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hamachanのブログへようこそ

一期一会を大切に色んな人とブログを通して交流できたらと思っています。

時代祭り

2010-11-07 18:33:35 | 季節の行事・観光


       『11月1日は古典の日』


 


    江戸時代夫人列  和宮 



 



       清少納言と紫式部



       小野小町? 



     神幸列


時代祭は、京都市の平安神宮の祭りです。神宮創建を祝って
始められ、京都三大祭りの一つですが、葵祭りや祇園祭りに
比べると歴史は浅い。
行列を支えておられるのが、平安
講社で昔はアルバイトの学生が大半だつたのが、最近では
小学校校区ごとに編成されてきたとのこと。地元の新聞に
よると誰がどの役に就くかが、問題があると報じていました。

明治以降、南朝を正統とする皇国史観から室町時代が除外されて
いました。これは後醍醐天皇に叛き室町幕府の初代将軍足利尊氏
を国賊としていた歴史的経緯などからです。平成19年から室町時代
列が新に加わりましたとのこと。

行列は20列で約2,000人、70頭を越える牛馬などで構成されていて
全長約2キロにも及ぶ。衣装や調度品、祭具は、京都の工匠や染色
の識者が考証や研究を重ね、現代によみがえらせたとのこと。


今回、10月22日に初めて見物に行きましたが、事前の勉強不足の
ため単なる維新から遡って行列が続き、お祭りといっても、もう一つ
盛り上がりませんでした。毛槍のパフォーマンスは、見物客から
歓声が上がりました。
江戸時代の夫人列、鎌倉・室町の夫人列、平安時代の夫人列、
白川女献花列は、流石に京都らしい衣装が素晴らしかったです。


 



 


 


京都夏の風物詩、『京都五山送り火』

2010-08-20 10:30:12 | 季節の行事・観光

8月16日(月)夜、京都市を囲む山々で灯され
祇園祭りと共に京都の夏を代表する風物詩
の一つとなっている。
送り火は、お盆に戻ってきた先祖の霊をあの
世へ送り返す伝統行事。
東山の如意ヶ嶽『大文字』が最もよく知られ、
送り火の代名詞のごとく言われているが、最近
になって『五山の送り火』と言われるようになつた。



午後8時『大文字』が点火された。先祖の霊や生存
する人の無病息災等記された護摩木が送り火の
点火資材として当日山上へ運ばれる。火床は全部
で75、薪600束、松葉100束、麦わら100束。護摩木
は、前日から当日の14時30分まて゛銀閣寺門前で
300円で受付されていましたが、・・・暑くて・・行く気
になれませんでした。





午後8時10分点火。『妙』は、松ヶ崎西山と低い山で
点火されたので、大きく見ることが出来ました、
『法』は、松ヶ嶽東山と、『妙』と少し離れたところで
点火されました。友人に誘われてマンションの屋上
ー7階ーが開放されていて見ることができましたが、
『法』の点が、近くのマンションの方が高くて欠けて
いました。。『妙』の火床103、『法』の火床63






午後8時15分『舟形』が西賀茂山で点火されました。
北山通(北山大橋から北西)と遠いため小さく見えま
した。火床は79.薪数400束、松葉130束。





午後8時15分『左大文字』が大北山で点火されました。
西大路通(西院~金閣寺)方面と遠くて小さく見えました。
 火床53.薪数350束。



午後8時20分『鳥居形』が点火されましたが、嵐山
方面と遠いため見えませんでした。

感想
大文字に代表される送り火の起源について、不思議
と確実なことはわかっていないとのことでした。
年中行事として定着するのは、室町から江戸時代
以降とのこと。
ルミナエリなど人工的なあかるさより、薪などに点火
されるのは、宗教的な行事として癒され、感動します。



下賀茂神社の高野川沿いの各橋の近辺では、歩行
者天国になっていて、大勢の観光客でしょうか、人で
一杯になっていました。


  


大阪・八尾市恩智神社『ふとん太鼓』夏祭り

2010-08-08 16:07:28 | 季節の行事・観光



友人の出身地であり、恩智神社の『ふとん太鼓』
の夏祭りは¨凄い¨と聞いて8月1日に案内してもら
いました。
午後2時山の上にある神社から神輿を担いで
131段の階段を下りてくるという、ちょっと実感
出来ませんでした。お祭りもこの一日だけとの
こと。





神輿は前後に20人ずつ担ぎ手が、神輿の中に
大きな太鼓を叩く4人が乗り込み、屋根に大きな
¨ふとん¨が5枚積み上げられていました。
スタートの前に担ぎ方についてリーダーから
前の20人が最初に¨前上げて¨と声かける。
その後、¨後上げて¨と声掛けるとの説明が
されていました。後の担ぎ手の方がシンドイよう
に見受けられました。少し上げる時にふらついて
いました。

八尾市長ほかの挨拶があり、いよいよお神輿の
出発です。最初、ウオーミングアップでしょうか、
本殿を3回回ってから、愈々階段下りが始りまし
た。両側に大勢の観客が見る中、思ったほど早
く降りて行きました。
階段を降りきった時には、観客から拍手喝采され
ました。担ぎ手の交代も行われていました。
神輿を下ろす時には、一斉に降ろされていました。
この時に骨折したり怪我することもあるとのこと。
カードレールなどに藁で覆っていました。



子供達も『毛槍』を太鼓の前後に担いで掛け声
を掛けていました。お揃いのハッピを着て小さい
時から祭りに参加させて、大人になると担ぎ手に
なってほしいとのことでした。ハッピの背中にウサギ
の絵が描かれていました。



担ぎ手に聞いたら、筋トレなど祭りの何か月前
から準備を積んできたとか。町中、祭りに向かっ
て一致団結されているのには、感動しました。
私が住む団地の自治会では考えられません。
町内では、家の前で冷たいお茶やキャンディなどふ
るまわれていました。





ふとん太鼓の他に、普通の神輿も神社から降りてき
ました。ちょっと若い集団と見受けられました。





      子供達の毛槍

一旦街中を担ぎ手が交代しながら回った後、午後9時
に再び山上の神社に向かってふとん太鼓が長い階段
を上って終わりとのことでした。



感想
友人の凄いと言うことが、現場で見て理解できました。
この神社は、創建が大和時代の470年頃と伝えられ
河内の国を御守護のためにお祀りされた神社で国
内でも有数の古社であり、後に延喜式内名神大社
である。
私も南河内の羽曳野市で小学時代を過ごしましたが、
恩智神社の夏祭りは知りませんでした。八尾市とい
えば、河内音頭というのが定評でした。
古市のダンジリ、道明寺天神祭りや藤井寺のお祭り
など家族と行ったことがありました。
こんな凄いお祭りが近くで続けられているとは。
小学校の同窓生に見たことがあるか尋ねてみます。




 


倚松庵の見学

2010-06-14 16:37:29 | 季節の行事・観光


倚松庵


 


倚松庵の見学

日時 平成22年6月12日(土)午前11時30分~
場所 神戸市東灘区住吉町1-6-50
    倚松庵ー谷崎潤一郎の旧居
説明者 武庫川女子大学教授 たつみ都志さん
概要 一般の方は5人と交換留学生15人


倚松庵は、昭和13年7月4日に阪神大風水害に
遭遇、太平洋戦争、15年前の阪神・淡路大震災
と3つ災害を乗り越えたことは、大変幸運なことで
今日来られた皆さんへこの幸運を持つて帰って
もらいたいと冒頭、先生がお話されました。


【細雪】を6月9日に読み終わってから、インター
ネツトで検索していたら、4人姉妹の2女幸子が、
谷崎の夫人と判明してから、細雪に登場する家
族は身近にいる家庭ではと思っていましたが、
矢張り谷崎一家の物語でした。夫人の松子が
2女、その養子の貞之助が谷崎本人。谷崎一
家の写真も掲示されていました。


3女の雪子の結婚感は、家柄、財産という古い
戦前の女性の代表、4女ーこいさんーの妙子は
愛、健康、自立といつたこれからの新しい時代
の女性とこの新旧対照の二人をタテ糸にして、
家族との係わり合いを横糸にして組み立てられ
ていて源氏物語と同じ手法を使っていると指摘
されました。


谷崎は42回ほど転居を繰り返していた。細雪の
舞台は、芦屋川の山手としているが、実際の倚
松庵の位置は、海に近くで芦屋では下町である。
舞台の設定に適合する場所に借家をして構想を
練るとのこと。


2階の幸子の部屋で幸子が鏡台で化粧している
時に、こいさんの妙子が上がってきて、鏡の中
で二人が話し合う場面は、谷崎が初めて使った
手法と先生は説明された。


谷崎は、この住宅を家主が居住していたのを借り
受けて書斎が西日がきついので、庭に書斎を自
費で建てたが、当時1000円程度掛かった。別の
住居へ移転した時に中々家主へ引き渡ししなか
った。自分が建てた書斎を3000円で売却していた。
家主の領収書が展示されていた。谷崎は借金を
抱えていたようである。家主あてのお詫びの書状
も展示されていた。

谷崎は、昭和11年11月から昭和18年11月まで、
関西移住のなかで一番長く住んでいた。
倚松庵の名前の松は松子夫人の名前のことで
夫人への愛を表しています。松に寄りかかる。


2階の幸子夫妻の部屋ー東・南向きで一番広く
明るい。幸子の長女悦子の部屋、こいさんの部屋があった。


【春琴抄】の自筆原稿複製


阪神大風水害  背後は白鶴美術館


説明会  武庫川女子大学教授 たつみ都志先生



灘黒岩水仙峡

2010-02-05 21:28:21 | 季節の行事・観光

先日、000人目の訪問者として記念品
が贈られていましたのをテレビでみました。
少し寒かったですが、2日に水仙が見頃と
いうことで行きました。
たこフェリーで岩屋に渡り、淡路ICから高速
に乗り、西淡三原ICでおりて、31号線から
76号線のバイパスで灘黒岩水仙峡へ。
淡路島の南部に位置している。
目の前に海が迫っている45度の急斜面の
山7ヘクタールに500万本の野生の水仙
沢山咲いていました。
梅も早くも咲いていました。







 


第21回なにわ淀川花火大会

2009-08-11 14:58:23 | 季節の行事・観光

日時 平成21年8月8日(土)
テーマ 
【水都大阪2009なにわの花火で元気満開!】
場所 JR神戸線の橋(塚本駅の近く)~十三
    バイパス(阪急十三駅の近く)
  十三開場ー淀川右岸、梅田会場ー左岸
プログラム
PM7.50~オープニング
       今大会目玉の一つ、8号玉10発
       一斉打ち上げ、ミュウジカル花火
PM7.54~いろどり
       菊や牡丹、キラキラ点滅する花火
PM8.00~わっしょい
       右や左へ花火がお祭り騒ぎのよう
       に飛び交う
PM8.09~これぞ・・・なにわ!
       道頓掘で静かに眠っていたあの南
       の象徴が夜空に復活!
PM8.17~縦横無尽
     水中スターマインにワイドスターマイン
 
     がコラボ
PM8.28~チェンジ
      あらたな試み、水中打ち込み花火
PM8.36~フィナーレ
      花火大会のクライマックスを飾る
      にふさわしい豪華で大迫力のミュー
      ジカル花火でフィナーレを迎えよう。



花火の連発のためプログラムがどこに進ん
でいるのか、分からないぐらい早かったです。
堤防のパノラマシート(土手の斜面)で見てい
たので打ち上げされるごとに、迫力のある
音が腹まで響き渡りました。
40万人とも言われていましたが、ブロック
ごとに退席させていました。

















【花のじゆうたん】

2009-04-27 09:00:27 | 季節の行事・観光












4月27日に永沢寺の牡丹園と花のじゆうたんを明石健康
クラブの2人と3人でドライブがてら行って来ました。花の
じゆうたんー柴桜ー、少し時期が早かったようです。
牡丹は満開でした。帰宅途中に花山温泉に食事をして
温泉に入浴して帰宅しました。この場所はZKMマラソン
クラブの練習会が2ヶ月に1回開催されていたところで
久しぶりでした。


 


 


謹賀新年 平成21年

2009-01-05 14:04:48 | 季節の行事・観光



 年賀状の作成は、昨年12月中旬には完成している予定
がプリンターに【インク切れ】のメーセイジが出たので早
い目にインクを交換しようと、プリンタのスイッチをオフに
したら、プリンタが動かなくなって、故障となつてしまい急
遽松本市のセンターへ送付する羽目になった。1週間ぐら
いで戻ってきた。
何とか25日発送できた。ZKMマラソンクラブの退会で枚
数は減りましたが、高校の同窓会やカラオケ同好会の
入会でプラスマイナスで減りませんでした。
年賀状の発送まえに喪中のハガキも多く、お亡くなりに
なつた方も高齢で100歳の方もありました。



近況の書いていない年賀状はいらないという方もおられ
たので【体調を崩してマラソンは止めて、ウオーキングと
ゴルフ、カラオケを楽しんでいます】と全員の方に表現を
変えていましたが、書くように努めました。



久しぶりの年賀状を何枚か頂いて嬉しかったです。
年に1回の近況の報告でもあり、廃止など言っている人
もおられますが、良い慣習だと思っています。
友人によると、こちらから送付してから、自分の年賀状を
発送する人は、もともと出す気がないと判断して発送しな
いという人もおられます。難しいですね。



元旦に年賀状が沢山来るのは楽しみですね。何年も
会っていない人、いつも会っている人、久しぶりに受け取
った人など嬉しいですね。こんなに多くの人と出会えた
ことに感謝したい気持ちです。


厄除け・お祝い

2008-12-12 23:19:39 | 季節の行事・観光



息子が来年36歳になりますが、厄年のため嫁の実家から
【厄除け・お祝い】という珍しいものを頂戴しました。
箱の中には、【火箸】が入っているとの事でした。両親は
加西市在住ですが、昔からの仕来たりとのことでした。
大阪では厄年の時は、門戸厄神さんなどにお参りしまし
たが、こういう風習は初めてで驚きました。
前厄・本厄・後厄と無事に終わると、【火箸】は宝塚市の
清荒神さんへ納めるとのことでした。
42歳の厄年には、【包丁】が贈られるとのことです。
現在では【火箸】は使う機会がありませんが、火鉢の
あったころは、実際に使っていたようです。
年齢を数え年で数えるのも、多様な日本文化の特徴で
しようか。



我が家では、高野山真言宗の大師寺さんで、星祭で
大凶となつているので【特別祈祷】をすることにしています。



このような風習は、全国でも色々なことが行われている
のではと推察されます。是非、知りたいものです。