ハイナンNETの日常

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王玉開さんの聞き取り

2016-10-21 11:02:45 | 活動報告
海南島臨高県皇桐村の王玉開さん。裁判の原告にはならなかったが、ハイナンnetメンバーが訪れた際にしばしば日本軍が来た時の話を聞かせてくれた。
以下に2012年4月の聞き取り内容の要約を掲載する。(年号などの注釈は、ハイナンnet)

(一九三九年十一月に日本軍は海南島臨高県に侵攻した)
日本軍は、王さんが十九歳のある日、皇桐村を襲った。王さんの夫は日本兵に暴行され連行された。王さんは家に侵入してきた一人の日本兵と台所で取っ組み合いになった。当時若く、力もあった彼女は、一対一なら負けないと思い、性暴力を加えようとする日本兵に対し必死に抵抗した。しかしその時さらに三人の日本兵が家に侵入してきた。王さんはそれを見て『もうお終いだ』と絶望したという。四人に囲まれても、兵士の銃を掴むなど必死に抵抗したが、押さえつけられ性暴力を受けた。
(臨高県の『東の玄関』と呼ばれる皇桐鎮には、日本軍の拠点が置かれ、皇桐村など近隣の村人たちは毎日強制労働をさせられていた。)
王さんらは日本軍のために行水等に使われる水汲みや水運びをさせられたが、労働が終わっても、容姿が良い娘はほとんど毎回日本軍に残れと言われ、そしてそのまま性暴力の被害に遭った。
当時王さん夫妻には生後数ヶ月の赤ちゃんが居たが、日本軍が来てから誰も世話ができず、栄養失調で亡くなったという。
ある日、王さんは日本軍がいる自分の村から逃げ出す機会があった。そして必死に実家のある村まで逃げてきたが、その村には更に多くの日本兵が居て、彼女はまた捕まってしまった。『もうどこへ逃げればいいのかわからなかった。』と王さんは言う。逃げてきた彼女をかくまったせいで両親はひどく殴られた。
一九四五年に日本軍が撤退するまで彼女への暴力は続いた。その後、また夫と共に暮らしたがもう子供ができることは無かった。王さんは
『もし赤ちゃんが生きていたら、今頃もう七十代になってるね。』
と語った。二〇一三年十二月三一日死去。


上記の内容を始めとする証言については、ハイナンNETの映像作品「あぽの四季」の中で王さんが語っているシーンがある。


■ドキュメンタリー「あぽの四季」
2015/40分/日本語字幕(中国語字幕版、英語字幕版あり)
あらすじ:
中国海南島に住むあぽ(阿婆=おばあちゃん)の生活の記録。阿婆はいつも昔話をし始めると、日本軍がいた時のことを語り始める。
撮影/編集: ハイナンNET
~中国海南島戦時性暴力被害者の声を伝えるNetwork~

2016年11月20日に、小金井市で上映会を予定。


映像作品に関する問合せはハイナンNETのFacebook
(https://www.facebook.com/ハイナンnet-HainanNet-392516314277636/)
またはメール(hainannet2005@gmail.com)まで。

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