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旗神 豊満神社

2022-09-17 21:18:25 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
由緒書より「当社は近江國愛知郡豊国村大字豊満に鎮座し給う、祭神大国主命、足仲彦命、息長足姫命、譽田別命の四坐なり、大国荘二十大宇の祖神にして今も一町五村の広域に亘る氏子の産土神として崇敬厚き社なり。1378(康暦元)年に鋳造された神鐘銘文に「愛知郡崇廟豊満大社」云々とあるに見るも当社の地位を知るべし、創祀年代は不明ならざるも社伝によれば、神功皇后三韓を征伐し給ひし時天降あり、軍旗の守護神としいて皇后軍を導き給ひしにより爾後軍旗の神として神林の竹を旗竿に用いれば戦勝すとて源頼朝遺以降代々の武将当社の許を請ふて旗竿に用ひ依て旗神の名を以て世に知らる延長8年及安和2年社殿改築ありしこと棟札に見ゆ三條天皇当社に勅願あり、正一位の神位階を授け給う藤原俊成卿依て神号の額を書す此額建武3年の兵火に亡ぶ、嘉吉3年穣大納言従一位中御門宣胤卿更に正一位大社豊満大明神の額宇を寄付せらる今存す。鎌倉時代以降近江の守護佐々木氏は京極六角両家共に当社に武運を祈願し神領を寄付し安堵状を寄せ或は境内に放火狼藉や竹林伐採の禁制を寄する等崇敬の事蹟多し即ち長禄3年正月佐々木京極持清は古来の神領を安堵し大永4年7月には佐々木六角定頼神領、安堵せ永禄10年4月には六角義賢神木伐採を禁する等あり是の時代祭礼には大国荘を上中下三郷に分ち三社の神輿を奉じて渡御し、荘内在住の武将は各衛士を出して之を警護し祭儀壮麗を極めたるは天文24年の次第書に証さる。元亀2年織田信長の兵火に罹り境内の一部焼失す。天正13年豊臣秀次は其臣田中吉政をして神領拾三石八斗三升の地を寄付し武運を祈る。彦根城主 井伊氏などが代々当神社で厄除の祈願をした。」
滋賀県愛知郡愛荘町大字豊満392
map
鳥居

扁額

末社


四脚門(重要文化財)
「鎌倉時代後期の1323(元享3)年建立、四脚門、入母屋造、屋根は檜皮と、こけら板を交互に葺いた『鎧葺』の珍しい工法である。建物は、柱を太くして力強さと安定感をもたらせる反面、柱上の組物・軒垂木は繊細に造り、巧妙な均整美をつくり出している。また軒返りを強くし、屋根勾配をゆるくおさえて軽快感をもたせ、県内の代表的な四脚門である。」



社標

社務所

手水舎



神馬

由緒書

狛犬



拝殿





摂社・樹下神社











中門

本殿





名木「美人の木」



神楽殿

摂社・八大龍王社

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