花師のここだけの話し

花師がお届けする熱い想い。気ままに気まぐれに、ぼちぼち更新。ええ塩梅でお届けします。

花師の一分

2006-12-09 11:33:15 | Weblog
遡る事1年前。

ただただ前を向いて走り続けていた。
何時来るかわからないゴールを目指して・・・

その頃書いた「ここだけの話し」を読み返すと、そこには「侍 野茂英雄」のことを書き綴っていた。

人はそれぞれに哲学があり、考え方が多様にある。
当然生き方や進み方にも、大きく違いがある。
花師はなぜか「武士」だの「侍」だのと、その生き様に強く共感を抱く。
本来心根が軟派ゆえ、硬派な生き方に憧れを持つのかもしれない・・・

男として、どうしても引けない時がある。

時代は平成。
歩く人の腰元に、刀を差して歩く人などいるわけもない。
花師は差し詰め「鋏」か「ナイフ」かもしれないが、刃物を持つと言う事は、一種の覚悟の表れなのである。

江戸時代。
侍が刀を腰に2本差す。
1本は人を斬る刀。
そして1本は己を斬る刀。
刀を差すということは、斬られても文句はない。
もし・・・不手際があったとすれば、己の腹を掻っ捌く!
その覚悟の上で生きたと聞く。
この平成の時代でも、真剣こそ振りかさすことはないにせよ、「生きる」という意味では、心にいつも真剣を研いでいる。

武士の一分

木村拓哉主演の映画である。

振りかさされた真剣には、真剣を持って迎え撃つ。
己を守る為でなく、背中に背負った人生を生きるために、真剣を振り抜かなくてはならい。

1歩も引けない道。
守らなければない者。
貫き通さなければならない心。

判断と決断。

ある人は言う。
「人生振り返ってはいけない」と・・・
花師は言う。
「人生は振り返らなければいけない」と・・・

去年のブログを振り返り読み。
今の自分と比べてみる。
たかが1年。されど1年。
この1年は、強い確固たる一念で歩んできた。
それがいつの間にか自信となり、血となり骨となり肉となり、今の自分がここに立つ。

進んだ歩は、ほんの僅かな歩なのかもしれない。
でも・・・心は随分と進んだように錯覚してしまう。

思えば遠く来たもんだ

迷いながら、戸惑いながら・・・
ただただひたすら歩んできた。
己が道を貫く為に。

武士の一分

武士として譲れぬ道。

花師の一分

花師として貫く道。

それは愛するものの為・・・
そして己が目指す花の道の為・・・

腰に真剣という名のフローリストナイフをぶら下げて
花師は花師の道を行く。

それが花師の一分。


でも・・・かっこつけてるんやけど、画像の花を創るような
「pe天使」でございます。

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