ガル白の憂鬱

仮想現実の世界をガル白として生きた管理人が、現実世界の出来事を記録するものです。

部屋とワイセツとタワシ

2006年05月31日 02時04分00秒 | Weblog
信長の野望で全国を統一した記念にブログのテンプレートを変えてみた。
ちょっと仕事中に見づらくなったなと思ってるあなた、たぶん大丈夫です(-ω-)

ここ数回に渡って大学時代の話を書いてきたが、今日は実家の愛犬「ムサシ」について書いておくことにする。
なにせ今日はムサシの12歳の誕生日なのだから。

ムサシが我が家にやってきたのは、今から12年前。
ワシが高校2年のときだった。
当時どうしてもパグ犬が欲しかったワシが、我がままを言って飼うことになったのだ。
生後2ヶ月でうちに来たムサシは、体重1.5kgだった。
名前は関取の武蔵丸から付けた。
どちらかと言うと貴闘力のほうが好きだったが、武蔵丸のように強くなって欲しいと思ったからだ。

ムサシに対しては、トイレのしつけ以外は特に何もしつけてない。
室内で飼っている以上、何をやったところで家族以外に迷惑をかけることもない。
だからしつけなど必要ないというのがワシの考えだった。

その結果、ムサシは自分が我が家で一番エライと今でも思っていることだろう。

実際我が家はムサシを中心に回っている。
ムサシは留守番ができないので、基本的に家族で長期間でかけることはできない。
ムサシは暑さに弱いので、夏は家に誰もいなくても常にエアコンを入れておかなくてはならない。
ムサシは寒さにも弱いので、冬は常にホットカーペットとコタツの電源を入れておかなくてはならない。
ムサシは枕を使って寝るので、ワシはその隣で枕無しで寝なければならない。
ムサシはいびきがうるさいので、ワシはその隣で耳をふさいで寝なければならない。
ムサシはコタツ布団の中の綿を出すのが大好きなので、コタツ布団は毎年買い替えなくてはならない。
ムサシは散歩の時のペース配分を考えてないので、帰りは抱えて帰らなくてはならない。
ちなみにムサシは呼んでも来ない(-ω-)

そんなムサシに、ワシは高校のときコンタクトレンズを食べられたことがある。
フロに入るときにコンタクトレンズを外したワシは、ケースに入れて机の上に置いておいた。
フロから上がるとムサシが机の上でケースをペロペロやっているではないか。
どうやらフタが半開きだったらしく、中のレンズは見事に食べられていた。

当時使い捨てのレンズなどなく、1枚2万円くらいしたレンズだ。
贅沢な犬であるなぁと思いつつも、母さんに事情を説明し新しいレンズを買ってくれと頼んだ。

「ムサシが食べたんやったらそのうち出てくるんじゃないの?(-ω-)」←母さん

・・・(-ω-)
出てきたらどうしろと言うつもりだったのだろうか?

目の中に入れても痛くないほど可愛いムサシであるが、ムサシのウンコから出てきたコンタクトレンズを目の中に入れるのは間違いなく痛い。

冗談だったのか本気だったのか分からんが、買ってもらえてよかった。。。

後10年は長生きしてほしいものである(-ω-)

次回予告
「僕らの車生活 あのステビアは今?」

ハリーポッターと駄菓子屋のおばちゃん

2006年05月25日 00時58分50秒 | Weblog
もちろん今回もタイトルに意味なんかねぇ(-ω-)

もう決めた、今後タイトルには一切意味を持たせない。
なんかコメントすくねえとやる気でらんな~(-ω-)
アクセスログ見たら結構みんな見にきてんじゃ~ん(-ω-)
さみしいけんなんか書いてみてよ~(-ω-)

さて、前回に引き続き大学時代の話。
今回は遠藤について書こうと思う。

就職で福岡を離れるメンバーが多い中、遠藤は数少ない福岡組の生き残りだ。
かれこれもう10年近い付き合いになる。

恐らくこれから先の人生がどれだけ長かろうとも、遠藤を超える理解者と出会うことはないであろう。それが遠藤である。

ワシは日常生活の会話において、常に誰にも分からないような小ネタをしこんで話している。
ただそれがあまりにもマニアックすぎて、誰にも伝わらないというのが現状だ。
もしかしたらとの期待を込めて、マニアックな小ネタをハズシ続ける日々。
その生活に終止符を打ったのが、大学に入学しての遠藤との出会いだった。

たしか遠藤と初めて会話したのは、木曜日の1限目の「基礎科学熱力学」の授業のときだったと記憶している。
授業中にトイレに行きたくなったワシは、隣に座っている男(遠藤)に軽いジャブを入れてみた。

「ちょっとWC行ってくる、WCニコル(-ω-)」

すかさず突っ込みが返ってきた。

「(-ω-)CWニコルな」

この男、もしや?(-ω-)

と思ったが、まぁこの程度のジャブには反応してもらわなければ困る。
なにせここは文系でも理系でもないメンバー、「銀河系」が集まる地球惑星科学科なのだ。

このときワシは遠藤の本当の実力を見くびっていたことを詫びなければなるまい。

これ以来よく会話するようになった遠藤に対して、ワシは積極的に小ネタを披露してみた。
するとどうだ、この男、すべてのネタに反応するのである!

クラスメイトの小林さんに、
「マッハチョップは卑怯だよ~(-ω-)」
というと、遠藤がニヤリ。

この男、かれこれ10年前のファミコンソフト「ダウンタウン熱血行進曲」のれいほう高校の小林のマッハチョップがハメ技だったことに瞬時に反応したようだ。

誰かが何気なく発したセリフ
「なんてこったい(-ω-)」
に対して遠藤をちらりと見るとニヤリ。
「なんて骨体」というおぼっちゃまくんのチャマ語であると瞬時に理解したようだ。

遠藤から電話がかかってきたので、
「もし?」
と出てみると、「宮路社長な(-ω-)」だと(゜д゜ )

この男、城南電気の宮路社長が電話に出るときに「もしもし」ではなく「もし?」と出ることをなんで知ってるんだ?(゜д゜ )

ヤバイ、こいつはヤバイ(-ω-)
ワシのネタにここまで反応するのもすごいが、反応速度がすごすぎる。

そこでワシはこの男に最終試験を試すことにした。
中学校以来あたためてきた、まだ誰も反応したことのないネタだ。

「なんでもねっす(-ω-)」

ただこの一言である。
これがどれくらいマニアックかというと以下のようなものだ。

中学校の国語の教科書に載っていた小説「おみやげ」から引用している。
たしか東北地方で働く家族の物語だったと記憶している。
冬の間、出稼ぎに出ていた父が帰郷する電車の中で、家族へのお土産として買った冷凍のエビフライに、ドライアイスをくべていた。
子供たちは、帰ってくるお父さんの酒のつまみにしようと、近所の川で魚ととっていたはずだ。小魚のことをジャッコと呼んでいたような気がする。
田舎の暮らしにとって、エビフライは非常に珍しいものらしい。
その家族ではしばらくエビフライの話題でもちきりだった。
その家族のおばあちゃんだったか、お姉ちゃんだったかが、エビフライを正しく発音できずに、「エンビフライ、エンビフライ」と言っていた。
そういった物語の中で、主人公の少年が言ったのだ。
「なんでもねっす(-ω-)」と。

さすがにこれは気づくまい。
気づいたらヤバイで、まじで。
神というか変態の領域やで、これは。

と思いながらワシは遠藤に言ってみた。
「なんでもねっす(-ω-)」←ワシ

「(-ω-)エンビフライな」←遠藤

・・・(-ω-)
世の中、科学では解明できないことというのはあるものだ。

ワシの記憶で遠藤が唯一反応しなかったネタといえば、
10年以上前の公共広告機構のコマーシャルで、競輪の中野浩一が
「日本全国、ポイ捨て禁止ぃ(゜д゜ )」
と裏返った声で叫んだ後、
「もっとマナー」←中野浩一
「もっとリサイクル」←松野明美
という時に、松野明美が中野浩一に釣られて一瞬早く口を開けてしゃべろうとして「あっ(゜д゜ )」
って顔をしたときのモノマネをしたときだけだ。

よかった、これに反応されたら誰に相談していいか分からんくなるところやった。

ただ最近、「みなさんお元気ですか?」と遠藤にメールしたら、
「井上陽水な(-ω-)」
返信があったことは想定内の出来事であったことを付け加えておこう。

15年以上前の日産セフィーロのCMで、井上陽水が車の窓から
「みなさ~ん、お元気ですか?」
と言っていたことなど、やつにしてみれば常識の範疇だろう。

改めて遠藤あなどりがたし(゜д゜ )

みんなも小ネタがあれば是非披露してみてはいかがだろうか?

つづく・・・

南アルプスの水道水 カルキ増量中

2006年05月19日 00時33分54秒 | Weblog
今回もタイトルに意味なんかねえ(-ω-)

任天堂DSの信長の野望が忙しく、更新が滞っている。
何が忙しいかというと以下のような感じだ。

大分県出身のワシとしては、当然ながら豊後の国を治める大友家で始めた。
国力を蓄えようと、城下を開発していたら、本城が手薄なところを薩摩の島津貴久に攻められ速攻で滅亡。。。
薩摩を警戒ながら再開したところ、安芸の毛利元就に攻めこまれ滅亡。。。

やるじゃない(-ω-)
難易度初級のくせに、このワシをここまで苦しめるとは。

再度再開し、まずは毛利家と同盟を結んだ。
そしてなんとか九州を制圧。
府内城にも鉄砲鍛冶職人が訪れ、鉄砲の生産が軌道に乗ってきた。
宣教師も訪れたので、布教を許可した。
キリシタン大名としては当然のことをしたまで。
九州探題職を名乗り、今晩あたり四国に攻め込む予定だ。
四国は現在「河野家」「長曽我部氏」「本願寺家」の3大勢力がひしめき合っている。
長い夜になりそうである。
毛利家との同盟も、そろそろ破棄して中国地方にも進出しなくては。
しかし同盟を破棄すると家臣の忠誠度が下がるな。
でも足軽部隊としては最高クラスの能力を持つ家臣の立花道雪の年齢が既に54歳ということも考えると、あまりもたもたしていられないな。

といった感じで今月で29歳になるというのにゲームで忙しい男の生き様が分かってもらえただろうか?

さて、前回の続きで大学時代の話を少ししておこう。
前回のブログのコメントに登場した、マサンドについて軽くふれておきたい。

マサンドについて語るには、時間がどれだけあっても足りない。
それほど多くの伝説を残してきた男、それがマサンドである。

入学当初、マサンド部屋は大学のすぐ裏にあり、ある種の溜まり場的存在であった。隣にあった天国酒場という居酒屋からは、夜な夜なうめき声にも似た歌声が聞こえてきたものだった。
ドアを開けるといつもトランクス一枚で牛乳を飲みながら信長の野望をプレイしていたマサンドを思い出す。
サッカーボールのようになったタコ足配線は、ある意味芸術的であった。
その配線が原因でたびたび落ちるブレーカーを、落ちないようにガムテープで止めて電力会社の人に説教されたことなど、マサンドの伝説のほんの一部でしかない。

思えばワシらは昔からゲーマーだった。
終わったドラクエで全員のレベルを99まで上げる遠藤を筆頭に、かなりのメンバーがゲーマーだった。
パワプロのサクセスモードなんて何回やっただろうか?
やりすぎてバグって190kmの速球とナックルを投げるピッチャーができる始末。

そんなメンバーの中でもマサンドはトップクラス。
彼の才能は一言で言うと「飽きない」であった。
どんなゲームでも何回やっても飽きない。
飽きっぽいワシからみると、尊敬するに値するほどの飽きなさだった。

大学1年のある日、ワシはあるひとつのゲームを買った。
そのタイトルは「ブシドーブレード」である。
そのゲームが画期的だったのは、「一撃必殺」システム?である。

ゲームというのは不条理なものが多い。
銃で撃たれても刀で切られても体力ゲージが減っていくだけ。
ゲージが0になると死ぬが、死ぬまでの動きは変わらない。

だがブシドーブレードは違った。
1度切られたら死ぬのである。
1対1の対戦で、下手すると1秒で決着がつくのである。
足を切られると、はいずりまわって戦わなければならないのである。

このシステムに引かれて購入したものの、すぐに飽きてしまったワシ。
登場人物にこれといった特徴がなかったのが原因だった。

そんなある日、このゲームの裏技を知ることになる。
どうやら100人切りをすると、拳銃を持ったキャラクターが使えるようになるというのだ!

打ちたい(-ω-)
剣で向かってくる相手を拳銃1発でしとめて、己の無力さを痛感させたい。

ワシはがんばった。
しかし100人切りは容易ではない、当然だ。
1回切られたら終わりなのだ。
運良く足を切られたとしても、這い回りながら残りの何十人かと戦わねばならぬのだ。
すぐに挫折したワシだが、ある男が頭をよぎった。

マサンドだ(゜∀゜)

やつならやってくれるに違いない。
すぐさまソフトをマサンドに貸与し、100人切りを依頼した。

それからしばらく、マサンドの姿を学校で見ることはなかった。
やつの集中力はただものではない。
雨の日も、風の日も切ったに違いない。
98人目で死んだこともあったろう。

しかしヤツはやりとげたのだ!

「100人切ったけどでらんのやけど(-ω-)」←マサンド

調べた結果、難易度を「高」にしてからやらないとダメだと判明。

それでもやつはやりとげたのだ!

新キャラの名は「カッツェ」

刀を持って走ってくる相手に発射!

倒れる敵!

飽きるワシ!

あんなにがんばってもらったのに、1週間でメモリーカードのデータを消してすまんかった。

だが10年経った今も、君の努力は忘れない。

続く

拝啓 ジョン万次郎

2006年05月09日 00時46分57秒 | Weblog
タイトルに意味なんかねぇ(-ω-)

くつろいだ連休もあっという間に終わり、また今日からの名古屋生活にうんざりしながらヤケ気味に更新開始。

社会人になりもう7年目。
思えば大学時代は毎日が連休だった。

春休みゴールデンウィーク夏休み秋休み冬休み。
授業は出席とらない午前中のやつはほぼキャンセル。
水曜1限目の線形代数なんて、後期はテストのとき初めて先生の顔を見たし。

明日は3限目(13:00~)から授業があるけんきちぃ~、とか言いながら徹夜麻雀してたあの栄光の日々はもう二度と訪れないんだね(-ω-)

懐かしくなってきたので、大学入学のいきさつのことをちょっとだけ書きとめておこう。

ワシが入学したのは「地球惑星科学科」という、ネタに困らない珍しい学科である。

高校3年の冬まで、ワシは機械工学科志望であった。
当時、自動車のエンジン設計をやりたいというボンヤリとした希望を持っていた。
18歳にしては現実的な将来像を持っていた自分に感心する。

幼稚園の時の手形帳を見ると明らかに自分の字ではない文字で、「けいさつかんになりたい」と書いてある。。。
小学校の頃はフェリー乗り場で毎日釣りをしてるおじいさんになりたいと思っていた。
中学校の頃はゲームプログラマーになりたいと思っていた。
高校1年の時は考古学者になりたいと思っていたが金にならないと分かり断念。
高校2年の時は天文学者になりたいと思っていたが金にならないと分かり断念。
高校3年のときに図書館で「天文考古学入門」という本を見つけて、天文考古学者になりたいと思っていたが金にならないと分かり断念。
そして行き着いた先が機械工学だった。

そんな高校3年の12月、図書館で地球科学の本を読んだ。
そして志望していた大学に地球惑星科学科という学科があることを知った。

脳内会議開始-----------
(-ω-)地球科学っておもろいで
でもそれも金にならんじゃん(-ω-)
(-ω-)機械工学やったってエンジン設計できるとは限らんやん
たしかに(-ω-)
(-ω-)それに工学部は男ばっかりでつまらんって相澤先生が言っとったで
・・・・(-ω-)
脳内会議終了-----------

そんなわけで進路を地球に向けて出発した高3の冬。
決して相澤先生の言葉が響いたわけではないが、礼は言っておく(-ω-)

夜、愛犬ムサシと散歩しながら夜空に輝くオリオン座を見て思ったのだ。
オレ、地球科学を勉強して、この地球を守る(゜д゜ )
と。

そんな思いで入学したワシの大学生活がここから始まるのだった。

つづく・・・