時として見る天使のはしご
まるで神の呼びかけのよう。
花木柳太
ツワブキの花は好きである
冬は花は枯れて青々としたものだけがあった。
どこか懐かしいと思うのは田舎育ちだからか
都会育ちの人は春の新芽が食べられるのを知らない人もいよう。
子供の頃は母親の言いつけで取りに行った
畑の土手や野にたくさん生えていた。
今一度あの煮付けが食べたいものだ
子供の頃はそれほど好きではなかったものが
大人になると無性に恋しくなる時がある。
< ツワブキや花は枯れても青々と 花木柳太 >
これは想像で詠んだ句である
冬の水仙は凛として力強く咲いている
人間もこうありたいものだ。
冬に咲く花、渡る鳥
水鳥などは浮かんでいて寒くないものかと思う。
水仙も夜は寒かろうに
何故寒い冬を選んで咲くのだろう。
冬も咲く花が無ければ虫が困るのだろうか
電車から土手に水仙が群生しているのが見える。
冬の花や実は人間の心にも耐える力を教えているようだ。
< 雪中花耐えて咲く夜の月明り 花木柳太 >
何時もの道を外れて歩いたら
彩のない冬のアパートの軒先に
目に鮮やかな南天の実が植えられていた。
このところ寒い、寒波が流れて来ている
ひと頃の暖かさは何処へ行ったのか
三寒四温を繰り返して春になっていく。
冬も楽しむべきだが動きが緩慢になっていけない
春を待ちわびるのは動物も植物も同じか。
人間だけが進化して服で調節するために毛が亡くなった
それは暑い夏を乗り切るためか。
冬に楽しめるのはお洒落だけ
おじさんはそういう訳にはいかない?
< 裏道はあざやかなりし実南天 花木柳太 >