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神護寺

2015-06-06 19:03:33 | 京都
2015年6月5日、お参りしました。今回は、知人ら9人で、三宮から京都駅、バスで約1時間かけ山城高尾で下車し、神護寺から西明寺、高山寺へ。午後から少し小雨となりました。
まずは神護寺へ
パンフレットより『平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂公は、都の北西に位置し古くから紅葉の名所として知られるこの地に、愛宕五坊の一つとして高尾山寺を創建されました。天長元年(824)には高尾山寺と、清麻呂公が国家安泰を祈願するために河内に建てられた神護寺とを合併して、「神護国祚真言寺」と改められました。平安時代に二度の災害のため、堂塔のほとんどが焼失しましたが、一世の豪僧、文覚上人がその荒廃を嘆いて、寿永3年(1184)後白河法皇の勅許を得、源頼朝の援助もあって往年以上の復興をみました。応仁の乱で再び兵火を受け焼失しましたが、元和9年(1623)龍巌上人のとき、所司代板倉勝重の奉行によって楼門、金堂、五大堂、鐘楼を再興しました。』
拝観料600円
京都市右京区梅ケ畑高尾町5
map
案内図

まずは下りの参道で清滝川に

ゆるやかな石段の下りです。

みどりのモミジもいいですね。

高尾橋が見えてきました。



清滝川



案内図

橋を渡ると登りの参道です。





回りの木々を楽しみながら登ります。

参道の途中で、よくお参りしました。

硯石
『空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅額の依頼を受けられたが急な五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ「金剛定寺」の4文字を書かれたという。但しこの寺は現存しない。』空海の筆の達人という逸話のようです。

さらに登りの参道

階段の上に楼門が見えてきました。元和9年(1623年)の建立







仁王



境内より

本坊



境内



書院

宝蔵

和気公霊廟





鐘楼

明王堂

五大堂

亀腹、白く盛っているところ



毘沙門堂





金堂
お堂の中で住職さんから、お寺の歴史や安置されている仏像や絵図などの説明をしていただきました。











太子堂(重要文化財)







地蔵院への参道



かわらけ投げ
みんなで願いを込めてかわらけを投げました。平和を願いつつ。





売店、こちらで途中で買った弁当などを食べました。



地蔵院



















閼伽井



龍王堂

多宝塔


















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