言葉以上に伝える力があります。
また人の心を癒し、鼓舞し、その心をひとつに結ぶ力があります。

歌は本当にいいものです。

忙しさにかまけて忘れていたとても大切なものを思い出したようなとてもさわやかな気持ちになりました。

今日、錆び付いた懐かしの古いギターの弦を張り直し、これまた懐かしい音色を楽しんでいます。

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