吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 四十ニ

2005年12月06日 06時40分33秒 | Weblog
カウライ男の随想 四十二

 私は彼が発奮した時期は例のクラスソングについて校長が時にははっきりと時には陰湿にO君を苛めたことにたいする反発もあったと思う。師範学校を出て、いまだに郡部の校長に過ぎないMは毎週、三里の道を土讃線の豊永駅まで自転車で下り、なんの用事か高知に帰るのだった。そんな様子を畑で見ている村人は…また寝押しじゃ!と皮肉っている。私はズボンの寝押しとばかり思っていたがO君から別の意味をおそわった。
 職員会議でいつもその自由教育ぶりをO君は校長から皮肉られ、辛辣な苦言を受けていた。田舎で都会へ転勤の夢を追うおろかな校長と大秀才のO君とはレベルが月とスッポンだ。
 校長に苛められる度に…今に見ろ!…O君の胸は偉大な未来に燃えていた。なにしろまだ十七才の青年になったばかりだ。
 放課後の教室でO君は涙を浮かべた。
 そんな彼と、私はよく子供逹と長瀬河原へ遊びに行った。
 O君はその深い知識とウイットを駆使して遊びながらもよく生徒の指導を行った。
 恐らく生徒達も一年生から高等科二年まで、十三名の教師に担任されたがO君のような教師は始めてだったろう。
 級長で秀才ののN君は私にもよくなついていつも自炊宿へやってきたが、O先生の教科の進展ぶりは凄い!と喜んでいた。
 O君はJ中学の尊敬する先輩で海兵出身の大尉から南方海域で致命的な敗北をきっしたことをしらされていた。
 しかし新聞は艦船撃破、敵機撃墜の報道を載せていた。
 彼は滅多なことで生徒を怒ったことがない。
 ある日、廊下でO君の大声が聞こえてきた。
…そんなに言うことが分からんと、腕をべし折るぞ!…と怒鳴っている。
 

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