
虹口区の四川北路の突き当りには魯迅公園があり、公園内には魯迅記念館や魯迅墓所かあります。
1.山陰路
四川北路の東側の裏通り、1920年-30年代に住宅開発が進み新式里弄住宅と呼ばれる長屋式の高級住宅が並びます。
2.魯迅故居の路地
魯迅(日本語読み:ろじん、Lu Xun))は1881年浙江省紹興出身の小説家、翻訳家、思想家。
1902年に国費留学生として日本に留学し、仙台医学専門学校で医学を学びましたが、医者よりも中国人の精神改造が必要と感じ学業半ばで退学し帰国、小説家を職業としました。
3.魯迅故居
帰国後杭州や紹興で教師をしましたが、1912年中華民国成立後に北京の教育部で勤務、中国文学の研究に没頭します。
1918年に文芸誌に口語文小説「狂人日記」を発表します。1920年から北京大学や北京女子師範学校で中国小説史の講師をしながら小説の執筆活動を行っています。
1926年日本の内政干渉に反対する学生運動を弾圧した軍閥政府を激しく批判的したことから指名手配を受け国内各地を転々とします。
1927年広州から密かに上海へ移り市内を転々とした後、この路地で没するまでの3年半ほど妻と生活し、男児も誕生しました。
当時彼の作品は国民党政府により発禁処分を受ける反体制文学者でした。
この辺りは租界の越境築路と華界の境界付近にあり双方の管理が手薄になる地域で、官憲を逃れる左翼文化人が多く住むことになりました。
4.魯迅墓所
広大な魯迅公園には体育館や魯迅記念館、魯迅墓所などがあります。
1936年魯迅没後に上海西郊の万国公墓にあった墓所は1956年にこの地に改葬されました。
左翼文壇の旗手として魯迅は中国共産党に中国革命の聖人へと祭り上げられました。
過去記事→魯迅記念館
撮影:CANON Powershot G2
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