Happy New Year !!
皆様、昨年はいろいろとお世話になり、ありがとうございました。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
==ここからは、日記です。===
今朝の気温は、マイナス16℃。 2015年の新しい年が明けた。昨日は清々しい気持ちで新年を迎えた。本州(昔は、蝦夷の人は内地と言った)の、特に東北や北陸などの日本海側は大雪の予報であったが、当地は、昨日は一日中天気がよく、雪も降らなかった。朝食は軽く済ませ、お昼に、昨日いただいたお節を温めておいしく食べた。とても、柔らかくて食べやすかったのである。
私の元旦の日の楽しみは、年賀状である。大部分は、全国各地の信仰の友などからのものである。その他、たくさんの年賀状が、どさっと届いた。一昨年は妻が天に召されて、〇〇はがきを出したので、昨年の正月は年賀状が一枚もなく、寂しい思いをしたので、特に、私のような一人暮らしの者にとっては、友人、知人の近況などを知ることができるので、すごくうれしいのである。ほとんどの方は、私の健康を気遣ってくれている。感謝なことである........。1時間以上かけて、1枚1枚ゆっくり読んだのである。
東北I県に住んでいるIさんは、2年くらい前に、重い病気になって、今は自宅で生活できない状況に置かれているのだが、印刷された年賀はがきに、「家内の不用となった物を見る度に、悲しみと淋しさを覚えるこの頃です。」と書き添えられていた。奥様の看病を続けておられるIさんのお気持ちが痛いほどよく分かるので、心からの同情の念を禁じ得なかった。
また、年賀の中に、今は神奈川県に住んでいるK君からのものがあった。その年賀には、青森の尻屋崎燈台の写真が印刷されていた。燈台の写真はとても、懐かしいのである。彼は、今から50年も前に、舞鶴にある海上保安学校燈台科(2年)を卒業して、尻屋崎燈台に赴任した同期の桜である。2年間、勉学と訓練を共にし、寮生活をした腹心の友(?)であった。
私は、北海道のM燈台、彼は青森の尻屋崎に着任したのである。夜になって燈台が点灯すると、津軽海峡を挟んで遠く離れていても、お互いに燈台の灯が見えるので、「今日も〇〇君は頑張っているな~...」と確認することができたのである。今も、胸が締め付けられるような懐かしさを覚えるのである。「喜びも悲しみも幾年月(Times of Joy and sorrow )」という映画も思い出した。主演は、佐田啓二と高峰秀子である。因みに、佐田啓二は、私の好きな俳優の一人であったが、東京五輪が開催された64年、37歳の若さで交通事故で亡くなられたのである。中井貴一の父である。
(他に、別な別な動画もある。)
また、年賀の中にびっくりするようなものが1枚あった。それは、〇〇警察署からの年賀である。それには、「振り込め詐欺には気をつけましょう!」と書かれているのだ。これには、私もほんとうに驚いた。「怪しい電話にご用心!」「不審に思ったり感じたら〇〇警察署へ!」と印刷されている。なんと、警察は、高齢者に対してここまで気を配って親切にしてくれるのか!と思って、感謝の思いでいっぱいになった。
一昨年、天に召された妻の妹K代さんからの年賀もあった。そう言えば、しばらく、ご無沙汰していたのだ。「昨年春に、母がホームに入所して、今は、少しほっとしています。」と書かれている。K代さんは、長い間、妻の母95歳の介護をして疲れていたのである。早速、電話してみたが、30分くらいの長電話になっってしまった。「ほんとうに、お疲れ様でしたね....」と労をねぎらったのである。自分のことで頭がいっぱいで、Kさんに対する感謝と慰労の言葉をすっかり忘れていたのだ。誠に申し訳ない気持ちである。
話は脱線するが、Kさんは、妻の末の妹であり、妻とも昔から一番、仲良くしていたようである。Kさんと妻との間に、もう一人の妹がいたのであるが、結婚して、あまり年月が経たないうちに、出産の時に亡くなったのである。その時は、妻は非常に悲しんでいたのである。でも、その時には、私も若かったので、妻の深い悲しみをよく理解してあげることができなかったのである。娘2人が母より先に他界してしまったのであるが、95歳の母は、今もホームで頑張って生きておられる。
年賀状を見ていたら、次から次といろいろなことが頭を過ぎるのである。元旦から、うれしくてなったり、涙を流したりした。年賀状の話はこれでおしまい。
今年のカレンダーをまだ買ってなかったので、昨日午後は、書店に行って、2015年のカレンダーや日めくりを買って来た。例年、銀行のカレンダーは必ずもらいに行くのであるが、景色などの写真つきのカレンダー2、3点は、書店に買いに行くのである。元旦に、カレンダーを買ったのは、初めてかもしれない。いろいろと、することが多くて忘れていたのだ。
追記:燈台に関する記事で、M燈台から天気がいい日の夜間に非常によく見えたのは、竜飛崎燈台の灯で、そこにも同期のS君が勤務していたのである。
私も毎年、お正月には、色々な思いが蘇ってきたり、
振り返って反省したりします。
年賀状はいいですね。
何年も会ったことがない友達も
近くに感じることが出来ます。
また寒波がやって来ているので、ご自愛くださいね。
先ほど孫たちが帰りホッとしたとこで、爺やさんのブログを拝見させて戴きました。ほんと年賀状はいいですね。さぁーまた一年頑張ろうと思います!
今年もまた、訪問させていただきます。
北海道は、元旦も今日も天気がよく、雪が降っていませんん。でも、今夜は、凄く寒いです。若い時は、このくらいの寒さは、平気でしたが、加齢と共に厳しい冷え込みは身に堪えるのです。
どうか、こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
今年もすばらしい絵を描き続けてください。
このブログを訪問しても、得るものは何もないと思いますが、いつでも気軽に遊びに来てください。
こちらは予想に反して、静かな正月で今日は少し冷え込んでいます。
まもなく孫たちが遊びに来るようです、年玉が目当てでしょうが・・・
etu32さんの水彩画を見ると、どう表現して良いのか分かりませんが、透明感があるというのか、ぴりっとした北国の冷気が感じられるようなそんな絵ですね.....。
その場所に立っているような錯覚すら覚えるのです。
北海道の内陸は、元旦から今日まで、あまり雪も降らず、穏やかでした。でも、この後、いよいよ厳しい寒さがやってきますね。
どうぞ、お孫さんたちと楽しい時間をお過ごしください。
今後ともよろしくお願いいたします。
寒さが厳しい季節ですので、お互い体をいたわり
ながら元気で乗り切って行きましょう!
佐田啓二さんという俳優さんは記憶にあります。
たしか「7人の刑事」というテレビドラマに出演されて
いたと思います。
東京オリンピックが開催された年は僕は中学2年生
でした
佐田啓二さんが「七人の刑事」に出演していたという
のは僕の記憶違いだということが分かりました。
コメントありがとうございます。
そうですね。佐田啓二さんは2枚目で、多分、「七人の刑事に出るようなタイプの俳優ではないような気がします。私は彼の誠実に見える人柄が好きでした。
まだ、30代で60代くらいまでの役を演じきったのは凄いと思います。
あなた様は、福島の出身なのですね。
会津(福島)は、日本の中でも人一倍郷土愛にあふれ、身を捨ててでも郷土の為に尽くすという日本人の美点をより強く持った人たちがいる、美しい土地だと聞いています。
その会津で、原発事故が起こったのですね。今も、まだ、復興していない現実を考えると、原発は本当に怖いですね。
会津藩の「什の掟」で、
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
これらの教えは、ほんとうに立派な教えだと思います。
「ならぬことはならぬものです」というのは、その締めくくりになることばで、「決められた」ことは守りなさい。」という意味合いがあったのですね。
今年も、よろしくお願いします。
一年に一度の年賀状はとても大切ですね。
じつは私は近年は年賀状を止めたいとさえ思っていたのです。
それは家族がいる友人たちに自分の事は分かってもらえない・・などと、少しいじけていたのですね。
しかし今回、気がついたのですが、他人だから思いやり、理解しあえるのですね。
(親戚が冷たいので、余計にそう感じます)
会いたいね~と、お互いに思っていることが分かると嬉しいです。
今はメールの時代になったけれど、やはり年賀状は良いものですね
年賀状、止めてなくて助かった~~と感じる今日この頃です