旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

近江八幡の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)

2015-02-21 18:19:55 | 滋賀
2015年2月16日、帰路の途中に寄りました。
「近江八幡の町並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となりました。天正18年(1590年)に 秀次が移封され、ついで京極高次が城主となりますが、わずか5年後の文禄4年(1595年)に廃城となります。特に新町や永原町にはかつての近江商人本宅の家々が立ち並び、 八幡堀に面した土蔵群は往時の繁栄を偲ばせます。」
市営駐車場に車を止めて、散策です。
朝鮮人街道(京街道)
『江戸時代、将軍が交代する朝鮮国より国王の親書を持って来日する「朝鮮通信使」は、役人の他にも文人や学者など、多い時は、500人規模で組織され、往復でも約1年の歳月を費やしたと言われています。行程は、ソウルから江戸までの約200キロにもなりますが、近江八幡を含む、彦根から野洲までの一部の地域で「朝鮮人街道」と今でも呼ばれています。本願寺八幡別院では正使、そして京街道(当地域)一帯で随員の昼食や休憩場所として使われ、当時の町人はまち挙げて歓迎し、文化交流がさかんに行われました。』
説明書







旧伴家住宅



市立郷土資料館

新町通





石柱

格子戸と貫見せ(軒下の壁に貫を見せる他に例の少ない独特の意匠と言われています)、むしこ窓(二階の屋根裏部屋には明かりとりと風通しのため小窓)

森五郎兵衛邸



旧西川家住宅、摺り上げ戸









おねがい地蔵様





麩の吉井



八幡堀
説明書
「掘は城を防御するために存在しますが、豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡の町に寄港させました。また、八幡城下はかつての安土と同じく、楽市楽座をを取り入れたことから、商人の町として大いに活気に呈しました。」







郷土料理喜兵衛

八幡堀
撮影のロケ地や観光場所になっています。









観光案内図

大杉町

明治橋







クラブハリエ

八幡堀の説明書





白雲館観光案内所



重要伝統的建造物群保存地区説明書

宮内町

稲荷神社







琴平神社







大太鼓



漬物屋さん

あきんじ道

仲屋町通り













魚屋町













コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 彦根城その3・楽々園、玄宮園 | トップ | 日牟礼八幡宮 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

滋賀」カテゴリの最新記事