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上田市別所温泉、安楽寺八角三重塔(国宝)・

2016-11-10 15:34:58 | 長野
2016年11月4日お参りしました。長野2泊3日の旅行で松本城、善光寺、松代などを観光し、上田市内の寺院巡りです。
安楽寺
縁起「建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、或は百余衆或は五十衆、皆これ聚頭して仏法を学び、禅を学び、道を学ばんことを要す云々。これは大覚禅師語録(建長寺開山蘭渓道隆)の一節である。これにより安楽寺は、鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、信州学海の中心道場であったことがうかがわれる。鎌倉北条氏の外護によって栄え、多くの学僧を育てていたこの寺も、北条氏滅亡(1333)後は、寺運も傾いて正確な記録も残らないが、国宝、重要文化財等数多くの鎌倉文化の文化遺産を蔵して、信州最古の禅寺のおもかげを残している。また、当寺は安土・無桃山時代に勅特賜・大光智勝禅師高山順京大和尚により、同じく禅を標榜する曹洞宗に改められ、現在に至っている。」
拝観料300円です。参拝用の駐車場があります。
長野県上田市別所温泉2361
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黒門

案内図

参道



鐘楼



境内

本堂



庫裏









経蔵(上田市指定文化財)
「江戸時代の寛政6年(1794)、宇治の黄檗宗萬福寺から購入した鉄眼の一切経を保管するために建てられた方3間、ぬりこめ、宝形造、銅版葺の経蔵で、この種の建物の代表的なものである。」







三重塔は本堂の裏を登った山腹にあります。少し登ります。







八角三重塔(国宝)
「建立年代は、従来鎌倉時代末期、又は、室町時代初期といわれていたが、用材の年輪年代測定により、鎌倉時代末期であることが判明した。建築様式は、禅宗様八角三重塔で、初重に裳階をつけたいる。様式は全体が禅宗様の手法でできていて、初重と裳階の柱は礎盤上に立ち、組物は裳階出組、母屋三手先でいずれも詰組、軒はすべて二軒扇垂木とする。尾垂木は上下二本とも水平材からつくり出しており、上方を斜の材とする禅宗様の普通の手法とはちがう。内部は母屋側柱に二手先組物を組み、裳階は土間床で、化粧屋根裏天井とし、母屋は前面に板を張って仏壇にしており、八角円堂に似た構成となる。母屋の天井は鏡天井であるが少々複雑で、小さな二手先組物を組んで中央部を折上げており、組物下には台輪・頭貫が回り、柱頭部が釣束のように取りついている。これは母屋の入側柱を省略し、その組物が退化したものと考えられる。母屋側柱の組物上には短い柱を立てて三手先組物を組むが、これが外からみえる部分である。この塔は現存唯一の八角塔であり、初重の側柱や天井に独特の手法がみられる。鎌倉系の本格的な禅宗様でできており、伽藍配置も含めて臨済宗寺院の塔のあり方の一つを示している。」
見た感じでは4重となっています。独特な形です。



















少し歩いて、常楽寺に行きます。
山本宣治・高倉テル・齋藤房雄記念碑
説明書「昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。これより前に上田自由大学の講師として別所に住んでいた高倉テルは農民運動、民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。1929年3月1日、上小農民組合連合会は第2回総会に高倉の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士《山宣》)を招く。この記念講演は1千名を超える聴衆に深い感銘を与えた。この講演の4日後の3月5日、山宣は治安維持法案改悪承認の議会にただ一人反対演説をすべく上京したが、その夜右翼により暗殺された。上小農民組合連合会は山宣の死を悼み、追悼大会の議決として高倉の借家に碑を建立した。1933年2月の治安維持法による県下最大の弾圧事件であった2.4事件で高倉は逮捕され、家族は県外通報となった。警察は家主の齋藤房雄に碑の破壊を命じてきたが、氏は碑を密かに自宅の庭に埋め、38年間守り通した。戦後、この碑の再建委員会を結成、多くの協力者を得てこの地に1971年10月、この碑は再建された。碑の前面に彫られたラテン語は、山本宣治の銘『生命は短し科学は長し』の意である。なお、碑面の文字は高倉の筆である。」





小路からの景色







常楽寺
参拝用の駐車場があります。入口には拝観料100円を入れる収納箱があります。
「常楽寺は天台宗別格本山で、北向観音堂が建立された天長2年(825)、三楽寺の一つとして建立されました。本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長2年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されています。」
長野県上田市別所温泉2347

本堂(上田市指定有形文化財)
「この本堂は、寄棟造、茅葺の建物で、正面中央に唐破風の向拝を付けています。間取りは、前側に細長く広縁をとり、中央に外陣・内陣があり、その両脇に部屋を配置する構成で、内陣の左脇の部屋が「上段の間」となっています。この間取りは当初からのもので、ほとんど改造されていません。また、間口が十間(約18m)あり、長野県内の江戸中期後半の天台真言系本堂として屈指の規模を持っています。寺の「分限帳」によれば、客殿(本殿)・本尊・庫裏の建立は46世翁玄の代(1710~38在住)で、本尊の妙観察智阿弥陀如来坐像には享保10年(1732)の墨書があり、本堂の再建も本尊入仏と同じ享保17年頃であったと考えられます。建物の様式をみても虹梁の絵様・組物・欄間などのように17世紀後期の比較的古い様式を示す部分と、柱が一間ごとに立たないという18世紀中期以降の特色が混在しており、享保末期から元文期(1730年代)の建築と考えられます。ただし、庫裏破風の向拝部分は、様式が本堂と若干異なっており、後に付け加えられたとみられます。本堂の意匠は彫刻的な装飾は少なめですが、これは江戸中期の本堂の特色で、常楽寺本堂は江戸中期後半の特色をよく示した貴重な建築といえます。」









境内の紅葉が素敵ですね。

庫裏

六地蔵

石造多宝塔への階段



石造多宝塔の図

説明書
「高さ2m85cmの安山岩で出来ており、多宝塔というのは、上下二層の屋根がある塔です。下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。なお、その上に相輪という柱のようなものが立っています。」

石造多宝塔(重要文化財)と石造多層塔(上田市指定文化財)

お疲れ様でした。車を走らせ上諏訪温泉に行きます。

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