主催 JICA兵庫
第2回映画鑑賞会
10月21日(日)13.00-15.00映画上演
【草原を駆け抜けた少女 探検家・関野吉晴が出合った モンゴルの少女プージェ】
15.15-16.30 関野氏講演会
16.30~17.00 サイン会
写真 パンフレットとホームページからアップロード
内容
1999年、探検家の関野吉晴さんが、南米最南端から人類誕生のアフリカを目指す旅の途中、自転車でモンゴルを訪れ大草原を自在に馬に乗って牛を追っている少女と出会う。これは、時代の波に翻弄されるモンゴル遊牧民5年間の記録である。
カメラを遠くから撮影していたが、段々少女に近ずいたので、【写真を撮るなら、こっちに来ないで】と叱られた。少女はプージェ。家族のゲルを訪ねて、温かく迎えてくれた。プージェの祖父は寝たきりで、祖母は元気でしっかりしていた。お母さんは、馬泥棒を探しに行って不在。
お父さんも町に出稼ぎに行っていた。もう一人小さい男の子はプージェの従妹の大家族でした。最初はプージェは関野さんに対して怒っていたが、何日も過ごすうちに打ち解けてきて、将来何になるのかと質問したら、先生と答えてくれた。何が欲しいかと聞くとコンピューターと答えたので、今度来るときにゲーム機を贈って喜んでいた。関野さんが撮られた写真を家族に見せられて皆さん喜んでいたのは、印象に残りました。
プージェが小学校へ入学、その後この家族に不幸が起きる。母は馬に一頭引いて帰宅途中に引いていた馬が蹴躓いてこけそうになったので引いているうちに落馬して、その馬に腹を踏まれてしまった。帰宅しても、元気で家族は誰も気がつかなかったが、段々と痛みが出てきて、病院へ行ったが、保険に入っていなかったし、お金もなくてーー社会主義のときだったら助かっていたのにー市場経済が導入されたための貧富の格差を生ん遊牧民。
次にプージェも小学校を卒業して帰宅途中で自動車事故に遭って亡くなりました。
関野さんが訪ねられたときにお婆さんが元気がなかった理由が判った。
学校に入学後、日本語を勉強して日本へ行きたいと話していたのに残念だつたと関野さんはお話されていました。プージェの成長していく過程をずつとフォローして行きたかったとサイン会の時に話しておられました。360度水平線のモンゴルが大好きとも言われていました。
関野吉晴氏が、どんな人が全く知りませんでした。モンゴルの映画ということで応募しましたが、こんな凄い人とは知りませんでした。人類が誕生したアフリカからユーフラシアを経てアメリカへ移動して行った過程を逆に遡行しようという1993年【グレートジャーニー】という途轍もないことを足掛け10年掛けて達成された。自転車やカヌーなど自力でも驚きでした。
1999年植村直己冒険賞を受賞されています。
経歴は1949年東京で生まれ、1975年一橋大学法学部卒業、探検部を創立。南米を訪ねるうち、医療の必要を感じて横浜市立大学医学部に入学。
1971年アマゾン全域調査隊長としてアマゾン川全域を下る。日本での職業は外科医師。
フジTVだったか見た事があります。
冒険家、医師、作家の肩書きで世界のヒューマン
ドラマを探し求めていますね。
どこでこれを知りましたか?
JICAは、海外青年隊とシニアのボランティを募集していました。360度の地平線の草原のモンゴルが大好きと話をされていました。友人に自転車で旅をした方もおられました。一度会社の宮浦さんにマラソン大会があるからと誘われたことがありましたが、断ってしまい悔いています。
書籍として、グレートジャーニー全記録1と2があり
【我々は何処から来たのか】毎日新聞社が発行、
私も1の移動編を買ってサインをしてもらいました。