今回は高取町の束明神古墳をご紹介します。
この古墳は、奈良県立高取国際高校の南西方向、高取町立高取中学校の北西方向、南北に連なる山々の山腹にあります。
古墳の付近を見渡すとこんな感じです。
これが山(南西)の方向。
これが平地(北東)の方向。
山に両側を挟まれた場所に築造されています。
古墳のすぐそばにある神社。
これが束明神っていうんですかね?
この古墳は、山の南側直径60メートルを造成してその中心に作られているとのこと。
古墳の北東側。
古墳の南西側。
確かに、山の斜面に位置するにもかかわらずここだけ平になっていますね。
そして、古墳を東側から撮ったところ。
こうしてみると取り立てて特徴のないただの土まんじゅうですが、実は大変立派な終末期古墳です。
埋葬主体は、大規模な凝灰岩製の切石積み石槨で、大変精巧なものです。橿原考古学研究所附属博物館に原寸大模型がありました。
天井と、入り口は破壊されていたようで、推定だそうです。
奥壁。家形になっています。
左側壁。
右側壁
床面。真ん中に穴があります。何でしょうか?
天井。
屋根左側。
屋根右側。
屋根アップ。石の組み合わせ方も工夫しています。
まさに古墳の集大成といった感じ。すばらしい!
すばらしいんだけれども、何故かレプリカだといまいち感動が薄いですね。
全く同じものだと思うのですが。
築造年代は7世紀後半から末にかけて、盗掘のため副葬品はなく、青年期から壮年期の性別不明の人の歯が見つかってます。
草壁の皇子の墓という説が有力です。
なお、ネットで見ましたが、昔この古墳が草壁の皇子墓に比定されそうになった際、土地を奪われると恐れた地元の方々が比定を免れるために石室を破壊したとの伝説があるようです。
また、八角墳だとも。
この古墳は、奈良県立高取国際高校の南西方向、高取町立高取中学校の北西方向、南北に連なる山々の山腹にあります。
古墳の付近を見渡すとこんな感じです。
これが山(南西)の方向。
これが平地(北東)の方向。
山に両側を挟まれた場所に築造されています。
古墳のすぐそばにある神社。
これが束明神っていうんですかね?
この古墳は、山の南側直径60メートルを造成してその中心に作られているとのこと。
古墳の北東側。
古墳の南西側。
確かに、山の斜面に位置するにもかかわらずここだけ平になっていますね。
そして、古墳を東側から撮ったところ。
こうしてみると取り立てて特徴のないただの土まんじゅうですが、実は大変立派な終末期古墳です。
埋葬主体は、大規模な凝灰岩製の切石積み石槨で、大変精巧なものです。橿原考古学研究所附属博物館に原寸大模型がありました。
天井と、入り口は破壊されていたようで、推定だそうです。
奥壁。家形になっています。
左側壁。
右側壁
床面。真ん中に穴があります。何でしょうか?
天井。
屋根左側。
屋根右側。
屋根アップ。石の組み合わせ方も工夫しています。
まさに古墳の集大成といった感じ。すばらしい!
すばらしいんだけれども、何故かレプリカだといまいち感動が薄いですね。
全く同じものだと思うのですが。
築造年代は7世紀後半から末にかけて、盗掘のため副葬品はなく、青年期から壮年期の性別不明の人の歯が見つかってます。
草壁の皇子の墓という説が有力です。
なお、ネットで見ましたが、昔この古墳が草壁の皇子墓に比定されそうになった際、土地を奪われると恐れた地元の方々が比定を免れるために石室を破壊したとの伝説があるようです。
また、八角墳だとも。
こちらは、飛鳥駅からタクシーでいくつもりですが、
どのサイトをみても「薄暗い」とかかれていますが、
そうなんでしょうか?
朝行こうか、昼過ぎに行こうか、なやんでいるのですが、
あまり人もいないような山奥なのでしょうか?
教えていただけますか?
ご心配なく。
この古墳は人里離れた場所ではなく、小さな集落の山側に鎮座する小さな神社の境内にあります。
神社は木々が生い茂っていますから、昼間でも陰になって少し暗くなるのはそのとおりです。しかし、写真にも写っていますが、ちゃんと日も差す程度のものです。
私的には、この古墳で最も困るのは交通手段ですね。タクシーで行かれるのは、金額を気にしなければ賢明な選択と思います。