吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 十七

2005年10月30日 10時48分50秒 | Weblog
カウライ男の随想 十七   
 
 高等科一年の三学期をわずか三か月教えて、一人一人の個性や出来事が心に深く刻まれて、その思い出は六十三年たった今も鮮明に脳裏に浮かんでくる。彼等を高等科二年に送り出すと担任は師範出の教頭、O先生に決まり、私は初等科最終学年の六年生担任となった。
 下宿へは相変わらず二年に進級した教え子がかわるがわるドブ持参でやってきた。
 夕食をすませて自分の部屋の机に座る頃、月夜をのぞいて提灯の灯が渓谷の小道を上ってくる。
 それぞれ教科書を持参するが予習、復習をしたことはない。
 父兄に夜学と言う理由をつけて家をでてくるのである。
 私は時にはトランプ遊をしたり、自分の中学時代、とくに雪国小樽の冬の遊びや暮らしについて語った。
 そして子供逹のこない夜はあいかわらず歴史の本や哲学書をよんで過ごした。
 太平洋南方海域の戦闘の厳しい情勢も伝わり、ガダルカナル島には米軍上陸の報道もとびこんできたが相変わらず、西峰の風土はしずかであった。
 二学期が始まって教頭は重い病気になって退職、しばらく私は複式授業をしたがすぐに補充担任が決まった。
 高知から赴任したのは私とおなじ助教で一つ年上で十八才のO君。 当時、高知県で一番の進学校のJ中学五年一学期に事件を起こして退学させられた。彼は全校でも評判の秀才だったが女学生との恋愛事件をひきおこしたのだ。
 私の青春時代にこのO君は大きな影響を与えてくれた。
 彼は赴任そうそうクラスソングを担任の二年生に発表した。
 二階の職員室のすぐ隣にある二年生の教室からその歌声は私の教室に響き渡る。

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