
1.生家の書店
金子みすゞは明治36年(1903年)に仙崎(現在は長門市)で生まれました。本名金子テル。
2.店内から帳場と屋内を見る。

3歳の時、父庄之助が清国営口で死去しますが、金子家は下関の上山文英堂の世話で書店を営みます。
16歳の時に母ミチは上山文英堂主人と再婚します。
17歳で大津群立大津高等女学校を卒業、卒業式では答辞を読みます。
3.小さな庭

二十歳の時、兄堅助の結婚を機に下関の母のもとに移り住みます。
4.「我が家の庭」の一文

二十歳の頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き雑誌に投稿を始めました。
西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」と認められます。
23歳の2月、上山文英堂店員と結婚。同じ年の11月に長女ふさえ誕生。
昭和5年(1930年)26歳で病死。
5.詩に詠まれた乾物屋

同じ通りにある角の乾物屋。
6.その詩文

いつしか「幻の童謡詩人」と語り継がれます。
昭和57年に手書き3冊の童謡集が弟上山家で見つかり「金子みすゞ全集」として出版され、みすゞの暖かい作品が再認識されました。
7.生家前の「みすゞ通り」から北を見る

東西を海に面した町は古い商店などが残っており、漁業で栄えた当時が偲ばれます。
8.生家前の「みすゞ通り」から南を見る

昭和5年に開通したJR仙崎線の仙崎駅へ続きます。
9.仙崎蒲鉾の店

現在でも仙崎漁港はマアジやイワシ類など県内屈指の水揚げ高を誇っているそうです。
ゆっくりと徒歩で散策したい小さな町です。
撮影:CANON Powershot S100
金子みすゞは明治36年(1903年)に仙崎(現在は長門市)で生まれました。本名金子テル。
2.店内から帳場と屋内を見る。

3歳の時、父庄之助が清国営口で死去しますが、金子家は下関の上山文英堂の世話で書店を営みます。
16歳の時に母ミチは上山文英堂主人と再婚します。
17歳で大津群立大津高等女学校を卒業、卒業式では答辞を読みます。
3.小さな庭

二十歳の時、兄堅助の結婚を機に下関の母のもとに移り住みます。
4.「我が家の庭」の一文

二十歳の頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き雑誌に投稿を始めました。
西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」と認められます。
23歳の2月、上山文英堂店員と結婚。同じ年の11月に長女ふさえ誕生。
昭和5年(1930年)26歳で病死。
5.詩に詠まれた乾物屋

同じ通りにある角の乾物屋。
6.その詩文

いつしか「幻の童謡詩人」と語り継がれます。
昭和57年に手書き3冊の童謡集が弟上山家で見つかり「金子みすゞ全集」として出版され、みすゞの暖かい作品が再認識されました。
7.生家前の「みすゞ通り」から北を見る

東西を海に面した町は古い商店などが残っており、漁業で栄えた当時が偲ばれます。
8.生家前の「みすゞ通り」から南を見る

昭和5年に開通したJR仙崎線の仙崎駅へ続きます。
9.仙崎蒲鉾の店

現在でも仙崎漁港はマアジやイワシ類など県内屈指の水揚げ高を誇っているそうです。
ゆっくりと徒歩で散策したい小さな町です。
撮影:CANON Powershot S100
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