聖書のことばが「誤解」されたわけ 聖書の中に、こんなことばがあります。 神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。 (コリント人への手紙第一 10章13節)
この引用は不正確。
「コリントの教会への第1」10:13
(聖書の引用は、章の番号「:」節の番号という表記方法が、世界的にスタンダード。)
口語訳ならば、
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
「コリントの教会への第1」10:13
そもそも、聖書の翻訳は、計算の上に成り立っている(「試練」の「練」という漢字の使われ方は、カトリック界隈では独特)。
他言語版の聖書に於ける記述との比較は、スマートではない。
ていうか、新約聖書のオリジナルは、ラテン語。
英語ではない。
(キリスト教界隈は、英語が決してセンターに立てない。センターは常にラテン語。)
また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
「コリントの教会への第1」10:9-10
つぶやきは慎重に。
実例(村中璃子)。
PCRの意味は、患者の感染の有無と、ウィルスgenome の変異を把握するという重要性があります。偽医者村中璃子はこれが分からない。偽医者です。 https://t.co/WoDCljW9IT
— JT M.D, Ph.D. (@jt20150511) September 20, 2020
ちなみに、
genomeは、「ゲノム」とも表記されます。
高校生の頃、「genome」の訳で手こずり、
「訳、カタカナ語でOKなんだー」
と感心した覚え。。。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
「コリントの教会への第1」10:13
英単語をカタカナ語で訳する、
という筋道はまさに、
のがれる道。
(勿論、鍛錬は必須ですけど……)