
幼少期を津和野で過ごした明治の文豪「森鴎外(もりおうがい)」と「哲学」「感覚」などの言葉を生み出した明治の啓蒙思想家「西周(にしあまね)」の旧宅があります。
1.森鴎外旧宅門
森鴎外は明治-大正期の小説家で夏目漱石と並び称されていますが、陸軍軍医であり医学博士、文学博士でもあります。
2.森鴎外旧宅の説明
森鴎外の生家、東京に移住する10歳までをここで過ごしました。
その後この建物は別の場所に移築されましたが、昭和29年に町へ寄付され、この場所へ戻されました。
3.居宅の庭
ちょうどよい広さの庭に草花が咲いています。
4.森鴎外の勉強部屋
ここで10歳まで勉学に励みました。
藩校の養老館で学びましたが、当時の記録から9歳ですでに15歳相当の学力があったと推測されています。
東京大学医学部を卒業後陸軍軍医となり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年間を過ごしています。
平成7年に隣接して「森鴎外記念館」が建設され、鴎外の生涯と功績を顕彰しています。
5.西周の旧居
西周は明治期の啓蒙思想家で西洋哲学者。森鴎外とは親せきで、森鴎外の旧宅の川向うに旧居があります。
6.西周旧居の説明
森家と同じ藩医の家系で4歳から25歳までこの家で過ごしました。
7.オランダ留学
藩校養老館で蘭学を学びその後、藩所調所の教授並手伝いとなり哲学ほか西洋の学問を研究。
1862年に幕命で江本武揚らとオランダに留学し法学や哲学・経済学・国際法を学びました。
8.徳川慶喜の側近
1865年に3年の留学を終え帰国後目付に就任、徳川慶喜の側近として活動しました。
9.沼津兵学校の初代校長
王政復古を経た1868年、徳川家によって開設された沼津兵学校の初代校長に就任し「万国公法」などを訳刊します。
明治維新後、新政府の官僚を歴任し、軍政の整備やその精神の確立に努めました。
明治6年に福沢諭吉らと結社を結成し、西洋哲学の翻訳や紹介に尽力しました。
東京学士院(現在の日本学士院)の第2代及び第4代会長を歴任、明治30年に死去、墓所は青山霊園にあります。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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