今回は、出雲市からです。
神庭岩船山古墳は、現在合併によって出雲市となった斐川町神庭にある荘原小学校の南西側に隣接しています。
この地域は、現在宍道湖の西岸から奥に入った位置にありますが、古墳時代以前では宍道湖は西に抜けて海と繋がっていたようです。内海ですね。
穏やかな海が小さな船の航行の安全を担保していたので、海上交通が盛んだったようです。
残存部分が全長約48メートルの小さな前方後円墳です。
早速上ります。
頂上には、大きな木があります。一部朽ちていますね。古墳同様年季が入っています。
そして・・・
でました。舟形石棺(の蓋)!!
反対から
破壊されていますが、破片をくっつけると完全体になりそうなほどそろってます。
そして、縄掛突起を接写。
これは、両方の短辺側に付いていたもの。
そしてこれらは、長辺側に付いていたものですね。
縄掛突起は全部で6個付いていたはずですが、残り2個は見えませんでした。
大きさは、長さ2.7メートル、幅1.04メートルとのこと。
副葬品などは分からないとのことでした。
この古墳からは、円筒埴輪片が出土しましたが、葺石は存在しなかったようです。
築造時期は、墳丘の形や舟形石棺を使用していることから5世紀と考えられています。
神庭岩船山古墳は、現在合併によって出雲市となった斐川町神庭にある荘原小学校の南西側に隣接しています。
この地域は、現在宍道湖の西岸から奥に入った位置にありますが、古墳時代以前では宍道湖は西に抜けて海と繋がっていたようです。内海ですね。
穏やかな海が小さな船の航行の安全を担保していたので、海上交通が盛んだったようです。
残存部分が全長約48メートルの小さな前方後円墳です。
早速上ります。
頂上には、大きな木があります。一部朽ちていますね。古墳同様年季が入っています。
そして・・・
でました。舟形石棺(の蓋)!!
反対から
破壊されていますが、破片をくっつけると完全体になりそうなほどそろってます。
そして、縄掛突起を接写。
これは、両方の短辺側に付いていたもの。
そしてこれらは、長辺側に付いていたものですね。
縄掛突起は全部で6個付いていたはずですが、残り2個は見えませんでした。
大きさは、長さ2.7メートル、幅1.04メートルとのこと。
副葬品などは分からないとのことでした。
この古墳からは、円筒埴輪片が出土しましたが、葺石は存在しなかったようです。
築造時期は、墳丘の形や舟形石棺を使用していることから5世紀と考えられています。