いや、だいぶ前の話だけど「女性を痛めつけるためのワクチンだ」みたいなことを言ってるツイートを見かけたことがあってね…
— Taguko (@taguko_pix9228) September 27, 2020
HPVワクチン周りが、 イデオロギーのアリーナとは無関係であることは、
にて指摘済み。
HPVワクチン被害者のほとんどは女性であり、その主たる介護者も圧倒的に女性 (おそらく母親) です。いちばん影響を受けている人がいちばん関心が高いのは当然のことですが、SNSで攻撃を受けやすいために発言を続けられる人が男性に偏るという傾向があります。
— 🌸 中谷康一 Koichi Nakatani (@knakatani) September 27, 2020
アリーナで闘い続けるには、精神的なバワーと几帳面さの双方が必要です。
温厚な人はドロップアウトしやすく、がさつな者も投げ出しやすい(性別差は注意を払ったことすらない為、当方には判断できかねる)。
温厚な人はドロップアウトしやすく、がさつな者も投げ出しやすい(性別差は注意を払ったことすらない為、当方には判断できかねる)。
HPVワクチンについて、政策のアリーナ・利益政治のアリーナにて戦うに際して、健康事情の開陳を求められやすさに、明白な性別差出るでしょう。そのため、健康事情の開陳を避けるため、アリーナに進むないという女性は少なくないのかもしれません。
いや、男の中谷氏が一番迷惑な行動をし、少女達を救っている気になり、その実は少女達が子宮頸癌になっても責任も取れない、ただただエゴと少女コンプレックスでHPVワクチンをする機会を、命を奪うという新手の遠回りな○人をしている男なのです。
— 楽しいこと晒す (@sarasu_sarase_) September 27, 2020
正論を言うと科学と一番遠いのに科学を連呼して狂う。
曖昧な言葉「迷惑」「救っている」「責任」と侮辱の言葉を並べ立てて攻撃。
HPVワクチン被接種者の子宮頸がん罹患率は、そうでない者と比べて数割高い、という報告が既に出ている。
HPVワクチンは上市から十年以上経ている。
そのため、子宮頸がんとの関連についてのデータは、出始めている。
ちなみに、HPVワクチンが不妊をもたらしやすい点についても。
科学の要は、定量性・再現性。定量性は比較のための前提。ゆえに、人は比較のために文献を探す。その際には、自説に有利になるか否かの観点は排されなければならない。さもなくば、再現性に疑義が入り込む余地が生じるから。
しかし、
中谷氏よ、HPVワクチンを打った方の子宮頸癌の確率のデータを示せない上に、
— 楽しいこと晒す (@sarasu_sarase_) September 27, 2020
「HPVワクチンは全く効果が無いとは言ってません」
と言ってましたね。
非科学的なことを繰り返し、少女達に絡んだり、ワクチン妨害行為、迷惑かける人を探すのは止めるように。#ストーカー#非科学的#少女コンプレックス
から垣間見える「文献探し放棄」の態度は、自説を尊び、他説と他説に関わる者たちを攻撃する……安倍晋三の如き稚拙な態度。到底、定量性・再現性を鑑みていない態度であり、セクト化の兆候。
「楽しいこと晒す (@sarasu_sarase_) 」の云う「非科学的」とは、「自説を支持しない者が支持する説」の総称という意。政治過程論界隈・刑事司法界隈では、斯くの如き姿勢の末路は広く知られている。
なお、HPVワクチンを打った方の子宮頸癌に云々についての研究経過はHPVワクチンと不妊とリスクスコアと蜷川虎三の下駄 - 舶匝 に詳しい。「楽しいこと晒す (@sarasu_sarase_) 」が製薬会社自身によるデータすら看過する姿は、道頓堀の前で道頓堀を探すが如く。
そして、
Taguko (@taguko_pix9228)は、
Taguko (@taguko_pix9228)は、
クッソちょっと呟いただけでたしかに変なのに絡まれた
— Taguko (@taguko_pix9228) September 27, 2020
洞窟から抜け出す好機を逃し、
— Taguko (@taguko_pix9228) September 27, 2020
などと、
洞窟に映る虚像にしがみついている。
その洞窟が潰れても、誰の手も差し伸べるられることはないのに……
洞窟に映る虚像にしがみついている。
その洞窟が潰れても、誰の手も差し伸べるられることはないのに……
(その洞窟は、数多くの他者と政府資金を犠牲にして暴利を得るための洞窟なのだから。)
「学問のすゝめ」最初の数段落を読めば、
学問によって人の上に立った人が、下にいる人々に容易には、手を差し伸べないであろうことを、察することくらいできるだろう。
中谷康一 Koichi Nakatani (@knakatani)のように、下にいる人々に頻繁に手を差し伸べる篤実家を、下にいる人々は大切に扱うべき(当方以上に厳しい態度に出る者もいる)。(上に上がることができるかともかく)少なくとも洞窟から抜け出せる、貴重なチャンスなのだから。
との決定的な違いです。
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