花師のここだけの話し

花師がお届けする熱い想い。気ままに気まぐれに、ぼちぼち更新。ええ塩梅でお届けします。

泣いた赤鬼

2006-03-20 17:53:08 | Weblog
おかげさまで、この「花師のここだけの話し」の観覧数が、60を越えました。
ここ最近、グッと件数が伸びあがって、ありがたい限りです。
思いの丈を、ただただぶつけているだけなのに、こんなにも毎日読んで頂いてるなんて・・・ありがとうございます。
それでは今日のも、「ここだけの話し」をお楽しみ下さい。

昔々・・・まだ鬼が山に住んでいた頃のお噺。
赤鬼はどうしても村人と仲良くなりたいと、常々そう思っていました。
でも、村人達からすると、赤鬼はとても大きく、それはそれは恐ろしい化け物です。
ただただ仲良くなりたいだけなのに・・・赤鬼は毎日毎日悩み続けます。
そんなある日、そんな赤鬼を見かねた青鬼が声を掛けてきました。
「赤鬼さんどうしたんだ?何か悩みでもあるのか?」
赤鬼は青鬼の優しい言葉に、村人達と仲良くなりたい気持ちを打ち明けます。
赤鬼の悲しい顔を見ながら、青鬼は腕を組んで考えます。
「どうしたら赤鬼さんが、村人達と仲良くなれるだろうか?」
青鬼はひらめきます。
そして赤鬼さんにこう告げます。
「ぼくが村で大暴れするから、そこに赤鬼さんが助けにくればいいよ。」
そう言うと、一目散に村に向って駆け出しました。
村人達は驚き叫び、村中を逃げ回ります。
そこに赤鬼がやって来て、打ち合わせ通りに青鬼を追っ払います。
すると、村人達が赤鬼を取り囲み、感謝し、そして仲良くなりました。
青鬼のことが気になった赤鬼は、様子を見に行きます。
すると青鬼の家の前に、たて看板が立ててあります。
そこには・・・
「赤鬼さんへ ぼくがここにいると、村の人たちに誤解されるといけないので、この山を離れます。いつまでも村の人たちと仲良くしてください」
赤鬼は泣きます。
今はじめて、青鬼の気持ちがわかったのです。

とまぁ・・・こんな感じだったかな?
少々長くなりましたが、人に想いを伝えるということは、自分自身がどれだけ相手の気持ちになれるかということです。
「あれだけしたのに」とか
「こんなに愛しているのに」とか
「どれだけ考えているか」とか・・・
いくら想いを並べても、それはどこまで行っても、自分自身のエゴの何物でもないのです。
すべて自分中心に物事を考えて、それでいて「愛して欲しい」などと要求ばかりする。
本当に人に愛されたいのであれば、まずは自分から人を愛さなくてはいけない。
それも、その想いが伝わるかどうかなどは、まずは横に置いといて、花がただ咲くかのように、心のそこから相手を愛することができれば、きっと気持ちが伝わるのです。

人は愛するがゆえに、見返りをついつい求めてしまう・・・
でも、本当に相手のことを想うなら、トコトン無償の愛で想い続けなければいけない。
中途半端な想いだからこそ、相手にはただただ鬱陶しい、偽善者ぶった言葉にしか聞こえないのでしょう。
青鬼の赤鬼への想いは、本物の愛だったんでしょう・・・
格闘家の「前田日明」さんも、この泣いた赤鬼を、幼稚園の時にこよなく愛したそうです。
そんな自分も幼稚園に読んでもらって、なぜか前田さんと同じ場面、たて看板で大泣きした記憶があります。

人の心に触れたとき・・・
人は成長し、そして人の温かさに抱きしめられるのです。
人と人の間に生きる。
それが「人間」なんです。

人と人の間で、花を届ける仕事についた今。
今まで赤鬼だったはずが、青鬼の立場になっていた。

春は別れの季節でもあります。
いろいろな人の想いを花と一緒に包んで、その一瞬に笑顔を咲かせたら・・・
ほんまうれしいな~。










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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
最も大切なもの (ちは)
2006-03-21 12:49:28
花師さま

とてもいいお話ありがとうございます。



花師さまはご自分のことが好きですか?

ご自分のこと愛してますか?



自分のことを愛するのと同じように、人のことを愛せたとき、本当の愛を知ると私は信じます。



愛する人さえ幸せならばという犠牲の愛でもなく、また逆に見返りを期待する愛でもなく、ただ、ただ、自分と同じように人を愛する。とても深くて難しい。しかしながら、とても素敵なこと。最も人として大切なこと。

私はそう思います。
返信する
最近どうやら・・・ (花師)
2006-03-21 13:17:45
>ちはさん

こんにちわ。「泣いた赤鬼」いい本です。

最近ようやく・・・自分と同じくらいに、人を愛することを知ったような気がします。

なによりも、自分が大切で、エゴの塊だったのが、どうやら年齢のせいでしょうか?少し違ってきたようです。
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