吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

コウライ男の随想 十六

2005年10月29日 12時27分52秒 | Weblog
カウライ男の随想 十六
 
 戦時中に国民の誰しもが望んだものの第一は食料の確保であった。 すべてが配給制度になって物資の不足は日常のすべてにかかわることだった。都市部では外米(主としてタイ米)とあらゆる代用食が食卓にのぼる。
 赴任するまでは薩摩芋で飢えをしのいだ私はまさに西峰に来て食べ物天国の暮らしを得たのだ。
 放課後、教室にひとり残って読書で過ごす。
 哲学全集に疲れると啄木、宮沢賢治、嗽石や藤村などを読みふけって自己の運命をみつめたりした。
 すくなくとも数年以内にどこかの戦場に出陣してるはずの己の運命を見つめ『死』を思索する時間も多くなった。
 そんな日々にあって大自然に囲まれた山村暮らしは勿体ないほどの幸せを実感した。
 なにより子供逹と過ごす時間は最高の宝だった。
 この一瞬、中国で、あるいはソロモン海域で生死をわけた激戦が展開してると言う意識は常に心をよぎったが、森閑とした西峰の自然はそれをわすれさすのだった。
 トルストイの生命エッセイに…人間の生命は大河の泡のひとつに過ぎない…発生と同時にぱちんと消える…そんな命のはかなさをしめす文章に感動したり、いったい自己の幸せは、子供逹の存在ぬきではかんがえられない…と自覚したり、夜、炉端で生徒の親からさずかったドブを飲みながら、もし、県庁で視学に…魚が食いたければ奈半利漁港の学校でも高等科の教師がひつようじゃけに…と言われた時、小樽時代を思い出して魚の魅力に負けてそこに赴任したら、今、担任した生徒逹とは永遠に逢うこともなかったし、人よしのイネおばさんにも縁することもなかったと人生の出会いの不思議さを思ったりした。

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